2020年11月13日金曜日

通行税なるもの

 税制のプリンシパルは単純です。「簡素、公平、中立」に尽きます....が故に今の税制は、よくぞ暴動が起きないものだ。

所得税が税の王道と錯覚している向きは、歴史を紐解けば良い。収入の捕捉とはかくも難しいものだ。現代でもそうなんだから、古代は言うに及ばず。だから捕捉しやすいものに税をかける。物流は可視化しやすい。荷馬車の通る主要路に関所を設けて、ふんだくれば良い。

そこで「抜け荷道」が蔓延る事になるが、そこはよくしたもの。関所のある主要路は、治安対策を含めメンテナンスをしっかりとやる。関所逃れで裏道を通るのは勝手だが、山賊に遭遇し身ぐるみ剥がれても当局は一切関知しない。

関所での関銭(関税)は、織豊政権が撤廃し、この先見性ある政権の政策を尽くちゃぶ台返しした徳川政権も...多分朱子学的見地だろうと思いますが、通行税は基本的に採用しなかった。



阪神間の深江辺りの新鮮な海産物の輸送ルート(最短の六甲山越え)を魚屋道(ととやみち)という。

しかし、メインルートの西国街道(京都から九州への古代の山陽道)沿線の商売人にしてみれば、魚屋道に物流が取られること死活問題。度々幕府に禁令の沙汰を陳情していたようである。

ゴチャゴチャ言わずに関所設置並びに関銭徴収権を願い出て、その一部を上納します...って発想はなかった....みたいです。

通行税をとる!なんて室町時代に遡るような悪政を復活させたのは角栄。しかし当初はイニシャルコストさえ回収すれば高速道路はフリーにする約束だったはず。

その意味で「悪政」は言葉が過ぎるし、フリーは無理でも維持管理費程度に激減することは可能だった。最初は善意でも代が変われば酷い話になるよい事例です。

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