2015年4月28日火曜日

罪を憎めないなら人を憎むしかないでしょう



先日のこと、ある刑事弁護専門の先生との会話。
お互いに相当にアルコールが入っているので、まともな会話とも思えない。
アルコールが入ると本音の会話ができるなんて信じていない二人だし、
刑法39条2項にいうところの「心神耗弱」状態に等しいもんで
責任能力を問われる心配は少なく発言は自由自在
内心は・・・「原因において自由な行為」かも(苦笑)



どっかの底辺医科大学(ヤフー知恵袋によればですが・・)で「精神保健指定医」の
組織ぐるみ不正取得があったようです。
かような行為が存在してもなんとも思わないが、どうして発覚したのかしか興味がない。
どうも、倭国の精神医療(行政)の「水準」がいかなるものか
・・・暗澹たる気持ちになる事例が「また増え」ましたねえ。


実のところ「また増え」たってところが問題の根っこである。
くちにすることも憚られるやんごとなき御方の御不例は、
10年以上たっても完治の目処が・・・多分たっていないのでしょうねえ。
その辺のやぶ医者じゃなくて、最高水準の精神科医師の腕でもなんともならないのか?
いっちゃなんですが、未開地の呪術師レベルだとヒキガエルの姿煮なんかで
難病を直してしまいますが・・・


刑事弁護のセオリーは・・・
まずは「ボクはやってません」から反論の入り口に立つ。
罪状認否で頑張って「冤罪事件」イメージを植え付ければしめたもの。
あとは支援団体が勝手に頑張ってくれます。
当然に死刑事案だと更に支援の輪が広がる。
それがどうしようもなければ「犯行当時心神喪失あるいは心神耗弱」だったと強弁する。
知能犯罪ならいざしらず通常の刑法犯罪の場合、
実行すること自体精神的に異常な状態であることは間違いなく
精神鑑定のやり方しだいで刑法39条適用にもっていく主張はそう難しくない。
精神鑑定って十人十色(笑)・・・鑑定と言えば科学的に聞こえるがまあその程度
言ったもん勝ちで新型うつ病認定に似てなくもない。


こんなワルの手口で「狂犬もどきなるもの」が野放しにされている状態は危険極まりない。
しかし、弁護技術と精神医療行政の貧困を錯乱させるのは筋違い。
犯罪を起こしたいと思った時に心神喪失状態になるのでなく、
たまたま心神耗弱状態に陥った(責任能力のない)状態で犯罪を起こしてしまうのです。
そういう可能性が起こりうるのであれば、首輪につなくなり、檻に入れておけばいいわけで
これは法廷の場の議論ではない・・・


確かにそうですよね。
そういう制度設計をちゃんとやっていない行政権の懈怠です。
全てがそうでもないのでしょうが「精神保健指定医」認定の闇に鑑み、
本来隔離入院されるべきでない患者が誤判断で(・・と人権団体はいっているようですが)
ということよりも逆の事例がより心配になる。


宗教系大学の高名な学者のご子弟が人殺し
おかしな言動で有名だった淡路島の男の大量殺人
同級生の首をキリトッた長崎の有名弁護士のお嬢さん
 

ほかにもたくさん・・・アルコールのせいで思い出せない(・・・くらい多いのですよ)
後付けの情報を見るにつけ、ちゃんと檻に入れておけば・・・って思うしかない。
彼ら(彼女たち)は、多分精神鑑定の結果「責任能力がなく」無罪あるいは不起訴処分
一応治療は受けるんだろうが・・・そのうち首輪からも解放される。


精神病患者だから刑法犯罪率が高いとは言わないし、統計的にもそうは言い切れない
しかし、一定の重犯罪(殺人・性犯罪等)では、明らかな再犯性や発生率の高さが認められると
言われているらしい。
そりゃそうだ。
刑法犯罪を十把一絡げで犯罪数と患者数(あるいはヒトザルの数)の発生率で論じるのは
正鵠を得ているものではない。


本当に殺され損
量刑以前に罪に問われることもない。
そのうち「治療が終わり」シャバに出てくる(何度も出入りしている例もあるそうな・・)
保護責任者の管理責任追及って民事で慰謝料請求は可能でしょうが、
カネで命がかえってくるわけではない。
いっそ、タリオの原則(応報刑主義)のほうがまだまし。


こういう話の展開になると必ず登場する・・・
あの「罪を憎んで人を憎まず」・・・・聖書にある言葉らしいが、出典は「孔叢子」だとか。
道学者めいた偽善的な匂いのする嫌な言葉で「報復の連鎖防止」のつもりらしいが
全く心に響かない。


古之聴訟者、悪其意、不悪其人(罪人の心情は憎んだが人そのものは憎まなかった)

刑論にある孔子の言葉そのものと異なるし、よくよく読めば多少意味も違う
今風に言えば「主観主義的刑法理論」である。
NETを換骨奪胎しながら引用すれば・・・


犯罪における客観的な実害や侵害的事実よりも
犯人の意思ないし犯人の一身的な犯罪性に重点を置くものが主観主義刑法理論。
犯罪により生じた実害、客観的な侵害的行為の方面に重点を置くのが、客観主義刑法理論。
犯罪の主観面を強調すると実害の発生を待たずに可罰的行為の範囲が拡張され
他方では実害が生じても犯人の悪意が欠けるときは責任が軽減されることになる


ちょっと物議をかますような物言いをしますが・・・
心神喪失とは、自分の行為の結果の判断能力や善悪の識別能力がない状態を言い、
犯罪者としての「意思はなくとも一身的な犯罪(の危険)性は高い状態と言わざるをえない。
だからといって、責任能力はない以上処はできない。
処罰はできなくとも治療はできるはず。
罪刑理論上は罪と罰のバランスはとれていることになっている。
懲役10年と言われても、改悛が見られれば7年で仮出所もありうる。
治療だって、そんな理屈のバランスに成り立っているのであれば、兎や角は言わないが・・・






https://www.youtube.com/watch?v=Mww7O_QleeE

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