ともあれ自然主義的私小説が近代日本小説の保守本流とされ、その嚆矢が田山花袋の「蒲団」、、、なんてことは、高校の国語教科書で覚えた。
読んだことはないし、先生から読む事を推奨もされなかった。教養として「去っていった女弟子が残した座布団の残り香を懐かしみ、、、」って程度は知っていた。
近代日本文藝の保守本流には冷淡なアタシだが、揶揄嘲笑する以上は「蒲団」くらいは、青空文庫で超続しておこうって、、、しかしなんだねこれは。
高校教師が推奨しなかった筈だ。
ありていに語れば、、、
隠しておきたい内心や性癖を赤裸々に主人公=作者的に書き連ねる事が私小説であり、その赤裸々感がセクシャル的であればあるほど自然主義だということ。
この路線にあの二流作家慎太郎の「ナニで障子を突き破る」有名なシーンまではあと半歩だ。
しかし、花袋の原作のエンディングはアタシの想像を絶するくらい生々しい。
女弟子が残していった蒲団を敷き彼女の夜着を身にまといその残り香に涙ながらに悶絶、、、ってかなりなもの(^^)
文藝には「藝術性、社会性、娯楽(大衆)性」の要素が必要だと思うが、この小説は「刺激性、露悪性、倒錯性」しかない。
こんなものを源流とする文藝なんて、、、やっぱり末路は骨粗鬆症なんですよ
これはある種の三角関係だか四角関係のメロドラマです。うら若い女弟子と妻子とひとつ屋根暮らしって、、、どんなんだろう?
女弟子には恋人がいる(清らかな交際中という事らしいが二人は嵯峨野で一泊までしている)がなんとも生活力のない書生っぽいポッチャリ男。最終的に袖にされるのも当然なんだが、メロドラマらしく妻や書生の内面ももう少しドロドロと書き込んで欲しいものだ。
女弟子は岡山の素封家の娘で両親ともクリスチャンだからその傾向の寄宿制度のある神戸の女学院の生徒さんらしい。この女学校はその当時は花隈あたりにキャンパスがあったはずだ。
弟子入りして上京し、どっかの学校にも通っていたのだが、それが何処だかは分からないし勉学に励んでいる様子もない。
ちなみに女弟子とその恋人にはモデルがいた。
小説のような実録だかどうかは知らないが、、いまだと確実にプライバシー侵害で出版差し止めと慰謝料請求だ。
それ以前に発禁になるなあ、、、風紀紊乱とはこのこと
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