夏の嵐、、、散文的ながらきれいな言葉です。
夕立なんてものじゃない昨今
しかし、夏の嵐というほど官能的でもない
ただただ異常気象なる、、、床下浸水の危険も
ルキノヴィスコンティは、ミラノの高貴な一族の末裔であるが青年期は共産主義に傾倒。
しかし代々積み重ねた貴族趣味とは比べものにならない貧相なイデオロギー世界からはさっさと退散
耽美
倒錯
頽廃
官能 な趣味的世界に浸りきった。
その萌芽がこれ・・・・「夏の嵐」
原題は「官能」と言うそうだが、ストレートに映画のタイトルに使うのはいささか躊躇う。
冒頭に登場するのが、ベネチアの劇場でのオペラの上演シーン
演目はベルディの「イル・トロヴァトーレ」である。
典型的なイタリアオペラであり、
邪恋
ジプシーの呪いにまつわる因果話
決闘あるいは反乱
ヒロインないしヒーローの処刑やら自殺
不思議と不倫や姦通が出てこないオペラですが、、、良くできてます。
映画の方は、貞淑な伯爵夫人がジゴロでイカサマ賭博師であるオーストリア士官の手練手管に弄ばれ、身も心もお財布も巻き上げられるドロドロ劇。
背景に、イタリアとオーストリアとの戦争が絡み、波瀾万丈のゴージャスな悲劇。
ブルックナー七番を効果的に使うところなんかも、日頃の贅沢な趣味が偲ばれます。
日本では55年の公開。
評価的には悲惨なもので、キネ旬ベストテンでは全くの無視。
当時の選者は、傾向的な映画鑑賞のプロがゴロゴロいたはずですが、彼らですらマトモに評価出来るようになるのは60年代以降。
それはそうでしょう。
日本がやっとGATTに加盟でき、二大政党制なる55年体制のスタートの年です。
この年が戦後の分水嶺で、もはや戦後ではないと喝破されたが、生活実感としては、貴族的趣味に共感するまでも財布も心も豊かになっていなかった。
ルキノヴィスコンティ映画が大衆的人気を高めたのは70年代。
一流品を素直に素晴らしいとみんなが評価できるしあわせなナンバーワンジャパンがやっとやってきたその時代の象徴的な出来事。
しかしシンボリックな不幸は、、これ以降、この映像作家の再発見や再評価上映がまったく企画されないということ、、、残酷なまでに倭國の衰亡を見る想い。
生きているうちに、、また日は昇るかな
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