2014年8月30日土曜日
斗酒なお辞せず・・・
飲んだくれの代名詞である。
しかし、一斗とは十升。
いくらなんでもそんなに呑めるものではない。
白髪三千丈的誇張と言ってしまえばそれまでであるが・・・
何事にも科学的なカラクリがあるのですよ(笑)
度量衡の単位は歴史的に変遷する・・・
あるいは、私益のための使い分けるというのは中国史によく登場する話しである。
量の単位は、合、升、斗・・・で、一升が十合は同じでも、
秦や漢の時代は、一升=200mL
隋唐では、その約三倍の600mLも登場し、従前の200mLも併用
元以降だと、1000mLとなり、現在では(中華人民共和国も)一升=1000mL ・・に統一された。
日本では、一升=1800mLですので、多少混乱します。
実際のところは、中央政権のグリップ力で統一化された度量衡が使われたり、使われなかったり・・・
私枡(独自の計量計)が使われたり、まあなんでもあり。
大きなマスでコメを貸して、小さなマスで返させ、人気をとり、王権を簒奪したワルがいました。
逆に政権を取ると、大きなマスで税金を召し上げて巷では怨嗟の声・・・
これもよくある話です。
祇園のお茶屋さんは、こぶりなお銚子でも正一合きっちりと入りますが、
ヤスモンの小料理屋のそれは、七尺から八尺
あまつさえ、吟醸酒に本醸造を混ぜて・・・(怒)
それに表面的な量もさることながら、
実際のところは「純分アルコール」をどんだけ摂取したかで決まる。
若山牧水は、毎日一升酒
李太白は、毎日斗酒(といっても日本基準だと一升強から三升程度)
飲んでいた酒の度数まではわかりかねますが、
当時の中国はまだ醸造酒の時代で度数は比較的低いと思われます。
まあ、この程度ならば、我々凡人の呑み方と変わることろがない。
ただし「斗酒詩百篇」と文学的才能の片鱗をみせることはなく、
死に様もきっとありきたりな肝硬変にちがいない。
李白は酔っぱらい、湖水に浮かぶ満月を取ろうとして溺死した(・・・らしい)
詩人の生涯とはそういうものだ。
書聖といわれる王羲之
彼の書いた蘭亭序(宴会で呑んだくれての詩篇アンソロジーの序文)は、
墨跡としての最高峰(残念ながら誰か皇帝が自分のお墓にしまいこんだらしい)である。
王羲之は、泥酔酩酊状態で一気に書き上げたらしいが、
その後、シラフでちゃんと書くのだが・・・どうしても酩酊版に及ばない
どうせ呑むなら、この程度の足元くらいの域には達したい。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿