2018年6月28日木曜日

難民(1)



1951年の「難民の地位に関する条約」に定められた定義によれば

人種、宗教、国籍、政治的意見や、
または特定の社会集団に属するなどの理由で
自国にいると迫害を受けるか、
その恐れがあるために他国に逃れた人々を「難民」という。

それ以外の理由であれば「移民」という言い方になる。
上記以外の経済的事情などを理由に別の国に移住する人々」を指すが、
永住の意図や自発的な意思も必要だとか。

倭国も八十年代に批准したはずです。
おりしも、ボートピープルを救え!って輿論の前に
渋々みたいに....
実際のところ、多数の難民を受け入れたわけではない。
解釈次第ですが、戦火を逃れとか住む家が焼かれだと
該当しないと言い張っているのでしょう。

なんせ倭国が組織的に大勢の難民を受け入れたのは
百済滅亡の時くらいですから、雰囲気が解らないのだ。
国内的には、稀に逃散なる村ぐるみ難民化があったが、そもそもは
土地に縛りつけられた民族である。
世界的には、場所を変えつつ絶えず起きています。

今は中近東、その前は東欧(バルカン)やアフリカ
思えば、どこもかしこもオスマン帝国支配地域。
寛容で緩やかな帝国支配は、パクスロマーナにも匹敵すると思いますが、
欧米中央史観からは斯様な概念は出てこない。

なんとも倭国からは遠くて遠い国々で皆目土地勘がない。
中近東を理解するために、メソポタミア文明まで遡る必要もない。
オスマン帝国の興亡を紐解けば大体は分かるだろうし、
とりわけ衰亡史だ。

しかしこれがまた長丁場でして....
二世紀以上の時間をかけて安楽死しちゃうのだなあ。
死亡原因は様々。
多臓器不全みたいなもの
創業には成功したが、守成が上手くいかなかったと総括するしかない。

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