十世紀後半の上級貴族である藤原道信。
実父、養父、妻の父はいずれも上級の公卿なんだし、歌才バツグンだし、、、しかし天は健康をあたえず夭折。享年22才だからエラくなる前だった。
だから定家が憐れんで名題な一首を百人一首に収録したのかな?
しかし「恨み恋」の歌なら他にもあるだろう。
多少度が過ぎる感の気しなくはないが、こんなのはどうだろうか
近江(逢う身)にか ありといふなる
三稜草(みくり)くる 人くるしめの
筑摩江の沼(御拾遺和歌集 恋部)
筑摩江は琵琶湖の米原辺りの歌枕。
歌題としてあまり使われているかどうかは知らないが、石田三成の辞世の句に登場しているらしい。
米原辺りというなら彼の領国だった。
道信が誰にあてた和歌かは知らないが、恋の呪詛を彷彿とさせる、、、失恋がストーカーに変わるのはあと一歩
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