消えわびぬ
うつろふ人の秋の色に
身をこがらしの森の下露(千五百番歌合 定家)
藤原定家は恋うたの名手である。
王朝和歌の恋うたは、
哀しい嘆き節と決まっていますから、
男性歌人が女性の立場で歌う場合が結構有ります。
オトコがつれないオンナの恨みつらみを語っても
単に女の腐ったみたいで草野球(ミットもない)
やっぱり待つオンナが絵になる
あまりに有名なのが...
来ぬ人を まつほの浦の夕なぎに
焼くや藻塩の身も焦がれつつ(新勅撰集 巻十三)
百人一首のおかげで知名度だけはダントツです。
いつまでたっても来ないオトコを焦燥感満載に待ち続けるオンナ
しかし、まつオンナならば、こっちの方が、
オトコに逢うよりも待ち続ける習慣に陶酔するマゾヒズムに涎がでるって、、、倒錯の極美
あじきなく つらき嵐のこゑも憂し
など夕ぐれに待ち習ひけむ(新古今集 恋三)
でも、待ち続けても、
そのうち捨てられたってやっと解るのよ。
それが冒頭の恋うた
どなたかの口語訳だと...
貴方の心は移ろい私に飽きてしまった。
私ひとり身を焦がして苦しんでいる。
秋の木枯らしの森の下露のように
貴方に顧みられず、
いまにも消えてしまいそう。
韻文定型詩って、
訳するとかくもつまらなくなる典型例(^^)
この訳文が悪いのではない。
縁語掛詞に始まり、超絶技巧の粋をあますことなく
説明できてはいます。
しかし、これが翻訳の限界だと言う事です。
この手の和歌は枚挙にいとまなく、、、でも最高峰はこれ!、、、と識者はいいます。
しかし、これは嘆きというよりも「呪詛」だ。
年も経ぬ 祷る契りは
初瀬山 尾上の鐘の
よその夕暮れ (定家 新古今)
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