2020年9月14日月曜日

banality of evil

代表的な和訳例は... 

悪の陳腐さ 
凡庸な悪 

どう読んでもアタシの大好きな「悪の華」はそのかけらも無い。

「悪」とはある種の褒め言葉である。 

河内の悪党 楠木正成 
上総の悪七兵衛景清 
源氏の若武者 悪源太義平 

しかしながら、アーレント女史がアイヒマンに投げかけた形容句は、なんとも...悪の華にはほど遠い。 
どちらの訳が適切なのか、未だに決めかねている。 
銀座ハズレの猫フェチ内科医は、

そりゃ決まってますよ! 

間髪いれずに余りに断定的に言うから、解を聞きそびれた(^^) 





彼女のアイヒマン裁判記録は、余りに衝撃的であり、 ユダヤ人社会に轟々たる非難の嵐を呼び起こしたが、理性的論理的な反論は皆無のまま、二十世紀最大の「巨悪」の哲学的意味づけは定まり、今に至る...

辞典的な解説は以下の通りです(デジタル大辞泉)

第二次大戦中に起きたナチスによるユダヤ人迫害のような悪は、根源的・悪魔的なものではなく、思考や判断を停止し外的規範に盲従した人々によって行われた陳腐なものだが、表層的な悪であるからこそ、社会に蔓延し世界を荒廃させうる、という考え方。ユダヤ人の政治哲学者ハンナ=アーレントが、親衛隊中佐としてホロコーストに関与したアドルフアイヒマンの裁判を記録した著書の中で示した。

なんだか無味乾燥ですね。
では、唯一の邦訳を刊行しているみすず書房によれば...

彼は愚かではなかった。
まったく思考していないこと――これは愚かさとは決して同じではない――、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ。
このことが「陳腐」であり、それのみか滑稽であるとしても、またいかに努力してみてもアイヒマンから悪魔的なまたは鬼神に憑かれたような底の知れなさを引き出すことは不可能だとしても、やはりこれは決してありふれたことではない。
....
このような現実離れや思考していないことは、人間のうちにおそらくは潜んでいる悪の本能のすべてを挙げてかかったよりも猛威を逞しくすることがあるということ――これが事実エルサレムにおいて学び得た教訓であった。
しかしこれは一つの教訓であって、この現象の解明でもそれに関する理論でもなかったのである

原典を易しく解説してはいませんし、思考は更に複雑になる。


今ドイツのどっかの街で、ハンナアーレント展を開催しているそうです。
生誕年、没後年を記念してでもないので、なぜ今アーレントなんでしょうか?
あちこちには、とってつけたようなしたり顔な雑文が散見されますが、まあ雑文。
ネットの孫引き、、、よくて映画鑑賞からの知識だけで、原文まで読んだようには思えないのが数多。
まあ、読みこなすには、体力、知力、そして眼力が必要!
文字が小さくて老人は無理です。
死ぬまでによんでおくべきだとは思いますが、無理にお勧めしません。


最後に疑問へのとりあえずの解決策

凡愚な悪







0 件のコメント:

コメントを投稿