慶喜は家康以来の傑物だと言われますが、鳥羽伏見の戦いで戦わずして、それも股肱之臣を見捨てて敵前逃亡したわけだから、歴史的にも大衆的にも評価は厳しい。
政権も家督も投げ出し、駿河で蟄居閉門のような日々。ある日跡取りである慶久(だと思います)がご機嫌伺いにやって来た。
かれは、赤門の法学部に在学中だった。
あれこれ近況を聞きながら、慶喜は慶久に問いただした。
帝国大学ではいったい何を教え学ぶのかね?
経済とか法律学とか、、、、
慶喜は吐き捨てるように「人の上に立つ者が学ぶべき事は他にある」
世に伝わるやりとりはここまでだが、多分ですが、噛んで含めるように「帝王学めいた事」を懇々と諭したと想像できます。
実際に慶久は後年公爵貴族院議員となり、細川護立は将来の総理大臣とまで高い評価をしたらしい。
何をさせても器用にこなす万能人だし、御写真の通り、、、かなりモテモテだったようだ(^^)
次の「国民の総意」を背負うやんごとなき御一家はなんか勘違いをしておられないかい?
東大出の天皇と言っても誰がありがたがるんだ?
それに大学の世界のランキングからすれば、残念ながら畏怖されるべきレベルかどうかは、、、
学歴で能力は測れないってかねがね申し上げています。
多様性のない高偏差値集団から選ばれたご学友だけではろくな刺激は受けない。世界中からエリートが集まるオックスブリッジの方が、帝王学を学ぶ意味でははるかにましだ。
そもそも、帝に学歴なんか期待する国民がいると思っているなら、学歴信仰の弊害の極みだ。
よもや、、、赤門に「帝王学」を教える講座があるとは、、、アタシは「東京の専門学校」しか知らないのでなんとも(^^)
0 件のコメント:
コメントを投稿