袖すり会う程度でも「ゆかりの文人」なんて言われれば、誰でもそうなるよねえ・・・
鴎外先生は、寓居が文京区にあったし、いまでも記念館がありますので、
そうだろうって思うのですが・・・樋口一葉がねえ?
彼女って貧乏時代(ほぼ生涯通じて赤貧だったが)、湯島界隈の牛鍋屋(今でも有名です)で
女中をやってましたからその名残かいなっておもってましたが、
どうも単に無知だったようです。
浅草竜泉寺に住まいしたことのほうが有名だし、立派な記念館があります。
地元有志の熱心な活動な結果らしいが、うらぶれた場末で細々と営む雑貨屋時代は
お客にもめぐまれず、早々にお店をたたむはめになった。
無名の頃にサポートせずに、名が売れてからわが町の偉人ってことで神輿に担ぐのも・・・
まあ、ヒトザルの心ってそんなものです。
勘違いしてましたが、彼女の文筆家としての活動は、竜泉寺時代の生活体験が素材となったものの
文京区時代の「奇跡の14ヶ月」によるものである。
いまでも、一葉ゆかりの井戸(ちゃんと使用可能らしい)とか、
足繁く通った質屋さんとかが残っています。
菊坂のあたりの風情ある建築物だが、さすがに廃業して久しい。
この伊勢屋さんという質屋の主人が、
一葉窮乏死のあと、香典を持参したとも聞き及んでいる。
竜泉寺界隈から弔問客があったかどうかはしらない。
ちなみに文京区にも「樋口一葉会館」なる施設がある。
両区の間で本家元祖争いをやっているのかどうか・・・そこまでは知らない。
未確認ですが、日本銀行券が発券された際に、一番若い番号をゆかりの施設に寄贈する
習慣があったが、この五千円券がどこにあるかを調べれば、おのずと明らかになる。
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