2016年7月25日月曜日

赤白歌合戦


大晦日国営放送の歌番組には興味はありませんし、団体戦の勝敗や勝率はさらのこと。
然しながら、問答歌というか、男女の歌の掛け合い応酬はまことに知的である。
投げられた和歌の字句を巧妙に換骨奪胎して、ひねり返す。
なかなかのものですが、どうやら、和歌の世界は女流が王道なので、この手の世界でも、女歌の方が巧妙という傾向にある。
まあ、婦女子の問い掛けに対して、しっぺ返しのように返歌するような辛辣さを
オスザルは持っていない、あるいは封印しているって事でしょうし、
風景的にも、女歌がピシャリとやり返す方がサマになる。
紅白歌合戦も赤組勝利!って歓声をあげてる方が、良い年が来そうな予感。


応仁二年(1160年代)のこと。
西行法師が旅の途上で雨に降られ、江口の里の民家で雨宿りを乞うた時のこと
その家の女主人は雨宿りをにべもなく断るのもんで、ムッときた西行が一首

西行 世の中を いとふまでこそ かたからめ 仮の宿りを 惜しむ君かな

女主人 世をいとふ 人とし聞けば、仮の宿に 心とむなと 思ふばかりぞ

この問答歌は、新古今和歌集にも収録されていますが、少なくとも西行の歌は出来がよくないし、文意不可解。
出家までするのは難しいとしても、あなたは一夜の宿まで惜しむのですか・・・という解釈なんですが、
上と下がうまく繋がらない。
若き日の西行ですから、作歌能力も修行中だったのでしょう。
一方、返歌の方は巧みです。
世を嫌って出家された方なのに、仮の宿(=この世)に執着なさるなんて・・・・と思っただけですって
婉に歌われると、座布団一枚って大向こうから声をかけたくなります。

昨今の風俗嬢と違って、王朝世界では、遊女とは半端でない教養の持ち主。
この伝統は吉原の太夫にまで引き継がれ、
よき時代の銀座のクラブホステスですら、チャンと兜町新聞程度は読んでいましたし、
接客時の飲み食いはご法度、オフでも水仕事は手が荒れるから一切しない・・・
今思えば、ゆめまぼろしの世界です(笑)


この江口の里の遊女伝説は語り継がれ、
今でもその後出家した女主人の庵が寺となり、大阪の東淀川に現存します。
遊女の名は妙と伝えられていまして
平家の貴族の娘で、滅亡後没落し遊女に身を落としたとされるが、
平家滅亡は、西行晩年のころで辻褄が合わない。
剥落し、苦界に堕ちればなんでも平家の末裔って言っておけばいいのですよ。

謡曲の「江口」の素材にもなりました。
嫋々面々たる名曲って事になっています。


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