山吹の和歌と言えば、、、
道灌が知らなかった(要するに単に武骨で無教養だった)八重山吹のエピソード。
古歌ですが、兼明親王(十世紀の頃の醍醐帝の皇子)の唯一(らしい)勅撰集収録歌
八重山吹が一般的らしいが、実がならない特徴があり、、、蓑(実の)ひとつだに無きぞ哀しき、、、と洒落るくらいのことは当時の社会通念であり、落語のネタにもあります。
高名な武将であっても無知は武門の恥辱とその後歌道に精進した、、、というのがオチなんだが、どんな和歌が今に伝わっているのかはアタシは知らない。
誰か この数は定めし
我はただとへとぞ思ふ
山吹の花
詞花和歌集 雑 道綱母
詞書なり背景説明がないとアタシには意味不明な和歌
夫(といっても第二夫人でしかないが)の藤原兼家から八重山吹のひと枝が送られてきたので、其の返歌
無論、山吹の枝には一首したためられていたはずだが、兼家の作歌能力は道灌並みであり、とても勅撰集に掲載するわけには(^^)
アレコレ解釈本を眺めれば、「訪へと十重」の掛け言葉らしい。
かじん(歌人と佳人の掛け言葉)の誉れ高くとも愛人兼家は滅多にやっては来ないのです。
一重、七重、八重でもなんでもいいから、たまにはやって来なさいよ!
妬心がメラメラって、、、(^^)
実によく分かりました。
その鑑賞の補助線として、、、百人一首の彼女の和歌と能鉄輪のダイジェスト
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