彼の生涯をみるに、、、、
生誕は1155年
父の逝去に伴うポスト争いで賀茂神社での神職の道を閉ざされたのは、1175年
その後は、和歌と琵琶で名をなし、捲土重来を企むも断念。
都がダメなら鎌倉で、、、これも失敗して、隠遁暮らし。
どうやってご飯を食べていたのか分からないが、
1210年代にはいり、無聊のままの筆遊びの方丈記、一回りは若くて傍若無人な定家が脚光を浴びるのが腹立たしいからか、無名抄でかなり罵声を浴びせています。
1216年に逝去
そう思えば、やはり歌人としてネタにするのが手向の一輪かなって(^^)
照る月の影を
桂の枝ながら 折る心地する 夜半の卯の花
秋風の
いたりいたらぬ袖はあらじ
ただ われからの露の夕暮れ
夜もすがら
ひとり深山の真木の葉に
曇るもすめる 有明の月
まあ、偏差値50の和歌なんていくらでもありますから、批評する気にもならない。
晩年の随筆と歌論書で歴史に残っただけ、、、だが、掉尾の一振と思えば、よき人生だった。
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