2024年6月11日火曜日

夢のゴミの洲

 



江戸時代は理想的な「循環型社会」であった・・・・ということになっている。
近代日本の到来を告げるすばらしい明治維新のアンチテーゼとして「暗黒の江戸時代」を演出するような
教条的な歴史観よりはまだましだが、過度に美化されてしまえば、胡散臭くもある。
激しく礼賛するのであれば、自分自身が循環型のライフスタイルの側に身を置けばいいのだが、大量消費社会を満喫しながらだから自己矛盾も甚だしい。

江戸時代にはさまざまなリサイクルビジネスが活況を呈したことは事実だが、それは製造業の生産性が低く(製造技術力が劣位ってことでもありますが)、
需要に供給が追いつかない、あるいは慢性的な高価格状態であったことによる。
単にその時代に一番適合したビジネス(ライフ)モデルが「リサイクル」であったということに過ぎない。



江戸の下町(山の手でないという程度の意味)には、越中島とか霊巌島とか築地って地名があります。
一見してわかることは「埋め立てられて造成された陸地」ってことです。
今でもそうですが、埋め立ての原資は「廃棄物・・・・つまりゴミ」です。
海面に一定の囲いをし、毎日の発生ゴミを投入、表面には、川ざらえの土砂なんかで覆ってしまう。
江戸前夢の島というか舞洲って、昔からあったのですよ。



製造され、流通し、廃棄されるプロセスが使用歩留まり相当にとどまれば、新規製造は限りなくゼロになる。
新規製造とリサイクルの経済相乗効果の差はいうまでもない。
江戸時代とは、暗黒の停滞社会ではなかったっていう以上、この時代はあちこちで新田開発、流通網の整備、一村一品みたいな新規商材の市場投等により劇的な貨幣経済が発展した。
江戸初期の人口は(さまざまな説があるのですが)1200万人から1500万人くらい。
末期には3000万人を超えていた。
江戸にいたっては、世界最大の百万人都市(たぶん町人階層だけ?)
どうみても「停滞社会」であったとは思えない。
リサイクルだけで経済が成長するのはかなり厳しいと思えば、江戸時代とは静脈経済がいまよりも経済における割合が大きかった程度にとどめておくほうがいいように思えます。


エネルギーも原材料も自国内調達しかできないし、余剰生産物だって輸出するのき制約の大きい経済体制を与件とした場合の最適経済モデルがたまたまそうだったって。
狂信的・・・・といって悪ければ熱心なエコロジストたちの主義主張の果てには、この日本列島には、ぜいぜい5000万人程度の「小国寡民国家」像しか見えてきません。

その社会モデルが悪いとはいいませんし、アタシ的にも理想ではあるが、本当にそういう世界を望んでいるのかどうかがよくわからないもので・・・・


0 件のコメント:

コメントを投稿