王朝美學的な栄華の極みとは「一家三后」
知る限り、藤原道長だけが、我が娘を三代の主上の皇后と成し得た。
彼の祝宴での「望月の欠けたることも.....」得意満面何の屈託もない自慢の権化みたいな和歌。
しかし、衰退の陰は絶頂期には既に潜んでいるって歴史の教えるところだし、その予兆はあちこちに、、、
感の悪い連中は気がつかないし、所詮歴史とはあと講釈(^^)
吸血鬼テーマの文藝は数多あれども、ブラムストーカーの「ドラキュラ」にとどめをさす。
このアイルランド人が書いたゴシックロマンの刊行は大英帝国全盛期のビクトリア朝末期、19世紀末のこと。
後世、このコンセプトは一人歩きをし、洗練されたスタイリッシュな様が定番となってしまった。
その始まりがこの映画。
元来の吸血鬼なんて、野蛮、不潔、汚穢、瘴気とロクデモナイ存在で、クリストファーリーが演じるような貴族的な官能性には無縁だった。
その極みたるや、、、カトリーヌドヌーブとデビッドボウイの主演ですから、押して知るべし!
さて、書評を書くつもりで書き始めたが、、、そこらはアマゾンの惹句にお任せ
要するに、繁栄の陰に潜む「邪悪なもの」のメタファーがドラキュラ。
邪悪なものは辺境からやってくる。
ほんとは内在因子が引き寄せるんですが、そんな面倒な事は考えない(^^)
ドラキュラの故郷はトランシルバニア(ハンガリーだかルーマニアだかようわからん)東欧と言われているが、グレートブリテン島からすれば、あそこは東洋。
トランシルバニアのさらに東から追われたユダヤ人がハンブルク経由で大挙してやってくる。
そして、インドからはコレラがやってくる。
ゼノフォビアなる概念がある。対外嫌悪症とでも訳せばいいのかな?
文明の黄昏期に必ず集団罹患する厄介なヒステリー症状。移民排斥みたいな形がわかりやすいし、排斥の形が刑法犯的なんだが、これらは犯罪というよりも「病気」だから、タチが悪い。
だから理解不足な政治はヘイトスピード規制なんかを考えるが、、、たいていは的外れ。
共生って、言葉は美しいが実のところ大変難しい。異文化に寛容な多性社会こそがクラシックローマの活力だったと言われるし、以後の歴史を見てもそう思うが、同時に壊れやすい事も知っている。
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