2024年6月29日土曜日

アイオワでのブックバン

 


ブックバンなんて聞き慣れないが、焚書まで過激ではないが禁書運動のこと。

具体的には公設図書館から特定の書籍に追放(貸出あるいは閲覧の禁止)が組織的に行われている。

レッドステイツでよく見られるらしいから、ターゲットはリベラル系の書籍。とりわけLGBT関連が槍玉に上がる。


カバー写真は、あのフィールドオブドリームのワンシーン。

ケビンコスナーは都会っ子なんだがアイオワの片田舎の農場主、妻のエイミーマリガンはさほど有名じゃない女優だが、ストリートオブファイヤにも出演しているエドハリスの配偶者。



あとは、まことに能天気なまでに愛らしい娘と、伝説の野球選手の集合写真


野球映画だとおもわれていますが、、実のところ、レッドだろうがブルーだろうが(アイオワ州はスイングステイツ)アメリカン共通の普遍的な夢や希望、絆等の美徳への讃歌という理解が正しい。



だから、MLBもこんなお洒落なイベントが出来る。


衒学の極みと言われればそれまでだが、そんなことより、アタシとしては一番記憶に残ったシーンはPTAかなんかの会合のシーン。

あの「ライ麦畑でつかまえて」をブックバンにかけようという提案に対して、エイミーマリガンが火を吐くがごとき反対論をぶちあげ、、、、思わず拍手しそうになった(^^)

実際に、主人公のホールディンコールフィールドの社会批判はその内容と口調のエゲツなさもありCAですらブックバンの対象となっている。

おもえばノーベル財団は反体制を理由に迫害されている作家には文学賞を贈るくせに、どうしてサリンジャーにその栄誉を与えなかったのかなあ?

これまた、アタシがノーベル文学賞に冷ややかな理由のひとつ。


さて倭國でもブックバンの餌食となっている作品がないではない。 

対象の作品を殊更にことあげしないが、仮に映倫があれば、R15くらいのレイティングにしたいものだ。

それに誰も騒がないが、岩波新書の日本の歴史(井上清著)なんかはR18でもおかしくない。


アタシがお世話になっている公設貸本屋では、これらは誰彼なしに貸し出しも閲覧も出来ます。

表現の自由は大事だから、コンテンツに全面的にオブジェクションであっても、焚書はあってはならないが、理解力に乏しい読み手に対する教育的指導は欠かせない。



2024年6月28日金曜日

ある「復活」

 




歴史上最大の著名人の一人でしょうが、その彼の知名度は「死後再生」に由来する。
あのまま盗人たちと同列に磔になったしまっただけなら(・・・多分ですが)
羅馬年代史のコラム程度にもならない。
処刑後3日の後の「復活」という事象(本当にあったのかどうかは知りません)こそが、世界宗教への第一歩である。
聖人と言われる使徒たちだって、この「事象」があってこそ、死を賭して各地に布教に出かけたのである。

従って・・・・・彼の「伝記」のキモとは、
馬小屋で生誕を受けゴルゴダの丘で処刑されるまでの30年あまりではなく、
「復活してからの行状」だと思うのですが、内容的にも分量的にも福音書では貧弱と言わざるをえない。
その他のカノンでは、それなりに書かれているものもあるにはあるが・・・・福音書に比べれば、こころ波立つ程でもない。
逆に言えば、あまりになにもないというのであれば創造的創作をやってみようって・・・普通芸術家はそう考えるものだ・・・・・


彼をセンターにした映画作品を思い浮かべています。
総数は多くありませんが、それなりに力作ぞろいでいわゆる「伝記映画」の体裁です。
重要なマクガホンとして彼が登場する作品は、それ以上に有ります。
描き方に多少の視座の差は認められますが、共通して言える事は「復活してからの行状」を描くものではない。
やっぱり、不思議なことだとしか不信心ながらというかなればこそそう思うのです。


その理由を浅学非才ながらつらつら思うに・・・・やっぱり「カラマーゾフの大審問官」なんですよ。
ドストエフスキーは、法王庁なりがよくぞ発禁にしなかったって思うほどキケンなことを書いています。
要するに、教会という体制の中で今頃お出ましされると我々は迷惑ですって・・・
伝家の宝刀は抜かないから宝刀であり、教義の神秘の部分も、現実に見せてしまえば有り難みがない。


しかし、どの世界にも天邪鬼はいるものです(笑)
史上初(知るかぎりですので、すでにあったのかもしれませんが)の「復活後のキリスト映画」の登場


復活(RISEN)


困ったねえ(苦笑)
これ以上のものがない史上最高最大の感動劇なんですが、齟齬感とか違和感とか脱力感とか・・・そんなものしか思い浮かばない。

信心深いのであれば、アマゾンの動画配信サイトにはあります。

アタシは不信心ですが観ました。




















2024年6月27日木曜日

映画化

 



ネタ不足なんですよ(^^)

梅雨でアウトドアが駄目だし、濫読本はアマゾンの配達待ちだし、、、


小説自体は既にネタにしていますから「映画化」とは如何なるものかってお話


柚月ワールドの舞台は広島県の「呉原市」か関東某県の「米崎市」と決まっています。

背景説明からすれば高崎市のようですが、映画化の際には愛知県の米崎市となっています。これはロケーション協力が豊川とか蒲郡だからでしょう。



ストーリーは原作のプロットのまま大きな改変は有りません。

ヒロインの杉咲花が思いの外、、、大根なのはプチびっくり。

脇役も誰一人冴えないし、安田顕(杉咲の上司)が渋く立ち回ると思いきや、あてはずれ

しかし、杉咲が事件の真相を解明するヒントがおみくじに書かれた和歌とは、、、

それも、、、あの「世の中にたえてサクラのなかりせば....」だってえ?!

サクラに意味性を無理矢理もたせる牽強付会の極地とはこのこと。業平だって草葉の陰で(^^)


ある種のカルト宗教団体がからむ連続殺人事件なんですが、三人目の被害者への言及がない、、、

あれは事件じゃなくて事故、、、はないわ


やっとわかりましたよ。

貧弱なプロモーションに義憤の声をあげたアタシが馬鹿だった。

宣伝しても興収はあかんって最初から見切ったのだ。


2024年6月26日水曜日

中山七里ワールド

 



民間人探偵の超絶的推理なんかは最近は流行らない。
密室殺人トリックもネタが尽きたのか、、、限定的
昨今はもっぱら、警察ミステリー。
悪しき公安組織が暗躍し、犯人の多くはご禁制の品物を扱う893にチャイニーズ。

対するは、品行方正とは言い難い警部補クラス。

社会派という程の深みには乏しい。


中山七里


多彩な乱作を売り物にする。

雑多な知識はどこで仕入れたのかね(^^)

アタシより一回りくらいお若いが、雑学には負ける

なんちゃって、一種独特な外連味たっぷりな主人公の造形設定やらプロット。


岬洋介。

父親は検察のエース

本人は、天が二物を与えたらしく司法試験首席合格の傍ら全日本クラスのピアノコンクールの優勝者(ショパンコンクールのファイナリストって凄くありません)

勘当の憂き目なんさ歯牙にもかけず、検事よりもピアニストへ

作者のクラシック音楽の傾向的な趣味には呆れかえるが、コンクールの課題曲にベートーヴェンのピアノソナタの中でも難度の高い32番や21番、、、とりわけ32番なんかをコンテスタントが選ぶかなあ?

コンサートならまだしも、コンクールは減点法ですから難曲を選択する危険な真似はできない。


御子柴礼司(本名は園部信一郎)

触法少年、、、それもサカキバラクラスの猟奇犯が弁護士になり(元893の弁護士が実際におられるそうだから別に荒唐無稽でもない)有罪を無罪にするのは朝飯前。法外な報酬を要求するもんだがら、クライアントは、、、まあ予想できます。

彼もまた少年院時代にベートーヴェンに目覚めたらしき、モーニング音楽は「熱情」


中山七里ワールドの登場人物は、捜査関係者、メディア、法曹界の住人は皆さんユニーク。

かかるが故に、犯人も


司法研修所の教官

検察事務官

捜査一課の警部補、、、、あり得ないとは言わないがあまりにあまり







2024年6月25日火曜日

正史の編纂

 



衒学的なトップがいようがいまいが、業歴の長い会社には社史編纂なんてお仕事がある。
始めると会社の存続の間はやめるわけにはいかないし、辞めてもいいが、世間から小馬鹿にされる。
陽の当たらない姨捨山風なオフィスに、飛ばされたおじさんにおばさん(笑)
まあ、いいじゃないか。
青山いたるところにあり!

まあ、そんなもんで社史なんかロクデモナイが多いが、鑑賞に耐えうるのは、狭い知見の範囲ですが「郵船百年史」くらいから。

なんせ近代海運史そのもの。
しかし、稀に検閲をすり抜けた不都合な真実の記載があったりして、つまらん会社のつまらん社史も結構面白いのです。
多くは、六十年を一区切りに編纂し、十年単位で加算してゆく。
社史すなわち業界産業史と思うくらいの自負心がないなら、ゼロ一銘柄の名がなく(^^)


馬鹿にしたような言い方をしましたが、歴史編纂とは、正統性の証しである。
中国の正史が最たるものであるが、自分が討伐した前政権の歴史を編纂する事で初めて、王権の正統性が担保される。
その前提には、盤石の政権体制があり、不況のドン底の企業なんかはそれどころではない。
明日がしれない状態で、輝く未来に躍進、、、なんていくらなんでも恥ずかしい。


生きているうちに、清朝正史が読めるとおもっていたが、洞察力がなかったようだ(笑)
21世紀後半くらいになりそうだと以前にどっかで書いた記憶があるが、出来ない可能性も相当にありそう。


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話題を変えると、誰が編纂をするんだって基本的な問題
辛亥革命後、袁世凱が正史編纂事業を始めましたが・・・・たぶん頓挫したんでしょう
台湾に逃れた中華民国は「草稿」を発表していますが、正式完成版は・・・どうなったのかねえ
北京政府は、10年ばかりまえに編纂委員会を組織し、
2010年代初めにはリリースすると発表していますが、その後うんともすんとも(苦笑)



2024年6月24日月曜日

異聞百人一首

 




著名な歌人を百人選び、代表的な和歌を夫々に一首選びアンソロジーとする
ある種のアイデア商品なんだが、定家の発案だからか、過度に褒め称えられ今に至る(王朝美學の基準となり、果てはカルタとりにまで)
さりながら、、、
どうしてあの歌人を外したの?
なんであんな凡作を選んだの?、、、とか
無節操無定見に崇める向きの一方で疑念の声をあげる、、、まあ天邪鬼な和歌好きもいます。


アタシは多少後者かな

室町幕府の将軍義尚は「私撰百人一首」を編纂しています。さしたるものでもないが「定家の撰にもれた歌人ばかり百人選び」その百人の勅撰集に選ばれた和歌による詩歌集。

お手軽な作りかたです。勅撰集に選ばれない歌人や和歌は最初から除外かあ(^^)


真面目に読んだわけでもないが、、、


大伴旅人

源順

源三位頼政

俊成女

宮内卿、、、、ここいらを外すようだと見識を問われるが、定家は理由は知らないがオミットしています。定家は特段名歌人や名歌をえらんだわけではないのだろう。

なんにせよ、義尚の労作は「二軍選手だけのオールスター戦」みたいなものにしかならなかった



昭和の定家と畏怖される鬼才塚本邦雄にも「私撰百人一首」がある。定家が選んだ百人の、定家が選ばなかった和歌によるアンソロジー

しかしながら、阿倍仲麻呂と陽成院だけは、定家の選歌のまま。定家が一番適切な選択をした、、、のでなく作例に乏しく代替がなかったからのようです。

巻頭から塚本撰を並べましたが、、、この和歌群の出来栄えは定家撰よりよさげ



最後に真打登場

丸谷才一撰「新々百人一首」

自分勝手に百人を選び、勅撰集の部立てに配慮した選歌です(定家版は恋唄が多すぎます)



多少時間があれば、定家と丸谷才一の選んだ歌人を比較して、次に塚本の選んだ和歌と見比べてみよう。





To be continued 

2024年6月23日日曜日

夏至

 



タイミングが少し遅れましたが「ミッドサマー」のこと。
「真夏」ってのは、逍遥先生の誤訳(シェイクスピアの真夏の夜の夢)ということになっているので、昨今は「夏の夜の夢」なんて邦題も見かけます。
無論、反論の声もかしましい(^^)

英和辞典的には、両方とも載ってますし、、、




窓ちかき

いささむらたけ風吹けば

秋におどろく 夏の夜(よ)の夢


       春宮太夫公継、新古今和歌集夏部


さしたる和歌でもないが、古歌の有名なフレーズを巧く換骨奪胎してノリだけはなかなか良い。

本歌はあれこれ直ぐに頭に浮かびます。

真夏や夏至のフレーズのある和歌を探したが、雅語じゃないみたい。

短歌にはありますが、王朝和歌の世界では、、、まず見当たらない。




冬の長いノルディックでは、夏至の頃は盛大にお祭りです。太陽の恵みやらなんやらある種の宗教性も。

死と再生の土俗的な、、、

そうなるとホラーまで射程距離


オリジナルタイトルは英語でなくスェーデン語みたいです。




2024年6月22日土曜日

五月雨とか梅雨とか

 



水無月祓もおわるころ、、、王朝美學的には秋の風情。

七夕や天の河の和歌が......
それでなくても右脳と左脳での季節感の差異の居心地の悪さ。
この齟齬感がなんとも......加えての気象の異常感



毎日鬱陶しくも降る雨
天気予報的には「梅雨」というのでしょうが、気分は黴雨。王朝美學の世界では「五月雨」
つまり、俳諧の世界では梅雨というが、和歌集では五月雨。言葉としては五月雨が先行しますが、なくなったわけではなく、句集にはどっちも登場します。
気取った一句は五月雨、俗っぽく詠めば梅雨と、、、使い分けているのかな(^^)



天の河八十瀬も知らぬ
五月雨に思ふも深き
雲の澪かな(千五百番歌合 夏 定家)

思ひやれ
訪はで日をふる
五月雨にひとり宿もる
袖の雫を(金葉集 恋 肥後)



定家の和歌は歌想がぶっ飛んだみたいな異次元の夏歌。夏に銀河とはかあ、、、マルチバースはあの時代から定家出来にはあったのだ。

肥後は十二世紀頃の宮中の住み込みのキャリアウーマン。
堀河院艶書合なる、、、懸想文なり恋歌の優劣を競う歌合の際の一首。普通の歌合と違い、恋歌の相聞形式である事が特徴で後世に残る、、と言っても知名度は限定的。


ふる....経ると降る
もる....守ると漏る

降る、漏るから縁語の雫とよくある技法なんですが、
長雨のなか部屋に閉じ込められるように彼が訪ねてこない日々。袖にかかるは降る雨の雫か吾が涙か




2024年6月21日金曜日

タイトルロールの研究

 



超簡単にいえば「映画(に限らずですが)の主人公の名前=作品名」です。
例を上げればきりがないのですが・・・

レベッカ
ジュリアス・シーザー
定家(謡曲)
ドン・キホーテ(バレー)

ある意図性をもって、あげつらいました(笑)
実は、本編には登場しない主人公ばかり、、、知る人ぞ知るが、実は一部は脇役通行人程度に登場です。
逆に言えば、作り手にある種の自信があるので、そういうしつらえをやってみたってことです。
才能のない作り手がリバイバルなんかで手がけた際に、あえて登場させるととんでもない愚作になる。


スノーホワイトの続編がスクリーンにかかったのですが、、、お気に入りのアクトレスが三人も出ていますし、CGも凝ってまして・・・・しかしなんともねえ
評論家さんは酷評するし、
極私的プロ映画鑑賞家は・・・・・かなりな時間が爆睡状態だった記憶だけがある。


実は、このスノーホワイトには、白雪姫ちゃんは登場せずに、邪悪な継母とその妹なんかが登場します。
プロ目線からすれば、成功する名作になるはずが、一体どうしたことでしょうか?
長年の映画鑑賞手法に自信がなくなった。
悄然として、ネットで摘要なんかを調べるに・・・・そういうことか!!
スノーホワイト・氷の王国って邦題は、オリジナルとは似て非なるもの

原題は「 The Huntsman: Winter's War 」

前作は単純和訳だと「白雪姫と狩人」でしたが、でもちゃんと白雪姫は登場したはずだ。

二匹目の泥鰌を狙うには、、、
映画興行業界は最近タイトルのつけ方のセンスが悪くなった。

ひとえに語彙力(国語力)の低下と、製作側がオリジナルタイトルに近いタイトルを求める事からあまり創意工夫をしなくなった。

逆にカタカナのタイトルだとオリジナルのままかと勘違い。


先人たちの労苦を偲んで、、、カッコ内がオリジナルあるいはオリジナルの邦訳


勝手にしやがれ(息を切らせて)

あるいは裏切りという名の犬(オルフェーブル河岸36)

巴里祭(7月14日)





2024年6月20日木曜日

オーウェルの「予言」

 


.....


オーウェルのかの「1984年」で、語られる概念

お手軽にウィキの解説の一部を引用すれば、、、




New Speak(新語法)はつまるところ言葉狩りである。

幸いにも倭國に横行する言葉狩りなるものは単なる「言い換え」に過ぎない。言い換えをすれば事は解決すると思う小役人論理が笑止だ。

しかしオリジナルの語法なり言葉が失われた時が恐ろしい。

上下関係や支配従属関係を露骨に表現する「下女」なる言葉だが、お手伝いさんと呼ぼうが中身は下女に変わりない。

下請もまたしかり。

アタシの古巣では「協力会社」と呼んでましたが、やりとりのなかで、言葉が荒くなれば、ついつい「わきまえろ!下請の分際で、、」


法律名称をかえても何も変わりません。

差別言辞ならば、差別言辞の実質が無くなるまでその言辞を使い続ける方が差別解消の王道だと思うのが、かようなフロントに長らく巣食うていた現場の声

改称しても利点が少ない、、、のはその意味合いはともかく今もまったく変わらない。

部品メーカー(はやい話が下請)の生き血を吸い尽くして(この大会社では原価低減といいます)倭國始まって以来の営業利益◯兆円って何が誇らしいのかなあ




2024年6月19日水曜日

コロンブス

 



悪い意味のMV騒動なんですが、BBCが取り上げるくらいだからこのグループは世界的に人気があるんだろう。

多額のある種の有名税を支払わされたのは気の毒な事。


BBCに申し上げるならば、倭國ではまともに歴史教育が為されていませんし、多様な価値観や歴史認識を教えるなんて高度な教育は無論のことなされてはいません。

このグループや関係者だけを責めるのは的外れ


さて視座を変えれば、善人だって悪人になる。

安重根なんて英雄と思う向きもあるが、当方からすれば単なるテロリスト。

少なくとも今の価値観で過去を断罪するのは、それこそ上から目線

あの「猿の惑星」のような描き方ならなんでも許されるのかねえ?

見ようによれば「逆説的な差別」意識なんですよ。




歌詞を読んでみましたが、差別性は感じ取れないが、なんとも空虚なレトリックだらけで、言葉の使い方があまりに貧相

歌詞だけを歌集として編纂できるような作品は、昨今は皆無にちかい



2024年6月17日月曜日

つばめのいない夏

 




過去40年間に絶滅した脊椎動物の個体数は60%以上、欧州の飛翔昆虫の八割が姿を消した。

自然科学者は、これを「六度目の大量絶滅」とよぶそうな、、、


つばめの和歌、、、ついど聞き及ばない。
岩波の「八大集総索引」みても、出例は皆無。
王朝歌人の琴線に触れるような鳥さんではないみたいです。
一方、中国でも同じ渡り鳥でも雁は蘇武の故事もあって、人気鳥。

万葉集四千五百首のなかでは・・・たった一首

燕来る 時になりぬと 雁がねは 国偲びつつ 雲がくれなく

しかし、主役はあくまで雁。

 
 
 

無粋な(でも小利口な)鴉ばかりが、傍若無人に動き回り、つばめはもとより雀も見なくなった。
古来、稲作時の害虫駆除の益鳥として、大切にされてきたし、街中でも、ツバメの巣のある家は安全であるって言われてきた。
餌となる害虫が少なくなり、巣作り用の泥や枯れ草の入手が困難になったからか・・・やはり個体数が減り飛来数がへってきたのでしょうか?
 
ツバメは、飛来すると代々同じ家に巣作りをするそうです。
寒村の陋屋にも毎年、今頃・・・やってきます。
そう・・・「マレビト」みたいに(って折口先生ならいうのでしょう)
 
陋屋の玄関が両開きで間口一間、大きさで京間六畳程度の玄関口なんですが、
毎度、その玄関の内側に巣作りを始める。
普通は、軒先に作るのが礼儀だと思うのですが、
まあ、家主に似たのか傍若無人なんです。
そうなると、困ったことに、玄関戸を閉めるわけにもいかず、24時間、三寸ばかり開けたっきり。
無用心きわまりないが、マレビトさまの言うとおりに・・・
糞を落としたりもしますから、糞よけの棚をつくり・・・本当に我侭な
マレビト様がお越しになると大変です。
そうこうしているうちに、雛が生まれる。かわいくもあり、うるさくもあり
しかし、よく、巣から落っこちるんですよ(^^)
そうなると、出番は、捨て猫暮らしの長かった我が家の獰猛な愛猫の出番。
待ちぼうけの百姓よろしく、一日中、巣の下で雛が落ちるのをまちまかえている。
そんなこんなの風景も、十数年前に途絶えた。



レイチェル・カーソンが「鳥たちが鳴かなくなった春」ということで環境問題に警鐘を鳴らしたのは、62年のこと。女史は「六度目云々のような外連味たっぷりな」表現を使ったわけではないが、もう、半世紀も前のことです。
鳥の声はますます聞こえなくなっています。




 


2024年6月16日日曜日

イソップの寓話から

 



同じような説話は世界中にあるらしい。
表向きは「教訓説話」だが、山奥の湖は神秘的でミステリアスな「なにか」が巣食っている、、、

アーサー王伝説でも「湖の乙女」は重要なモチーフだし、それに先立つケルト神話やゲルマン神話にも「水辺の美女」が登場する。

そして、必ずしも全幅のしあわせを与えるものでもない。


一般的には「金の斧」説話であり、正直が最良であると教える。正直者の木樵は、金と銀の夫々をご褒美ににもらったのはいいが、、、それからどうしたのかなあ?

貨幣経済以前の山奥なんだから、タカラの持ち腐れ。

強欲な木樵は、普段使いの鉄の斧まで失い、、、この話は、経済以前。



今時は「教訓」をあたえる沼なり湖なんて、まずお目にかからない。

その代替が、、、家庭用のプール


確信はまるでないが、アメリカンの戸建て家庭の一割弱にはプールがある。

しかし、確信があるのは、幼児の事故死の一番がプールの溺死だということ。


じつに悍ましい事実だ。

同じ水難でも、家庭用プールと言われれば、単なる保護義務懈怠かしら?


って、まあ悪しくかんがえるとかような夏のホラーになる。

批評家のコメントも興収も見てませんが、、、まあ無視だわ(^^)


2024年6月15日土曜日

女の園

 




女子大学が絶滅危惧種状態にある。


進学率が頭打ちで、加えて建学の理念(就学の門を閉ざされた女子に勉学の機会を与えるとか)が時代錯誤となった以上、よっぽどの女子大でもない限り、生き残りの道は「共学化」しかないみたい。



アタシの下駄履きアパートの近くに、共学化した女子大学がある。

共学化以降四半世紀経ち、男女比は概ね半々。

まずはうまくやっている部類かも?

さらに「国際看護学部」が偏差値を牽引している。要するに英語で医師や患者とコミュニケートできるナースの養成専門学校。目の付け所は悪くないが、さて実力のほどは、、、それは知らない。



我が家のケメコさまの母校からのお知らせ


中高大の一貫女子学園なんだが、出来の良さそうなのは外部の大学に行くし、箸にも棒にもかからないのは就労の道を選ぶ程度のレベル。中途半端はエスカレートで大学へ

その程度ですから、大学は昨年男女共学に踏み切った。加えて、来年度から中高を「女子部と共学部」に分ける。


普通に男女共学とは言わないのが工夫らしい。

時代が変わっても、女子専門教育機関に愛着を持ち、またオンナの園でないと嫌!っていう向きもありますから、その辺りへの配慮をし、でも学校選択で女子校であることを忌避の理由とする声も大きいから、、、アタシにはアブハチとらずの筋の悪い折衷策に見えます。



オトコがいないのが嫌だって声は、実は半世紀前からあったのです。

某大手予備校に実際あった話だが、志望大学別コースの中に「女子大コース」を作ったところ、鳴くのは閑古鳥

そもそもオスザルを対象にしないし、メスザルは「オスがいないんじゃつまらない」というし(^^)



この全国初の試みだが、嫌男派からは、たとえオス一匹でも嫌なものは嫌。共学派は、中途半端って思うだろう。

それに、アタシには女子校を志望するオトコの心情ってわからない。

男女比率が極端でも、モテないのは最後までモテないよ(^^)