2018年6月26日火曜日

遅ればせながらのプロレタリア文学




小林多喜二や徳永直なんか読むよりも、高橋和巳さん!
って世代ですから、初めてプロレタリア文学とやらを読んでみた。

プロレタリア文学とは、1920年代から30年代前半にかけて流行した文学で、
虐げられた労働者の直面する厳しい現実を描いたもの....だそうな。
早い話が革命気分醸成のプロパガンダです。
労働者は絶えず虐げられ、労働力を切り売りして生計をたてることは
今も昔も変わりがない。
中華的な文藝のヒエラルヒーからすれば、史書、詩文なんかが上で
小説なんて言葉通り婦女幼童のなぐさみもの
殊更に気分が滅入るような作風を普遍的に受け入れようとは
誰も思わない。
当局の厳しい弾圧も相まって早々に歴史から退散してしまった。
左翼文壇もお得意の仲間割ればかりやっていたそうです。


買うまでのことはないので、図書館で「蟹工船となんとかのカップリング」
昔ならば、星ひとつかふたつ程度の厚みの岩波文庫版
コンテンツも....当時の近代文学の水準からすれば、アジビラ程度。
生々しい苛烈な現実を荒々しく書き連ねると写実になると思ったのかな?
多喜二が3.15で検挙されたわけでもなく、
カムチャッカで漁労の仕事に従事したわけでもない。
想像と憶測と聞書によるものでしょう。
この辺りは、他人さんの苦悩やら恨み辛みをネタに「されどわれらが日々」なんかを
書いた誰かさんもそうだったとか....
まあ、左翼文学の伝統みたい(^^)

ともあれしばらく前に予想外の売れ行きだったらしい。
この出版不況下、慶賀の至りなのですが、特段歴史を動かした訳ではない。
悲劇を写実に描くだけで飢えたる者が立ち上がると錯覚してはいませんか?
それは思い上がりと言うものです。


蟹工船とは、漁労から缶詰製造までを一貫して行う
漁船団のことですが、70年代でなくなったということです。
漁夫たちの反乱が主たる要因かどうかまでは知りません。

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