世の中、謀略がつきもの。言葉のイメージが悪ければ、作戦とかシナリオと
言い換えてもいい。
不可知的出来事が、誰かにデザインされていた、あるいはされているはずだという妄想あるいは観念は、誰でも持っているであろう「操りたい願望」と
結びつき、荒唐無稽であるほど、信者を集める。
多くの場合は、陰謀提唱者が本気で信じている向きは少ない・・・と思っている。
あの不幸で悲惨な航空機事故・・・日航123便撃墜説は、この時期になると
思い出したかのようにネット上を駆け巡る。
本格的な陰謀論からすれば個々の事象は、大きな陰謀のピクチャのパーツにすぎないのですから、公式事故説の矛盾あるいは説明不能な部分を止揚するだけの
妄言に過ぎない場合が多いという見方もできる。
その意味で、この陰謀論を撒き散らす論者は陰謀論の本質をご存知かしらって思ってしまう。
陰謀論は、そもそもが荒唐無稽であり、妄言の立証がバカバカしく、本気で反証する向きも少ないため、勝手歩きを繰り返す。
しかしながら「従軍慰安婦陰謀」は、やっとの事で妄言であることが立証されつつある。東京裁判史観なる巨大陰謀論の存在を前提とすれば、単なるピースに過ぎないのであり、たかが「誤報訂正記事」ごときで鬼の首をとったかのように騒ぎ立て向きは思慮が浅い(笑)
次なる打破すべき妄言は「南京大虐殺」である。
従軍慰安婦なる存在は否定しないし、南京事件があったことも事実でしょう。
軍の全面的な関与だとか、女子挺身隊との混同が事態認識をおかしくしたし、
毎年「犠牲者」の数が増えてゆく事件なんか不可思議としか言いようがない。
ちなみに、虐殺事件と同時に語られる「百人斬り」事件を、当時、快挙として報道しまくったのは、朝日新聞と同列に慰安婦報道を繰り返した毎日新聞と地元紙です。この事件も針小棒大に誇張されています。
731事件も、検証が必要かもしれません。生物化学兵器研究は、人体実験を含めどこでもやっていたわけで、日本軍だけが「悪魔の飽食」に酔いしれていたわけではない。
森村誠一が、何故あんなジャンルだけに手を染めたか・・・なんかありげです。
陰謀が破綻するたびに新たな陰謀が生み出されるのは世の常。
そのうち、数十万人の犠牲者という一大キャンペーンが始まるに違いない。
今日のこの日、思えば思うほど、愚かな先人たちを持ったものだと、暗澹たる気持ちになる。
愚かな先輩はどこにでもいるものであり、問題は、先輩の愚かさに学ぶことである。「過ち」は二度と繰り返してはならないし、
なにが「過ち」であったかを冷静沈着に判断することである。
そう・・・・負けたことが過ちであり、戦う以上は勝たねば、少なくとも
引き分けにしなければならない。
勝てる計算ができないのであれば、戦わないことしか選択肢はない。
だから、臥薪嘗胆という言葉がある。
昭和のリーダー達は明治の先輩の苦悩の選択を学ばなかった。
そういう子供でもできる単純な計算すらできないアホが国の運命を決定する立場にいたことが信じられない。
血気盛んに対決ムードをひたすら単純に吹きまくる方々は、その意味で、鬼畜米英、中国膺懲の大合唱に加担した付和雷同の手合いと変わるところがない。
多くのむつかしいことを要求してはいない。
単純にたった三つ。
これだけができれば、国家を構成する国民として道を誤らない・・・と思う。
O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.
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