以前もお題にしましたが「失顔症」つまり、他人の顔が認識出来ない或いはすぐに忘れる
疾病がある。
社会生活上不便だろうと思う一方で...
最近のSFは、かくも進化したのか!と思ったのは、テッドチャンの作品集を読んだ第一印象。
かつては、サイエンスフィクションを空想科学、ある種の荒唐無稽劇だと冷笑した時代は
過ぎ去ったようです。
優れて社会性が高くなり、哲学的ですらある。
彼はコンピューターサイエンスの専門家でもあるのですが、
自然科学と人文科学の幸せなマリアージュの一例かもしれない。
顔の美醜について
普通は手を取ろうとは思わないタイトルですが、これが実に面白い(^.^)
美醜失認措置なる「療法」が実用化されている社会。
強制でもなく出入りは自由。
この措置を受ければ、美醜の価値判断から解放される。
賛否両論のなか、インタビュー形式の文体でストーリーは展開します。
スタンダールの箴言らしいが「美は幸福の約束である」そうだ。
美も幸福も、その定義をスタンダールが語らないからなんとも言いようがない。
しかし、統計的に美醜が収入を規定するとかって与太記事が散見される。
ある種の情報操作だろうとおもうのですが、短期間ならば大衆を騙眩かすことは
難しくはない。
ヒトザルの歴史は差別克服の歴史でもある。
必ずしも勝利したとは言い難いが
人種
性差 等々
しかし、美醜差別は?
流石に最近の求人で容姿端麗は見かけなくなった(^.^)
見かけなくなった事がなくなったことを意味する訳ではない。
ある種の高禄が保証されたような職業においては美醜差別がないと
言い切れるものではない。
人種とか性差等々は、優劣ではなく区分に過ぎないと多くのヒトザルが
少なくとも頭の中ではそう思うようになった。
そう思う事、よからぬ観念からの脱却が、人間の解放だとされるのですが、
美醜の超克もそう言うものでしょうか?
作者は作品において解をだすものでもないが、
試しに「措置」を受けてみてもいいかな風の自作解説を書いてます。
彼の作品集は映像化に向きにくいのですが、
あなたの人生の物語
は最近映画化されました。
オリジナルの風韻の半分くらいはうまく料理出来ていると言う感想。
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