前回書ききれなかったもので多少視点を変えます。
美醜失認とは、美しいものと醜いものの識別が出来ないという事ですが、
識別の必要のない世界に於いては、そのような言葉も不要になる。
原作者の意図はともかくも
これは、ビッグブラザーが支配するニュースピークなる言語空間の世界と同じに思えます。
自由
反抗
思索
のような語義が消えてしまった社会では、もはやこのような行動形式すら存在しないという
とても恐ろしい状況なのです。
かのジョージオーウェルの名作は何かにつけサウスポーの引用の道具に使われます。
しかしながら、彼らはニュースピークについて直裁的に言挙げしない様に見えます。
言葉狩りなる文化破壊に狂奔する輩は、普通ジンケンハと言われますが、
その本性は偏執ヒダリだと疑っています。
都合の悪いことは無かったことにする。
が、ビッグブラザーに右も左もなくあるのは独裁的権力志向主義者だけ。
あの安保法制を「平和安全法制」と命名する感覚に同調しようとは思わないが、
「戦争法」と言う語彙力には寒気がする。
かの名作には、様々なニュースピークが登場しますが、
ナンチャッテこれです!
Minipax
Ministry pax の略(平和省)
オチは言わずもがな(笑)
人類社会が最後の二人になっても残るであろう「美醜差別」
それが無くなる世界の方が遥かに怖そうです。
http://ueda8823khj.blogspot.jp/2017/07/blog-post_11.html?m=1
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