2020年11月3日火曜日

大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ




 名題は、田園に死す(寺山修司)の収録歌です。ある種の「ご当地ソング」めいてますが、生母憎悪感情を匂わせる....ありげなんですが、架空地名のリズミカルな羅列だと思われます。

ご当地ソングの草分けは女ひとり(永六輔)だと言われていますし、後々の観光資源開発にも多大の貢献をしました。この唄なかりせば、嵐山はともかくとしてもして、辺鄙な大原や栂尾にわんさかヒトザルが押し寄せることにはならなかったはずだ。

個人的にはそんなことよりも、火曜サスペンスによくある観光名所を荷物をろくにもたないくせに取っ替え引っ替えファッションのさまに苦笑する。和装のセオリーとして正しいのかどうかまでは知らない。

詩歌に地名を織り込むのは当たり前的であり、詞章の流れに上手く収まればなんでもいい...って安直感があり、作り物めいてくる。何処の寺院だって池や石畳はあるし、嵐山には戸無瀬の瀧が著名だが、枕草子のものづくしだと、まずは音無しの滝(大原あたり)

名称不詳の池よりもご当地ソングに相応しい。


やっと本題に入ります。李白の七音絶句

起承転結を絵に描いたようなたった二十八文字の中に地名が六つあるいは五つ、文字数でいくつになりますかねえ?ざっと半分!

わざとらしくも煩くもなく漢字の持つ表意性が実に巧みとしか言いようがない。それに長江の流れに沿って順番に地名が登場しないチョットした作為も才気なんだろう。当然定型詩ですから脚韻も踏んでます。

ちなみに、峨眉山から三峡までは約千キロの船旅



夜半の秋の風景





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