2015年5月24日日曜日
アファーマティブ・リアクション
チャンスは平等
しかし、結果も平等 ・・・と言われれば、ちょっと首を傾げたくなる。
機会均等とは「前者」を意味するのであって、後者はちょっと違うよねって
思うのが健全な社会常識。
各種ハンディがあっても法学部や医学部の受験ができるように一定の「配慮」をするのはいい。
卒業できるように相当の就学支援もまあいいだろう。
しかし、学校の成績奈何にかかわらず誰でも弁護士や医者になれますって言われると、
事はおかしくなる。
そもそも「アファーマティブアクション」のおかげで、まともな学力がなかったんですが
医者になれたんです・・・ってことがバレれば、患者は誰も来ない。
実際に、なんとか同盟の要求に屈して若干名を受け入れた医学部があるらしい。
幸いにして・・・といえば物議をかますが、挫折したと言われている。
ムリ編で門戸開放をしても、能力がないとどうしようもないし、
そのトバッチリをこうむった若者がいるはずであり、制度の罪科は倍増する。
戦前の華族制度上の学歴優遇措置ですら、定員未達の帝国大学は無試験入学ができたらしいが、
以外は真っ当な競争社会であった。
確かにねえ・・・我が身を省みて、峠を三つ、吊り橋を二つ越えないと街中に出れない
人跡まれな寒村でなかったら、もうちょっと小賢しく勉学できて、
ワンランク上のブランドと言われる学校の卒業証書がもらえた可能性は十分あると
思う反面、そんなものは、本当の才能じゃないって心の声は嘯く(笑)
まあ、世の中、社会的弱者であるとか、マイノリティって騒ぐと得するような
システムになったんですねえ。
真に正義公平とは難しいものである。
韓非子に曰く・・・・
富人に徴斂して 以って貧家に布施するは
是れ力倹(努力と倹約)より奪いて怠贅(怠惰と贅沢)にあたうるなり
程度問題ってこともあるが、富人と貧家が固定化するような社会システムを
放置はできないが、富人を貧乏にしても貧家が富裕となるわけではない。
名馬(才能のある奴)はどこにでもいる
しかし、伯楽(その才能を見出す者あるいは見出す仕組み)は、
なかなかうまくはいかないってことは歴史が教えている。
努力と才覚だけで世渡りができ、成り上がれるのが「乱世」の時代。
適時・適当に「戦国時代」が到来するっていうのは、ある意味で次善の解決策かもしれません。
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