王朝美學の風物からは、ほぼ完璧にシカトされてます。
色合いの変化や梅雨の雫を含む姿ってこころ揺さぶるものがありそうだが、、、
我々が慣れ親しんでいる紫陽花は西洋から逆輸入された種類だそうで、古典的な紫陽花は結構ショボいから好かれなかったのでしょうか?
八代集や源氏物語には影も形もないとあちこちに書いてます。
しかし、今時に王朝美の精華としての詩歌集を編纂する際に紫陽花を無視するのは如何か、、、と塚本邦雄は「清唱千首」上梓の際に悩んだのでしょう。
名唱とも思えない紫陽花を二首夏部に入れてます。
貫之の古今集編纂時のように、意に叶う和歌がないから、自作を読人不知で素知らぬ顔して参入でもよかったのかも(^^)
江戸期ともなれば、絵画なんかにそこそこそそる作品がありますし、明治以降はあちこちにお手軽なアジサイ寺はできるし、近代俳句では、、、
紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘(子規)
彼ってこんな洒脱な俳句が作れるんだなあ
案外だって、見直したわ(^^)
でも、紫陽花の花言葉を俳句風にしただけの単なる地口かもしれません。
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