2019年9月11日水曜日

テミス神の教え



(自衛)力に裏打ちされない正義は無力
正義のない(軍事)力は暴力

法律学者の多くはレフト的傾向にあるが、
学生時代に法哲学を勉強しなかったに違いない。
しかし、刑事法典系でも同様のことは学ぶはずだが...

レフトが大好きな(アタシも好き)暴力装置って言葉
立場によりますが、正義に裏打ちされた腕力だということです。


ギリシア神話に登場するテミスは正義の女神

司法の守護神である。
右手に剣、左手に天秤


はなしは、60年代のテレビ黄金期のサスペンスドラマに
飛びます。
アメリカンではエミー賞をゲットしたはずです。
毎週欠かさずみてまして、冒頭のナレーションはまだ忘れない。

リチャードキンブル
職業医師
...キモはここから ただしかるべき正義も時として
盲いることがある

こんときにテミス神の画像がでて、彼女は目隠しをしている。
ウンウン...実によく分かる!


後年、そもそもテミス神は目隠しをしているものだと知ったが...
いまだに得心しない。
たしかに、泣き崩れる若い美女は無罪になりやすいとは
アメリカンの裁判ではありがち。
しかし、そういう外形で心証が左右されるような人間は
裁判官には向かない。
少なくとも神の端くれでしょうから、証拠に基づかない事実に心証が
左右されてはならない。


まあ、目隠しはいいとしても、刑事司法が正義の担保だと言う前提で...
かなり危ういことを承知で言えば、
正義は力で担保されます。
これは普遍的な真理です。
したがって力の裏打ちのない正義は意味をなさない。
これもまた普遍的な真理です。


しかしなあ....無力国家と暴力国家の間に「友好」なんか
成り立つのかねえ


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