2014年8月7日木曜日
虚報新聞
それってホンマ?って思わせ、どこかしら嘘の匂いがするのがよくて、
それこそ本当まみれに仕立てあげてしまえばいささか手の込んだ「悪戯」ってことになる。
悪ふざけのうちはまだしも・・・
しかし、長年そういう捏造を繰り返していると、それが当たり前になるらしい・・・
嘘も百回言えば本当らしく見えてくるし、本人もそう思い込んでしまう
錯覚の論理中毒とは、かくも恐ろしい業病なのです。
50年:伊藤律架空会見記
59年:北朝鮮礼賛キャンペーン記事
71年:日本軍虐殺コラム
75年:ポルポト(カンボジア)礼賛記事
82年:教科書書換(侵略→進出)事件
84年:南京「虐殺」証拠写真報道
85年:靖国批判報道
89年:サンゴ礁落書事件
91年:従軍慰安婦報道
・・・
よくぞまあ、これだけも・・・
社会の木鐸とは、愚昧な大衆を啓蒙してやるという思いあがりと間違いを起こさない無謬という傲慢さの代名詞に過ぎないことがよくわかります。
ここまでくれば信用できる記事は、スポーツの勝敗くらいです。
あとは「訃報欄」ですが、最近葬祭場の表記ミスがあったと聞きましたので・・・(苦笑)
歴史を紐解けば・・・
大正期の米騒動の際に、鈴木商店を有りもしない買い占め(風説の流布)で破綻に追い込み(城山三郎さんの説ですが、妄言と負う非難は聞き及んでいませんので多分正しいのでしょう)
その「ペンの暴力の味」に酔いしれたか、白虹事件(白虹日を貫く)で、筆が滑った。
廃刊の憂き目を恐れ、権力に屈し、あとは、軍国主義礼讃路線まっしぐら。
戦後は「ひれ伏す相手が変わった」だけ・・・
虚報記事の白眉は・・・
◯○新聞が、過去の捏造記事を総懺悔する「本社の本領宣明」 を発表
だと思ってますよ(笑)
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ちなみに、この「本領宣明」が好印象を与え、生き延びたと言われています。
要するに「擦り寄った」ってことです。
・・・わが社は反求せり、
近年の言論すこぶる穏健を欠くものありしを自覚し、また偏頗の傾向ありしを自知せり、
かくのごとき傾向を生ぜしはじつにわが社の信条に反するものなり、
外間における少数者の疑惑誤解もまたあにこれがためならんか、
わが社の国に対する思想は終始渝らず、
必ずしも弁を費すの要なきを知るといへども、
紙面の傾向にしてすでに本来の信条と相反するものあるを自覚せる以上は、
指導よろしきを失ふの過ちを自認せざるべからず。
わが社すでにみづからその過ちを知る、あにこれを改むるに憚らんや・・・
この「反省宣言」はいまこそ有意義だと信じていうたがわないのですが・・・
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