2019年12月26日木曜日

永山基準






昨日はアメリカンのシリアルキラー話題だから、
今日も死刑話題...ですが、死刑制度の是非ではなくて、
運用問題。
あたりまえならば、ここに永山事件をテーマとする「裸の十九歳」の
リンク映像が出るはずなんだが...

この事件は、テッドバンディに比べれば、
子供の遊び..と言えば、被害者にあまりに失礼。
しかし、この事件の意義は、小法廷ながら、当時の大橋裁判長が
示した死刑判断基準の明示にあり、被害者の方々はもって瞑すべき...


判決要旨に曰く
そのそれぞれ(以下の通り)を総合的に考察したとき、
刑事責任が極めて重大で、罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からも
やむを得ない場合に(死刑は)許されるとした...

犯罪の性質
犯行の動機
犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性
結果の重大性、特に殺害された被害者の数
遺族の被害感情
社会的影響
犯人の年齢
前科
犯行後の情状


大橋判事は、優れて良心的な司法官だと思われますが、
死刑は限定的に厳格に運用されるべきだという前提が立ち位置
この時点で、アタシはオブジェクション!
そもそも法定刑のひとつに過ぎないのだから、
基準決めてビシバシやればいいのよ。

判断基準の例示としては必要十分条件を満足しています。
さすが....最高裁判事の見識
しかし、世間的に誤解があるようですから言っておきます。

被害者の数...一人だと死刑にならないは判例の読み違い!
一人殺害でも死刑の例はあります。
新幹線殺傷事件なんか死刑求刑をしなかった検察官は
法の守護神としての矜持がないのだろう
裁判官については...言うだけ無駄

犯行の動機...普通は、遊ぶ金欲しさとか痴情のもつれなんかを
いいます。
生まれ育ちが不幸だとかなんかは関係ありません。
この基準は、あらゆる刑事罰適用の基準にもなり得ますが、
その観点からも、お涙頂戴不幸せ劇場を法廷に持ち出すべきではない
...という意味だと解釈しましょう。
その意味で、刑事司法はおおいなる勘違いをしています。



この「ショウワカレススキ」のとおりですよ

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