2019年9月21日土曜日
般若心経を「学ぶ」
アタシって在家私度僧...つまりはモグリの生臭坊主
しかし、昨今のペーパー得度僧なみの学識がないと口にするのもおこがましい。
かかるが故に学研を怠ってはならない。
改めて般若心経研究を思いたち、リアル書店へ
まあ凄いわなあ(^.^)
棚いっぱいな解説解釈本。
それだけの需要がある証だろうが、定説的解釈がないと
いうのが正しい。
一般的には大般若経六百巻のエッセンス
要するに、般若(知識や知恵を超越した神秘的なプリンシプル)の
心髄を記述した経典だとされる。
しかし、たった262文字
なんとでも解釈できる。
さまざまな名僧高僧がその立場に応じて、
換骨奪胎というと言葉が悪いので融通無碍に信者や弟子に
説法をし、彼らもそれを得心した。
教団ごとに根本経典が必ずしも大般若経でなくとも、
世間の大衆人気は無視できない。
方便という便利な言葉もある。
解説解釈本の著者名を眺めながら...
大般若経を本当に読破したのかなあ?
読破はしたんだろうが大般若経を本当に理解したのかなあ?
理解はしたんだろうが、本当に悟りを開いたのかなあ?
っと失礼ながら...
まあ、だれでも勝手な事が言える有り難い経文です。
なにを言っても一神教のように、異端異教と謗られない。
知識は勉強すれば得られます。
知恵は知識に裏打ちされた体験や経験から生み出されます。
般若つまり智慧は知恵の上に神秘的な「なにか」により体得できます。
それを体得するには、ひたすらに真言(呪文のこと)を唱える。
けだし、空海は般若心経は呪文だと喝破しました。
優れて密教的な呪術的解釈です。
アタシだってこの程度はさらりと言えますが、
とても学識と言えるレベルのものではない。
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