知りませんでした・・・は絶対に釈明時に口にしてはいけない言葉
失念しておりました・・・と言わねばならない。
知りませんと言えば、上から教えられていなかったということですね?と畳み掛けられる。
忘れるのは個人の責任であるが、教えていないのは組織の懈怠。
もっとも、組織(上司)防衛とはいえ、理不尽な自己犠牲を潔しとしないのであれば・・・
記憶に無い・・・と強弁すればいいが、火に油を注ぐ。
司馬遷の「孫子列伝」に曰く
約束明らかならず、申令熟せざるは、将の罪なり。
既に明らかにして法の如くならざるは、吏士の罪なりと。
乃ち左右の隊長を斬らんと欲す。
ルールを作り、部下に徹底していないのはトップの責任
トップがその責務を十分果たしているのに、順守実践しないのは部下の責任
と・・・中国二千年の統治の要諦は凄まじい。
ここにはトップの責任とか管理責任という美辞麗句はない。
政権と党のトップに罪科が及ぶことがないということは、けだし「伝統」なのである。
綸言汗の如し・・・出典はよく知りませんが、古い漢籍に違いない。
統治者は神聖不可侵・絶対無謬性を有する(有していなければならない)とされる。
その発言も絶対無誤謬性を要求されることになり、その担保としての「戒めの言葉」と解釈されている。
逆に、余計な発言が上から降りてくると鬱陶しいので、御身ご大切ですから無口でいてくださいって
臣下の悪知恵かもしれません。
そうはいっても暴言・失言はヒトザルの常。
発言に対して下々ごときが、疑念や異議を差し挟むことは権威に対する冒涜・不敬ってことになるため
かような「無責任言語体系」が不可欠なのである。
しかし、重箱の隅をつつくような瑣末な言葉尻を捕まえての「責任追及」は如何なものか?
議論すべき本質なら、句読点一つで激論も意味がありますが・・・
昨今の瑣末な話題は「エモーショナル」・・・苦笑
あのお嬢様学校の卒業生ならば使うだろうなあって膝を打つ言語空間の妙
芸能ネタ的にマスカラベチャベチャ厚化粧をとやかくいう気は全くないが、
確かに、一連の言動は理性的でも論理的でもなかったが、それはお互い様。
政党にとっては、候補者選びこそ「綸言」である。
候補者の質が落ちれば、議員様自体も劣化する。
なんだか、薄汚れた小悪党の所業ばかりが目につく。
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