アウシュビッツ・ビルケナウといえば、想起する風景は多分これだ。
荒涼たる風景
後戻りが出来ない一本の引っ込み線
古びた煉瓦の建物
Albeit Macht FREI. なるスローガン(この写真では判別出来ないが、、、)
しかし、実際の風景は人里離れた長閑な田園の一角。水遊びの出来る川やピクニックに最適な野原もある。
そして「収容所」に隣接するルドルフヘス夫人御自慢の庭園邸宅。
所長のヘスは隣の収容所に日勤し、夫人(密かにアウシュビッツの女主と呼ばれていた)は近隣の住民を作男や下女に雇い入れ、家政に余念がない。
今以上に庭園邸宅を磨き上げること以外にはなんの興味も示さない。
白煙をあげて収容所に向かう貨物列車
木陰の彼方には強制労働に駆り出される収容者の列
塀の向こうから聞こえる罵声に悲鳴や銃声
日夜黒煙をあげる煙突
ヘス夫人は、何も見なかった、聞こえなかった、感じなかったのか?
そんな筈はない!
ヘマをした下女に当たり前のように言い放つ。
今度しくじった主人に言って、焼却炉で灰にしてあげるから!
叱責された下女は、、、アタシの見るところ「またか!」って
つまり、庭園邸宅に関わる塀の外側の誰もが、知りながら無関心を装う
無知と無関心はまったく違う
無知ならば学べば済む話だが、、、、
多少違うかもしれないが、かのカエサルが喝破したように(塩野女史によればなんだが)
ヒトは見たいものしか見ない、、、という所謂コンサルタントお得意の「確証バイアス」もよくにたもの。
しかし、リアルな現実からすればそんな気取った話ではない。
このマニアックな映画は、カンヌのグランプリ、オスカーの国際長編映画賞と賞レースを席巻。
尻上がりに評判が高まり、、、いまやアート系シネコンでは日時を問わず千客万来
辛気臭くて面白み皆無ながら、尺が短く(百分強)、、でもなんとも長く感じる苦行めいた時間はもう一度って気には絶対にならない。
ネットの映画批評には、これでもかってくらいに掲載されてますが、アタシはまったく読んでいないし、読まなくても想像がつく
多分に、シオニストたちの洗脳的扇動活動の一環に決まっている。
映画は、一時の享楽と娯楽が一番。
映画が民主主義の学校だった時代は半世紀前に過ぎ去ったのだ。
しかし、それでもサイレントマイノリティな映像作家はカメラを回し続ける。
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