有り余る才能を食い散らし生き急いだように世を去った橋本治氏の近代文学論「失われた近代をもとめて」
全三冊
眼光紙背に徹するように読んだ筈だがもう忘れた。
第一巻は「言文一致体の誕生」だった。
忘れた理由は、彼の説に賛同しかねる、、からだったに違いない。
19世紀の西洋文学のトレンドは「自然主義」ありのまま、、、つまり「写実」
西洋のものをなんでも、、、とりわけおフランスならばって事で無批判的に受容した倭国の文藝
言文一致体もその流れというのが文学史の定説。
真っ向から異を唱えるほどの学識はないから「色んな見方ありますよ」という程度で、、、、
このテーゼの前提は、近世以前は話し言葉と書き言葉は別物という事だが、エビデンスがある?、、、訳がない(^^)
レディムラサキがどんな口調で清少納言を罵倒したのか、和泉式部がウンチャラ親王との褥の中のむつみごとなんか、、、どんな日本語を喋っていたか誰も知らない。
しかし江戸後期あたりの戯作なんかは既に殆ど言文一致だし、文献的実証が出来ないのですがアタシの仮説は「江戸期には既に標準語が存在し、それは謡曲の文章であった」ということ。
能を舞うことは武家にしか許されなかったが、素謡は町人の嗜みでもあり、一定レベルの武家や町人ならば当たり前の素養であった(落語の「高砂」を聞けばよく分かります)
そう考えないと、薩摩と津軽のお武家はどんな言葉でコミュニケーションをとったのだってことになる。
つまり、シテとワキの問答みたいに会話をする、、、これを言文一致といわずに何というのか
それに、話芸の宝庫の倭国。
落語や講談の詞章なんかをそのまま書き写した書物もあったはずだ。有名所は円朝師匠の「真景累ヶ淵」に代表させますが、それに先行する口演筆記本がなければ、言文一致体の成立には困難を極めた、、、というか、文藝のヒエラルキーの頂点にあぐらを描く小説よりもこの落語本の方が遥かに豊穣で面白い。
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