2015年4月13日月曜日

赤煉瓦庁舎で思ったこと(後編)



日本の司法制度は基本的には「輸入の産物」であり、陪審員制度もその流れにある。
しかし、大日本帝国憲法の建前からすれば、四角四面からの導入は裁判権の侵害にあたるって
ことでハードルが高い。
しかし、それを突き崩したのが大正デモクラシーのムーブメント。
やんかかんやと妥協の産物で出来上がったのが日本の陪審員制度。
まあ、その妥協が不幸な歴史をたどることになった。
 

当時の法廷って面白い。
真ん中中央に一段高く裁判官というのは当たり前ですが、
下手に弁護士
上手に陪審員(12名です)
検事はと言えば・・・裁判長を横睨みに弁護士を見下ろす場所に位置します。
当時の司法権ってこういうものだったんですねえ。
  
 
陪審員は誰でもなれるものではなく・・・
 
30歳以上の日本国籍を有する男性
二年以上同一市町村内に居住
二年以上一定額以上の所得税を納付
読み書きができること
 
まあそんなものかって思いますが、第四号なんか見るに胸が苦しくなる。


陪審員裁判は刑事事件に限定されていた。
三年超の懲役(禁錮)事件は、陪審裁判の対象であるが、
被告人の希望で辞退できたらしい(させられたって可能性もあります)

 
実際上裁判所・検事とも面倒ですから、弁護士もそれを忖度し・・・
 
陪審裁判にすると裁判所や検事の心証を悪くしますよ
有罪となれば、陪審員に関わる費用は訴訟費用として被告人負担ですよ
陪審裁判の場合は控訴に一定の制約があり、不利ですよ
 
  ・・・って脅し透かしが多分にあったようです。


陪審員の答申に裁判官は拘束されない。
気に入らなければ、陪審員を入れ替えることが再三あったようです。



中途半端な制度導入はやらん方がマシですねえ。
陪審法の停止に関する法律を発効させる勅令(政令)を出さず、
従来の陪審法を施行させなかったのはむしろ「見識」と思うべきかもしれません。


レトロな資料室の窓の外には・・・散りぬる果ての名残の幻花が波打っているように見えています。











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