2015年4月29日水曜日

五感不満足




五感とは・・・

触覚
味覚
嗅覚
視覚
聴覚

いずれをとっても、人生を楽しく生き抜くには必要な感覚。
とりわけ、聴覚に障害があれば、発声にも支障が出る。
そのために「手話言語」体系が確立され、ちゃんと言語として認知されるようになった・・・
のが、やっとこさ2010年台である。

古い法律だと聴覚障害者のことを「いんあ者」と書きます。
ヤマイダレに音と口に亜・・・まず読めませんが、あえて差別用語を使えば「ツンボにオシ」
筒井某なる作家はツンボは「聾」・・龍の耳と書く美しい日本語だと筆禍事件の際に強弁しましたが
それはそれとしても「イン」の漢字は「美しく」はない。

そんなことよりも、失念していた刑法40条。
刑法39条を調べていて気がついた(・・・というか記憶が蘇った)
実は刑法の第七章には「刑の不成立や減免」を定めている。
正当な行為、正当防衛、緊急避難は、処罰しない。
心神喪失や心神耗弱と同様に「聾唖も処罰しないあるいは減免」を定めているのが第40条
耳や口が不自由だと自分の行為の結果の識別や善悪の区別もつかないとは・・・ひどい話ですが。
これが20世紀末までの倭国の「罪と罰の原風景」であったということ。
かの「現代のベートーベン」は、ちょっと前まで刑法犯罪者になることはなかったのです。


さすがに95年に第40条は削除されました。
お手軽にNETで調べても、条文は出てきませんよ(笑)
蝸牛庵ですら・・・結構時間かかりました


刑法第40条(インア)
インア者ノ行為ハ之ヲ罰セス又ハ其刑ヲ減軽ス


どのような場合に罰せず、あるいは減軽したのかまではよく分かりません。
障害の程度ではなく、障害に起因する知能の発育度ではなかったかと想像します。
そもそも適用事例がどの程度あったのかどうかも・・・
この時期同時に尊属殺人条項も削除されましたが、別に最高裁で違憲判決が
出たわけでもなさそうです。
被害者団体からの「不当条項」との批判も聞いてません。
多分障害者団体の悲痛な叫びに、不作為を旨とする行政府も心を動かしたのでしょう
先進諸外国から嘲られた・・・って一番有りげかもしれません。
思えば、障害者に対する理性的でも論理的でもない差別・蔑視・忌避等目に余る・・・が
ここで話題は刑法39条にループするのですが、毎度では飽きが来る。
時世時節を考えてからにしよう。







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