季節の「あき」は、いまどきなんとも齟齬だらけの風情だから、きがのらない。
だから「飽き」、、、破綻したあるいはしそうなオトコオンナの世界にしましょう。
すみなれしひとは
梢(来ずえ)に絶えはてて
琴の音にのみ 通ふ松風
(六百番歌合 寄琴戀 有家)
まず作者の藤原有家のこと
従三位大蔵卿の要職にあった。大蔵省の長官にして公卿ですから国政の最高意思決定機関の末席に位置する。さぞかし経綸の才ある、、、ではなくて、歌才だけで成り上がったみたいと定家の明月記には...
院政期だからという事でもなく、いまだって「宴席の太鼓持ちや不祥事の隠蔽」なんかの功で偉くなったのはママいます(^^)
歌才の方は新古今和歌集の撰者のひとりですから、それなりなんでしょうが、歌壇の主流と目される御子左一派(俊成や定家)ではないし、、、あまり代表作も聞き及ばない。
三日にあけず通ってきていたあの人の訪れも絶えてしまったのかしら
主意はこれだけ
下の句は、琴に言、音に声、松に待つなんかを効かせながら「お馴染みの琴の音に松風」の止め打ち
お馴染みとは、、、唐代のキャリア官僚詩人である李嶠の漢詩の一節に由来するんだって(知らなんだわ)
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