2020年9月19日土曜日

蓋棺....評価はまだ早い

 

法政大学初めての宰相の誕生。

だからどうした?

その事が宰相になれた大きな因子でもなかろうに....

だが、それが大きな因子であったであろう宰相もいた。

加藤高明

愛知県の出身。赤門法学部首席卒業、三菱に入社し、弥太郎の眼にかない婿殿へ

後年「三菱の番頭代言屋」と揶揄されたが、それなりの技量もあり、単なるインテリではなかった。

大正政変ののち、在野の雄にあるまじき国権的な大隈内閣において外相をつとめる。

WW1勃発に際して強引までに参戦し、火事場泥棒的にドイツ勢力圏を簒奪、余勢をかって二十一箇条の対華要求...と辣腕というか豪腕というか...著しく国際的な信用を毀損させたことは確か。

義戦だとか三国干渉のリベンジとか理屈をこねても、つまりは切り取り強盗と変わらない。

しかし、のちに選挙で選ばれた第一党党首として首班指名された最初の総理大臣だし、普通選挙制度を実施した「民主的な政権」なんだが....

同時に治安維持法の制定はいただけない。

山川日本史的にはセットだったということだが、算盤勘定としてはマイナスの方が大きかった。

世界最高の憲法がヒトラーを生み出したように、天地人のよろしきを得ないものはいくら素晴らしくとも巨悪でしかない。

輿論でなく世論に右顧左眄する程度の民度には、普通選挙制度なんて「贅沢」なんです。

大正期末年に死去。

大正デモクラシーの具現者の一人でもある。


歴代総理大臣のランキングをつければどうなるだろう?

多分だが、偏差値50以上かな?



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