2016年7月6日水曜日
戦後史の「悪霊」
水無月祓というわけでもないが、稲垣武の「悪魔払いの戦後史」を読んだのは、けだし六月の終わりである。
得心もし、暗澹ともなり、やっぱり理解不能なことが混ざり合う慙愧ともいうべき読後感。
僕等世代ってある意味で被害者だし(意図せざる)共犯者なのです。
著者は、元朝日新聞の記者。
すでに物故されているが、問題の著作は94年頃の刊行
未だに読みがいがあるという事が倭国の慢性的な内臓疾患のようなものである。
彼は高校の頃前衛党への入党(ミンセイかも?)が叶わなかったらしい。
理由はわからない。
結果として、その後共産主義に幻滅することになる。
世界史的に30年代は先進資本主義国に於いて、共産主義は希望の星であり知の巨人とも言える方々が
挙ってその陣営に与した。
その後幾多の裏切られた革命なんかを知るにつけ、悪霊退散とあいなったのは英国、米国ともおなじである。
どういうわけか、倭国だけは、何時までも悪霊が跳梁跋扈する。
これでもか!という位、悪業の証拠を見せられても
良くて、沈黙
普通は、弁解
不埒者は、詭弁を弄した反論。
政治家なら選挙でただのヒトザルにしてやるが、
彼等は、断罪も反省もなくしかるべき地位にいつまでも胡座をかいている。
歴史という法廷の被告席で裁かれて然るべきだろうとおもうのですが、倭人って健忘症なのよねえ。
少なくとも、地位名声を背景に国民を悪しき方向に扇動したわけであり、その損失たるや金員に換算しがたい。
流石に、手放しの礼賛はなくなった。
将軍様を敬愛したり、文化革命を賛美したり、拉致は捏造とは今となってはとても言えまい。
であれば、昔のことだって自己批判してくださいよね(沈黙は卑怯ってもんですよ)
当時の状況であれば致し方ない判断だったという言い訳は通用しない
左翼幻想なる悪霊の司祭たちは、反資本からくる反米一辺倒だけではなく、
戦前の鬼畜米英なる反米意識までが基層にあると著者はいう。
反米である以上、反親米と同じ。つまりは「反日」なのです。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(笑)・・・根の深い問題だという事です。
ということで手を変え品を変え擁護する客体を変化させ、しぶとく生きながらえる。
老獪な事に、反核、環境、人権、マイノリティ.........
プロの扇動家のくせに市民運動の衣をまとい、被害者ヅラされるから批判しにくいのがミソ。
幅広く共感する善良な人々を結集させ、人民戦線方式(そんなアブナイ言い方はしないが)で、運動の盛り上がりを演出する。
これをまた、売文左翼や商業左翼が持ち上げる。
反政府の立場に立てば、権威に対するアンチテーゼとして、一定の賛同が得られる。
かつて、ルネサンス研究家だと言われるかの羽仁五郎曰く
支配者が被支配者を追い込めば、そこに生じた事の責任は支配者にある。
真理や正義は抑圧されるマイノリティの側にある。
造反有理とか反日愛国とロジックは同じである。
もはや、悪霊の下僕である。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿