2020年11月23日月曜日

大村益次郎殉難報国









 

明治維新の立役者のひとり。

陸軍の父。残念ながら明治の初めにテロに遭遇。

生きていれば、山縣何某が元老として君臨する事も...いや違うなあ。彼の生死に関わらず彼の青写真通りに軍制は構築されたし、政治には興味がない。

早晩、帰去来。田舎の藪医者で天寿を全うしただろう。医学部主任教授としては非常に優れていたようだが、臨床医としては皆目ダメってママあります。


彼は京洛で遭難したはずだが、治療の為に大阪国立病院に送られたが、その地で逝去。

難波宮跡の向かいに巨大な石碑が建てられています。

建立は昭和15年。なんともきな臭い時期で、なにやら政治的なイシューでも....

この建立に参加したセレブはざっと九十名弱。

政官財に加えて医学界(緒方洪庵の孫等)一番の勢力は陸軍の将星で、海軍はたったひとり(末次信正)だけと思います。

全員が分かるわけではないが、ザックリと....名簿先頭は伊藤博文の御子息。

関西財界は揃い踏みですが、住友家がいないのがミステリー

総理事の小倉正恒は名を連ねますが、近衛内閣の大臣としてでしょう。

わかる範囲で社名で表記すれば、

伊藤忠

栗本鐵工所

クボタ

安宅産業

パナソニック

サントリー

グリコ

森下仁丹

鴻池

稲畑産業

双日

日綿實業

野村證券

阪急電鉄




朝日新聞の社長の名前も....当時が軍部御用達メディアだった証明です。




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