2016年12月31日土曜日

行く年 来る年




2016年の最後の一日

一年間のご愛顧とご厚情に感謝しつつ、思い起こせば・・・・


企業人から晴れて「天下の素浪人」へ、お蔭様で日々これ好日
寒村寓居で、晴雨を問わず耽読の日々(買い貯めた汗牛充棟の書籍と格闘中)
駄日記の連載は不倒記録更新中
フローの収入は無くなりましたので、若い世代の納付した保険料をありがたく頂戴できるはずだが・・・
制度の是非は別にして、世代間給付ですから自分が支払った分は老母への仕送りです。

さらに山間部の隠居所で、山岳仏教徒らしく修験者の道を歩む予定が・・・・
まあ、色々ありまして、半聖半俗の有様

時間は多少余裕ができましたので、棺桶リストをひとつずつ潰してゆきます。
ライブビューイングですがワーグナーを初見。合わせて大衆演劇(旅芝居)も見ました。



各位にも良き一年であり、来る年は更によいことがありますように  (敬白)



数ふれば わが身につもる としつきを 送り迎ふと なに急ぐらん (拾遺 兼盛)



2016年12月30日金曜日

取り戻したいか(が)・・・北方領土



変に期待感を高めた戦術の失敗です。
歴史常識に照らして合理的に考えれば分かることです。
国際法に照らして本来的固有の領土云々はたわごと。
かの戦争に負けて占領され、ロシア領に編入された。
戦争で取られたものを戦争以外で取り戻したい例は寡聞にして知らない。
なくは無いが例は少なく、相応の犠牲も払わされた。
沖縄がそれに近い。
申し訳ない言い方しますが、沖縄返還の裏側ってなんかあるのですよ。
それを忘れてか知らないのかはともかくも、なんかあるたびに色々言いたい放題言われてもねえ・・・・
糸(繊維)と引き換えに縄(沖縄)が帰ってきたって程度の話ではないはずです。

話しはそれだけ。
バブル時代に四兆円で買い取るって水面下の交渉があったかなかったか・・・それはともかく
仮に実現していれば、唯一のバブル遺産だったのに残念なことをしました。
あの島々にそんだけの価値があるかどうかは知りませんが、金銭解決って一番分かりやすく後腐れがない。


世の中信用できるって人は約束(信義)を守る人だけ。
司馬さんの受け売り・・・でなくと歴史の常識です。
明治の頃・・・・
英国と結ぶかロシアかって大論争があった。
日清戦争後の東アジア情勢を見つめての国家の存立をかけた選択
結論は「日英同盟」

日露戦争は非軍事的な英国の支援無くしては勝ちは危なかった。
そう言うほど紳士的でもジェントルマンでもないある種剥き出しの暴力国家ですが、
どう言うわけか、見た目倭国には優しかった。
ベルサイユ条約を契機とする日英同盟破棄が、国家の破綻を招いたって・・・教科書は教えないがそう信じて疑わない。


別に国際外交って八方美人的に「みんなと仲良くすること」でもないでしょう。
世の中には三種類しかしないのですよ。

敵、中立、味方

敵を味方にするなんて無駄な努力はしない
敵は運が良ければ中立にし
中立は味方に、最悪でも敵にしない
味方は・・・大事にしましょう。

そう思えば、外交ってそう高度なアートでもない。
しかし、この理屈が分かってもらえないから、高度な政治的策略がいるんですよね。
もう少し言えば、英国の某政治家の名言

国際外交には、敵も味方も存在しない。あるのは国益だけ

返還することが「国益」にかなうと思わせることができなかった以上、交渉にはならなかったということ





2016年12月29日木曜日

IR法とは言わず、カジノ解禁法

http://ueda8823khj.blogspot.jp/2014/06/blog-post_8.html


http://ueda8823khj.blogspot.jp/2015/02/blog-post_5.html


蝸牛は博打をしません(投資はします)
なにが違うのか定義は難しいが・・・簡単に言えば、勝てば投資、負ければ博打
別に投資で連戦連勝でもないですよ。
含み損となれば「凍死」させるだけ(笑)

といいつつも、駄日記では過去から結構力入れて博打話題を書いてます。
読み返してみても・・・・我ながら力作(リンク文書ご参照)
今時点は基本法しかありませんから、来年上程される具体的な実施法がどうなるか・・・・その参考になりますねえ。


単純に言えば、合目的な博打解禁を主張しています。
何事も「頭ごなしの禁止よりも節度あるコントロール」
禁止すれば錦糸町あたりの裏カジノで反社会勢力が潤うだけ。
これ治世の要諦です。
ということですから、いまのIR法には懐疑的です。
そもそも「統合型リゾート施設にカジノ設置」なんてマヤカシも良いところだ。
ラスベガスでIT関連のカンファレンスがよく開かれますが、参加者の多くは酒も博打もスルーです。
ホテルに会議場にカジノって、刺身に紹興酒をあしらうみたいだ。
余計なものに投資させずに賭場だけ「認可」すれば良いのですよ。
認可要件や賭場への出入り要件は厳しくさせてもらいますが、適当にザルの方が良い。
博打は適当な闇がないと、誰も出入りしない。
まあ、呼び込んでから、今後の真綿の締め方を考えれば良いのですよ。

外来の方には(外来でなくとも)和の文化に触れてもらおう。
博打の伝統と言えば、まずは後白河院ものめり込んだ双六(バックギャモンみたいなものです)
あとは、手本引き、花札・・・・チンチロリンはいささか下品だ。
ルーレットやバカラはやるなっていわないが、古典的な和の博打を復権させよう。
当然ドレスコードあり!ですよ。
和服文化の復権にもなる(お持ちでなければレンタルもあります。賭場は紳士淑女の社交場)
壺振りは、大滝銀子さんに決まりです。


問題は依存症対策
個人的にはリアリティのある深刻な問題かどうか、実のところよく分からない。
心の弱さなんでしょうが、真偽は知らないが結構な患者数だそうです
多くは、パチンコによる依存症だと思われますが、
要するに、貧民だから仕事も手に付かず家庭破壊になり問題なんで、
枕紙屋の御曹司がカジノで野垂れ死してもそれは自業自得
博打なんてカネのかかる遊びをカネのない庶民に解放するのが間違い。
あれって、富裕層の贅沢な社交的遊びなんですよ。
貧民にはその懐具合に見合ったギャンブル(ローリスクローリターン)を提供すれば良いのですよ。

電動になる前のパチンコ台って長閑でしたよ。
高田馬場駅前のパチンコ屋さんって、景品が豪華でしてねえ。
ちょっとした本屋さん並みに景品の書籍が並んでいました。
お陰様で唐木順三全集を揃えられたのは、かのパチンコ屋さんの賜物。
そう言えば、中央線沿線だと、晩御飯の材料一式が揃うお店もあったそうです。

窮民に一攫千金なんて「悪夢」を見せちゃダメでしよう。
場所によりますが「一円パチンコ台」あります。
通常の玉貸し料の四分の一。同じ値段で四倍遊べます。

提案としては、最大の元凶であるホールに依存症対策特別税を課しましょう。
必要な対策費用を総台数で割り算して、税額を決める。
患者が増えれば増税。対策が功を奏すれば減税・・・なかなか合理的(笑)




2016年12月28日水曜日

ABCってなんだ?


まずもって・・・・

白痴番組(・・といえば言葉がすぎるが)を提供する放送局
ブラックな靴屋
潰れた本屋さん

ろくでもないことしか思いつかないが、日本雑誌協会の「印刷証明付発行部数」もABCです。
なんと、「オーディット」っていうから大仰なものです。
雑誌に掲載するCMの単価算定基準は発行部数らしいので、それなりの公式な数字が必要らしい。

しかし、雑誌と書籍(狭義の意味で)の違いとは実のところよくわからない。
書籍のある分野が雑誌で「複数の著者が執筆する定期的な刊行物」だとか・・・
何事にも境界線があり、ギリギリのところではあいまいである。

なんにしてもこの一般社団法人が四半期単位で一号あたりの平均印刷部数を公表していますが、
実に面白い。
対象は「雑誌協会加盟誌」だけです。

http://www.j-magazine.or.jp/magadata/?module=list&action=list

しかし、書籍はもとより雑誌も「委託販売」らしいので、印刷部数=実販売部数ではないはず
新聞紙のように「押し紙」問題は聞いていないが、実際のところはある程度の返品があるのだろう・・・


やはり雑誌の王様は「総合月刊誌」である(・・・べきという程度)
しかし

世界(岩波)
展望(ちくま)・・・・・いまは廃刊らしい
中央公論・・・・最古の歴史というだけで読売の傘下にはいったもんで親米愛国保守路線雑誌となった。

は、加盟誌でないのかあまりに悲惨な部数なので非公開なのか知らないが、思うに見る影もない
あの「世界」なんか、図書館でしかみたことがない(図書館しか買わないというウワサも・・・)
名門書店もいまや銀行管理とまで言われている。
フローはボロボロでもストックの価値は物凄いから潰れてもなんとかなるだろうが、アカデミズムの衰退ですねえ。
ということで・・・「文芸春秋」程度が載っているだけ。
なんとかという毎度ぼろくそに批判するなんとか文学賞の掲載時だけ売れるような有様で、オピニオン誌としての価値は・・・疑問。
ネットのオピニオンサイトよりははるかにましだが、なにぶんインパクトを感じさせる記事に最近は出会わない
昔は定期購読してたんですがねえ・・・・

ということでいまやセンターは総合週刊誌
月刊誌がだめでも週刊誌で頑張る文芸春秋社。
二番手以降は、現代、新潮、ポストの団子レース。
どれとっても、時事スキャンダルがウリ。
医学記事をウリにしている週刊誌もありますが、
真偽は・・・・DeNAのキューレーションサイトと似たり寄ったりかも(・・・ってなんとも言えない)
一応医学博士某曰く・・・ってことになってますが、鬼面人を驚かすような医学知識を振りかざせば売れるってことがねえ・・・
まあ、電車の中の吊り広告で読んだ気になる(笑)

ビジネス誌だと・・・・日経ビジネスとプレシデント。
多少高額な情報誌を複数定期購読してますから、内容評価するに至らない。

その他雑多な女性向け週刊誌は・・・・・そもそも読んでる女性ってみたことないんだけど(?)


まあ、本当によい雑誌って、かような統計数字には表れないものらしい。
知らなかったが「暮らしの手帳」ってまだあるらしい。
朝ドラのおかげらしいが、部数激増のおまけがついて(やっぱり質が再評価されたんですよ)相当な部数らしい
広告を掲載しないモンで、発行部数の認証を必要としないのが王道かもしれません。


話し戻しますが、雑誌と書籍の違いは「広告の有無」だ。
そのうちに「広告付の書籍」が絶対に登場するかも・・・・(笑)





















2016年12月27日火曜日

釣り落した魚は大きかったか?


これだけ公開本数が増えますと「話題作」ですら見落とすことが多い。
いわんや、映画祭だとかひっそりと公開される佳作ともなれば・・・・
なもんで、それなりにプロモーションコストをかけたにもかかわらず、蝸牛が足を運ばないのにはそれだけの理由があるのだが、、、

作品一覧(シネマトゥデイのインデックスより)からあれこれと話題作を探すに・・・

ブリッジ・オブ・スパイ : トムハンクスって真面目で芝居がくさいのですよ。
パディントン : アニマルものは嫌いなんです
ザ・ウォーク : これは単純。「高所恐怖症」なんです(予告編も眼をふさいでいました)
ニューヨーク(眺めのいい部屋売ります) : フリーマンとキートンの初共演作ですから見ておいてもよかったかな
不屈の男(アンブロークン) : 捏造反日映画だと思いますし・・・別に公開妨害をしようとは思わないが・・
ホールインマネー(大富豪トランプの危ない遊び) : 再公開しないかねえ(笑)
偉大なるマルグリット : そのうち「マダムフローセンス」と二本立てで場末にくるだろうが・・・(あの歌声をもう一度聴こうとは・・・)
オマールの壁 : 最近は話題にならないが、イスラエル問題が来年の紛争の核になる!(見るべきだったかも)
フィフスウェイブ : プライムでならみてもいいかな
追憶の森 : なんか辛気臭そうでねえ
マックウィーン(その男とルマン) : パピヨンのリバイバルは見ましたが・・・
サウスポー : 定番の感動ボクシング映画ですが、どうも感動の押し付け売りみたいでねえ
ラザロエフェクト : 死者の蘇りってお好み・・・プライムを待っています
エクスマキナ : 同上
フラワーショー : 場末の二番館で待ってますよ!
ボヴァリー夫人 : 記憶にない(見たような気もするが)
ライオットクラブ : グラマースクールの美少年映画って、何をさておいても・・・のはずが(泣)
奇跡の教室 : 二番館でかかってましたが優先順位がねえ
栄光のランナー : ベルリン五輪でのジェシーオーエンスって大体予想がつきますから
ストリートオーケストラ : 好きな素材ですから、近々二番館でかかるはずだ
ニンジャタートルズ : 好みじゃない
チリの闘い : まだ映画後進圏にはこない(泣)
ジェーン : 「シェーン」のデジタル版上映と勘違いして足を運んだが・・・
PK : インド映画は敬して遠ざける(笑)
マイベストフレンド : タイトルからしてやな感じ
ブルゴーニュで会いましょう : ワインは見るよりも飲むほうがいいに決まっている
ブレアウィッチ : もういいわ!

これ以降はこれから公開ですから、略。





棺桶リストにのせておくようなものは少なかったが、一応「二本」かあ。
で、ご期待の向きは「見た映画の中でカネ返せ!映画ランキング」はどれ?」ってことになるんでしょうが、
どんな愚作でも、作り手はそれなりに全身全霊を傾けているはずですから、鑑賞家ごときがあれこれいうもんじゃない。
小ばかにしたように批評する連中には 言い返せばいいのですよ


じゃあ、お前が作って(演じて)みろよ




2016年12月26日月曜日

勝負師の青春






切符売り場の前で、思案すること数分・・・ヤッパリやめて「築地」の映画にしよう。


格闘技映画は、アクションをウリにする大衆娯楽の王たる映画の得意技。
しかし、同じ格闘技でも「知的格闘技」となると、まだまだ映画の表現力では手に負えない。
元来「囲碁将棋さらにチェス」は格闘技である。
体を使うだけが格闘技ではないと、当り前のことを散々に言っているが、まだわからないのかねえ。
だから、アスリート=体力バカ だと思われている。
知的でないやつは所詮何やってもダメなのよ・・・


聖の青春


ちょっと話題の映画。
実在の棋士ですが、不治の病に侵されながらも命を削るようにしながら名人に挑戦・・そして夭折
映画の上での名人は羽生さんです(身長はともかくも雰囲気をよく似せて東出昌大が演じていますのでこの部分は見る価値ありげ)
主人公は、松山ケンイチ(体重を大幅に増やしての熱演・・・だそうな)
大河ドラマで味噌をつけたが、あれは演出家なり脚本家の失態。
伊勢平氏って野卑じゃなく、都平氏に近い存在なのですが、関東源氏みたいに薄汚く描いてしまった。
なかんずく、清盛は忠盛の嫡男ということになっていますが、後白河院の寵姫である祇園女御の子供(つまり実の父はミカド)
今回相応に汚名挽回できたのであれば重畳なのですが・・・ってことで最初のデーゼにかえる。


将棋映画の定番は「王将」
知る限り四回くらい映画化され・・・どれもこれも変人奇人の成長(出世)譚と思えば
名だたる男優が演じているのですから一応鑑賞に堪えますが、将棋の本質に肉薄するものではない。
この映画も、別に将棋でなくともいいのですよ。
余命いくばくもない少年(青年)が家族や周りの理解と支えで目標に一歩一歩進んでいくっていう・・・
まあ、倭人が作ると湿度100%にしかならない代物・・・としか思えないもんで、こういうの一番苦手なんです(笑)

稀代の天才集団を描いたものって、たいしていろいろあるわけじゃない。
中平邦彦さんの「棋士・その世界」くらいなもんか・・・講談社文庫にもあるみたい


チェス映画だと、ボビーフィッシャーの世紀の一戦を描いた「完全なるチェックメイト」
これも、天才=変人奇人というステロタイプ刷り込み版。あまり感心しない。


やはり格闘技映画は、かような知的ではなく肉体的に限る。
となれば・・・やっぱりボクシング
多くのスポーツでもフィジカルコンタクトがあれば映像になりやすい。
アメリカンフットボールがそうなんですが、防具をつけてますので一歩後退
その辺ボクシングは生身の戦い(ハズレになりにくく、どれをとってもどこかにとりえがある・・)


ということで「ロッキー」なんかじゃなくて、最高は「レイジングブル」
ミリオンダラーベイビーも捨てがたいが、これはテイストが少し違う。





2016年12月25日日曜日

スピンオフ映画のセオリー・・・ローグワン




実のところ「SW」とは、ダースベイダー卿物語である。
ファンはよく知っていますから、彼が最大最強のコンテンツなのである(だからフィギアの売行も多分一番)
エピソード(以下E)1から3は、ダースベイダー卿青春編
E4から6は、ダースベイダー卿(親子)葛藤編って感じになる
E7以降は全貌が見えないので今時点コメントなしですが、ダースベイダー卿相伝編みたいですなあ。


従って、スピンオフ版ともなれば、

主人公は全くの別人あるいは本編の脇役である。
本編の大きなモチーフや流れから大きくかけ離れてはいけない。
本編の主人公はそれとなく登場しなければならない。

というセオリーに沿って作られるのが通例で、ローグワンもその点は忠実です。
有り体に言えば、E4の前日譚
それも、極めて近時点。
まさかE4の細部の知識がないまま映画館に足を運ぶ・・・ような無謀な観客は居ないだろうが
そういう素人にはオススメできない作りになっている。
知っていると、シタリって気になるんだよねえ😇
レイア姫が登場しますし、オビワンの存在が仄めかされます。
なんちゃって、私の出番だと言わんばかりに・・・シリーズの最高ヒーローが登場です。
E4を見てますと、全体の流れよりも彼のステイタスは低く描かれてますが、このさい細部の矛盾には目をつむる。


思えば、スピンオフ作品なもので、無惨な展開です。
反乱軍からの支援も得られず、ただ大義のためだけに生還期し難い無謀な作戦に参加するローグワンのメンバー
予想外に全員が玉砕。キャラクターの再利用が出来ません
デススターに惑星ごと粉砕されるわけですから、まさか命からがら・・・はないわなあ。


いったい誰が言ったんだ?!
ヒロインのジンアーソ(フェリシアジョーンズ)がのちにルークスカイウォーカーとの間にレイ(デイジーリドリー)を
身篭ったなんて・・・
蝸牛プロフィールメイトの一員だったのに、残念なことに散華したのですよ(号泣)

不確実な情報によれば、フェリシアは、更に出演するオプション契約にサインをしているらしい
ということは・・・幼年期からアウトローに成長までの空白の期間が映像化される可能性もある。
全ては興行収入しだいか?・・・・ならすでに当確!ですよ








2016年12月24日土曜日

時代は、happy winter !





素直に・・・というか無意識に「ハッピークリスマス!」と言っている時代はシンプルだった。
理屈っぽく言えば、
クリスマス=キリスト+マス(礼拝)という意味らしいから、非クリスチャンにとっては宗教的侵害である。
キリストを信じる西洋人だけがセンターに座る時代が終わり、多極化時代だと思えば、普遍的な振る舞いが要求されても
致し方ない・・・と思うかどうか

今や、ハッピーホリデー! と言わねばならないらしい。
アメリカンでは、十二月は、ユダヤにとってはハヌカのお祭り、アフリカンはクワンダの祭典。
どんなものかよく知りませんし、どの程度普及しているかも知らない。
少なくとも、映画に登場したという記憶は皆無。

さらに言えば、イスラム系やアジア系はどうする・・・・ホリデーですらない。
知恵者は何処にでもいるようでして

ハッピーウインター!

ワクワクウキウキする時期だと、なんでもこの言い方が流用できますねえ😇
超意訳を試みれば.......ええお日柄どすなあ(笑)

相手の立場を慮るってスタンスからすれば、
相手の立場に立っての挨拶の仕方が美しい所作であるっていうのが倭の精神。
宗教に鈍感だとか理解が足らんとか言われる筋合いがない。
この点に関しては、新渡戸稲造先生が悩み抜き「武士道」なる名著でその精神性の高さを実証してくれていますので
安心すればいい。
もっとも、読んだことはおろか知りもしない・・・と言われればそれは論外。
しかし、生き馬の目を抜くような国際社会では通用しない寛容の精神です。
しかし、宗教の不寛容性が前に出る時代は、歴史的もあまりよろしくない時代と言えます。
そう思えば、来年も不幸な時代が続くのですよ。





2016年12月23日金曜日

世紀の「贋作」?!・・・・曜変天目







一部の好事家が大騒ぎをする新たな「曜変」天目茶碗の発見!
その道半世紀の骨董鑑定家が太鼓判を押し、その額たるや二千五百万円也。

その金額で曜変天目が手に入るなら、手持ちの書画骨董を処分して即金で買う、、、が(笑)
まあなんともいかがわしい匂いがする。
現物見てませんし、それなりの鑑定家の判断ですから、
頭ごなしに偽物とまではいいませんが.........
世界で4番目の曜変天目が、たったその値段?


まずこの所有者って古美術愛好のセンスゼロだわ。
美術品の価値には出自伝来の筋の良さも問われる。
成金まがいがもってましたじゃ、品のいいコレクターは眉をひそめる。
曜変天目が茶碗の世界で如何なるものかも知らなかったのか?
ちゃんとした場で専門のキューレーターに鑑定をねがうものであり
バラエティ番組の鑑定じゃなあ。
仮に本物でも品下がる。


万人が認める曜変天目は、世界に三碗しかない。
全て倭国の国宝。
天目にもそれ以外に、油滴、灰かぶりなんとかかんとか分類は様々。
最高級ランクが曜変天目ですから、数もしれておりちゃんと当時からリストがありまして
伝来も明らかであり、あるいはある時点で行方知れず。
三好長慶由来らしいが、子孫がその価値も知らずに物置にほりこんでいた・・・・
何ともねえ・・・現物鑑定が一番とは言え、史料上の裏付けがあるのでしょうか?

贋作かと言われると、実のところ、曜変天目は現時点で再現は出来ていないと言われます。
微妙な火加減とか釉薬の配合とかたまたまの神の気まぐれで出来上がるもの。

最後に、写真を見る限りですが、なんとも貧相です。
曜変天目のなかでも最高と言われる稲葉天目に比べるのは気の毒ですが、ほかの二碗にも見劣りするように見えます。
曜変天目という以上は、碗のなかに銀漢が燦ざめくような風景が広がり、光の加減で幾重にも変化する様がありませんと・・・

なんにしましても、美術史上の大発見の可能性も有りますから、ちゃんとした鑑定検証をしてほしいものです。
曜変天目でなくとも、本物の建窯の天目であれば重要美術品程度の値打ちはあるはずです


最後に、TVでお宝持ってる事が分かるって、税務署が舌舐めずりする事と思わなかったのかしら?
守秘義務契約を交わした上で、鑑定を密かに依頼し、本物であれば、個人蔵という形で美術館の目玉として貸し出す。
貸出料は、振込先が美術館としれない様に銀行振込をさせるって常識じゃんか(笑)

2016年12月22日木曜日

芸能にもとめるもの(2)




いやはや、実に面白い!
能の前身である猿楽や河原の小屋掛け歌舞伎はきっとこんな感じだったんですよ。
お高くとまって芸の活力が痩せ細る前の芸能の原型を見た思い。

どの世界にも、常連の通人がいるみたいで幕間には、下衆な世間話のかたわら
業界のうわさ話に興じている。
出し物は毎回かわるようで、一定のローテーションなんでしょう。
明日は「それからの大石蔵之助」で、次は「梅川忠兵衛」だとか
どうも毎日通ってるみたい・・・・
おひねりが飛びかったり、お札のレイをかけたりするかと.........ありましたよ!
胸元に万札数枚(?)を紙ばさみで止めるって趣向。



まずは、けったいな演歌もどきをバックに日舞のメドレー
最後は殺陣つきの非牡丹博徒風で締める。
稚拙なんですが、なかなかみせますなあ(どうも公演時間枠消化なり小手調べみたいな・・)
さあつぎは新派風の人情喜劇。


年季あけで田舎に帰ってきた女
飛田の女郎あがりを村にいれるな!と騒ぐ村民
そんななかでの村八分を恐れる家族の葛藤

予定調和的にハッピーエンド。
テンプレート通りですが、ヤマ場ではやんやの喝采。
この世界では古典劇(お千代物語・・・だとか)らしいが、蝸牛が戯曲に期待するエレメントは何もないが、なんとも目頭が・・・


最後は座員総動員の歌謡演舞ショー
これがまあ、なんとも・・・(笑)
聞いたような聞いたことがないような音楽の爆音祭
ダンスは、日舞とも洋舞ともモダンダンスとも・・・一体なんだね?
さらにエキセントリックな照明
アイドルグループのドームコンサートってこんな感じかな
でも、観たことないが、なんだか既視感を覚えるのですよ。



これって、あの懐かしい時代の天満ミュージックか九条OSだよなあ!
日劇ミュージックホールほども上品じゃないが、道頓堀劇場(渋谷)や西船橋OS劇場みたいに下品下劣ではない。
ちゃんとした舞台芸能で・・・違いは踊り手が脱ぐかどうかだけ😇

思うに「天宇受売命」なる神様は神の岩戸の前で踊り、ストリッパーの元祖などと言われるが、それは正確を得ていない。
芸事の元祖神だと理解する方がいい。
芸能の神をウリにする社寺仏閣は数多ですが、文献的にはそう考えるの一番だ。
進化発展の過程で高級芸術にもなれば大衆芸能にもなり、堕ちれば温泉街の花電車
なんか勉強し、知見が増えたみたいですよ。



なんだかんだと三時間
また来ようとまでは思わないが、棺桶リストの一つが消えました。





2016年12月21日水曜日

芸能にもとめるもの





蝸牛は毎度言いますが、極私的プロ映画鑑賞家ですから、期待値とか評価基準が
そんじょそこらとは一線を画します。

耽美
倒錯
頽廃

しかし、そもそも的には大衆娯楽。
長時間の過酷な労働に疲れはて、ろくに英語も喋れない貧しい移民が一時の享楽と慰安も求めるものが「映画」
五セントを握りしめ、ニッケルオデオンに足を運んだのです。
だっから、馬鹿馬鹿しいアトラクションシネマにも一定のリスペクトを・・・


とまあ同様に舞台芸術だって、加えて「似非素人能楽師」の端くれですので、能狂言を至高のものとし畏敬の念をもつものの
大衆娯楽でしかない歌舞伎も面白いと思うし、人形浄瑠璃も・・・・まあねえ
とかなんとか、たいていのものは見たつもりだが、これだけは機会がなく、木戸をくぐったことがなかった。
いつでも観れるから・・・って言ってるうちに三瀬川を渡ることにもなりかねないから、思ったったらそそくさと・・・




新開地劇場




戦後間なしに出来た伝統ある演舞場
今は大衆演劇専門館ですが、過去は、映画スターや流行歌手(古いねえ、この言い方)のショーで
活況を呈した。
当時のことですし、場所柄公演を仕切った方はだいたい想像がつきますなあ😇

別に今だって、閑古鳥ってわけじゃなく、開演2時間前からオバちゃんたちが寒空に行列です。
そこんところの最後尾に並ぶなんて、チョット度胸ですよ。
公演はマチネーありの二部制。
料金は・・・・旅芝居ですからこんなもんですなあ
シニア料金はなくて「老人料金」・・・・ってところがなんともねえ(映画館ほども割引ません)
興行の世界では、シニア=老人という定義でもないわ。


本日の出演する一座は、澤村何某の陽炎座とかなんとか
土地勘ありませんから、なんとも

入りは......こんなものですか?
客席の数は能楽堂程度だと思われます。
蝸牛のおさらい会でもこの程度ご足労頂いていますが、
一ヶ月のランですから、まあまあかな。
想定通り、圧倒的にオバちゃんたち。ソコソコ若気な女性やおっさんも。




開演五分前.........いかなることに相成るや?(続く)

2016年12月20日火曜日

太陽が眩しくて


今日ママンが死んだ・・・・の書き出しで始まる不条理文学の名作
舞台はアルジェリア
そもそも不条理とはなんじゃいな?
理性も論理はもとよりマナー、エチケットすら通用しない現世で、今更そう言われましても・・・だから、忘れ去られたピエノワールな作家。
ワインの種類じゃありません(笑)
黒の(長靴をはいた)白人のこと。つまり、移民フランス人。

50年代は民族自決、植民地時代からの脱却の世。
歴史の大きな流れですが、敢えてここだけはって抵抗したのがアルジェリア。
フランス国の海外県であって、いわゆる植民地とは一線を画す。
地中海を内海とするための大事な領土だし、多くのフランス人の移民もいた。
彼らの権益なり政治勢力は無視は出来ない・・・

独立をやむなしとする歴史の流れ
過激に独立運動を進めるアラブ系アルジェリア人
あくまで独立反対のピエノワール

三つ巴の血で血を洗うような争いは第四共和体制を瓦解させ、
ドゴールの登場によりやっと終焉を見たが、その惨禍は筆舌に尽くしがたいと言われる。
美しい悲劇にすれば「シェルブールの雨傘」的だが、
この程度は悲劇とは言わない。
度重なるド・ゴール暗殺劇の背景はこの事件にある。





今思えば、フランス国民ですらアルジェリア問題の総括はまだできていないようです。
だから、中近東との葛藤はまだまだつづくのは蓋し必然。
無垢無辜無名の民衆の無言のテロルの映像化は、ポンテコルヴォなるイタリア人監督の手により完成した。
彼は良質な共産主義者と思われます。後年スターリニズムに幻滅し脱党しましたから。
他方、フランスの映画人は逃げた、、あるいは避けたのです。
不確かなまま書きますが、フランスでは「上映禁止」のはず。
不当な弾圧行為に、objection! を表明したのは、フランソワトリフォーだけだった、、らしい。


その幻の映画のリバイバルとは信じられない邂逅。
ロードショーは京都三条河原町あたりのいまはもうない封切館で叔母とみた。
いたいけない甥を連れて観にいくような代物じゃないが、
彼女は夭折でしたのでその理由を探るべくもない。
多分だが、自分がなんとしても観たかったのですよ。
密かに「サイレントローザルクセンブルク」を自負していたのかなあ





場末のカルト的映画上映専門館はまばらな人影。

母国で鑑賞出来ないので自国の黒歴史を再認識しようとするフランス人
アラブあるいはイスラムの勝利を希求する中近東人
革命あるいは過激市民運動の成功を期待する活動家 ・・・・なんかで満席(・・なわけがない)

十数名のマニア的鑑賞家だけです。
まあ、ここまで思想的に偏ると・・・よくぞベネチアでグランプリをとり、オスカーにノミネートもされた事だ。
キネ旬の年間ベストは圧倒的な第一位
そういう時代だったのですよ。


しかし、カスバに巣食う老練な革命家は言います(ちょっと意訳ですが、セリフのまま)

闘いを始めるのは難しくはない
闘いを継続するには難しい
闘いに勝利するのはより難しい
勝利した後の守成の労苦はさらに難しい

けだし、その通りだ。

少数のテロリスト集団は圧倒的な治安部隊の前に言葉通り殲滅され、
アルジェには平穏が戻った。
三年後、眩しい太陽の頃、偶発的な民衆蜂起がはじまり.........
アルジェリアの独立はその二年後のこと。






2016年12月19日月曜日

晴れやかな場へのご招待(3)



あれれ!?と言う感じでいささか予想が外れました。
この手のパーティーは「立食」だとおもいましたが、テーブル会食。
考えれば、後期高齢者や末期高齢者ばかりが出席なんだから・・・
この場でも蝸牛は若輩者かあ(笑)
何かと試練です。

ミーハーよろしく有名人の写メまくりという雰囲気じゃない。
お弟子の九割は老女。
先生は男性という世界ですが、参加者の多くは中高年男性。
こんなたくさんの男性の能楽愛好家がいるのであれば、行く末まあ安泰なんですが・・・
おめでたい席を寿ぎ「四海波静か」を全員の連吟で・・・まあ意地悪な趣向というもの(笑)
能の高砂の一節ですが、有名なのは「高砂や この浦舟に浦をあげて・・・」
庶民の結婚式の定番ですが、品位がない。落語ネタ。

平服指定ということですが、真に受ける向きもあれば、そうでない方も
三つ紋お召の方もおいでになりますが、その辺のビジネススーツまで
せめては、ダークスーツに礼式用ネクタイ(結婚式の白タイはむしろ無様)くらいはなあ。
受付の先生方は、仙台平五つ紋なんだから(聞き及ぶに、発起人代表さまの発案だそうです)

さて、次第ですが、大槻文蔵ご夫婦来場のあと

一門能楽師による能「石橋」(わかりやすく言えば鏡獅子(あるいは連獅子)の原型。特殊なお囃子だし、勇壮な舞。凄いです。)
祝辞(宗家)・・・流派で一番偉い方
祝辞(梅若玄祥)・・・知る限り最大最強の出世魚。改名回数が半端じゃないのよ(笑)はともかく名門梅若一門の総帥です。
乾杯(某政権政党の幹部議員)
京舞(井上八千代一門)・・・特別な祝舞だそうです。当然に黒留。バックのオケラ・コーラスは祇園の綺麗どころ!舞台の反対側でしたから写メも会話もなし(泣)
鏡割(春鹿、磯自慢、梅乃宿、白鷹、寿楽長)・・・これって来賓の顏たてるのにとても便利なんだから
祝電披露(ご芳名は略)
祝辞(同上)・・・どっかの名誉教授らしいが、誰も聞いてないんだから早く切り上げて欲しかったなあ。
目録贈呈(観世清和)
花束贈呈(片山清司)・・・京都観世の重鎮の家柄
文蔵師ご挨拶


おかげさまで盛会でした。
大阪のリーガロイヤルホテルでざっと数百人の参加者だったようです。
大槻一門も、次期の当主も決まりまして、これがまたまだ高校生(あれ?大学生になったかな)なんですが、
世阿弥の再来かと言われるくらいの天才
先ほどの石橋(これって品位の高い難曲だそうです)のシテをされてます。
世俗を離れても、蝸牛もたまには舞台に出るかなあ・・・



どうでもいいのですが、呑んだお酒

シャンパン
白ワイン
百年の孤独
春鹿
磯自慢
赤ワイン

飲み足りませんねえ。BARで飲みなおしでも・・・・



2016年12月18日日曜日

アンチ人口ボーナス





人口ボーナスに支えられた無為無策なビジネスモデルは衰退するのは当然と思わざるを得ない。
それを「当然」と思わないと、移民でも何でもいいからヒトザルをかき集めて経済成長を・・・って発想になるんでしょうなあ。
少ないパイを喰いあう弱肉強食の世界には違いないが、ビジネスって本来そういうモンです。
上げ相場だとなに買っても儲かりますが、そんなときのほうが珍しいのですよ。


高校の同窓会の案内が来ました。
地元土着民の成れの果てばかりで、もはや話が合わないし、合う話は昔話。
もっと言えば、

健康(ありていに言えば持病)の話
子供や配偶者の悪口(・・といって悪ければ愚痴)
孫の自慢話

どう考えても非生産的である。
お互い前期高齢者ともなれば、未来志向になりにくいのも致し方ないが、それでは人生がつまらない。
いずれの会話には参加したくないので、出欠は思案中


そういう非生産的なグータラ族が増加し、次世代人口は少なくなる。
ここからは悲観的な未来社会しか見えてこないが、楽観的に考えればいろんな稼ぎのネタもあるもんです。
総額としてのエンジェル費用は減少しているが、原単位は逆に増えています。
お子様イベントもここまでやるのかって・・・・あきれ果ててみている今日この頃



十歳で神童と言われた(・・つまり今となってはただの人ってことですが)豚児ですが、一応主婦と母親やってます。
なんとも、次から次へとお子様イベントの連絡が来る。

お宮参り
お食い初め
ハーフ・バースディ
キッズパーティ(満一歳のお誕生日)
七五三

昔は子供や孫の数が多かったから、あれこれやっていると、毎日が子供イベントになる。
逆に言えば、少子化になった分だけ、数が増えたって計算になる。
出産だって、自宅で産婆さんを呼んで・・・って、もはやありえない風景。
逆に、フレンチの出る高級産婦人科医院が活況を呈しています(・・・まあ出産は病気じゃないからなに食ってもいいんですがね)
聞いた話ですが、イベントのたびに「ホテルや結婚式場で披露宴並みの大仰さでやる」地域があるらしい(・・・どうも名古屋ではないみたいだ)


そしてイベントのたびに登場するのが、専門写真館
スタジオ何とかって上場企業ですし、業績も隆々としています
一度足を運べば、イベントのたびに永遠に生き血を吸うようなビジネスモデル
もっとも生き血を吸われるのは、ジジババと相場が決まっている。
上手いように意図せざる所得移転が行われている(苦笑)


この調子で、一人二人ならいいのですが、ネコやネズミのように子供が生まれれば・・・・
まあ、うれしいのでしょうねえ。


2016年12月17日土曜日

may the FORCE be with us !



初日初回のSWストーリー(ローグワン)を見てきました(ミーハーですねえ・・・苦笑)
大衆娯楽の権化のようなコンテンツに関しては、極私的プロ映画鑑賞家ですからコメントはしません。

77年のエピソード4の公開以来、あたると幸いすべからくをなぎ倒す進撃の巨大コンテンツ
一体、ルーカスはいくら稼いだのだ?
推計ですが売り上げベースだと「300億ドル以上」だそうです。
実際のところ「興行収入」はしれています(二割もいかないらしい)
一番は「玩具」で全体の半分くらい(・・・あんなもの欲しがるかねえ?)
その他、ビデオゲーム、DVD・・・・
利益は・・・・よくわかりませんが、一番原価の高そうな映画製作の直接原価の10倍程度の興行収入ですから
まあ想像がつきます。

スーパーマンのようなアメコミキャラやキングコングが束になってもかなわない規模
多くのキャラクターが登場するからラインナップが有利って事もありますが、ダントツは・・・あの「悪の権化」らしい(未公表データですが・・)
次々と新キャラを登場させていますが、ちょっと一本かぶりになるのは懸念材料ですなあ。
ダースベーダーの子供、孫って手法だけだとねえ・・・・
実のところ、彼こそが主人公の映画です


そういう今後の先高感に「不安」があったのか(もうすぐ後期高齢者の仲間入りですからか)、ルーカスはディズニーに40億ドルで売り飛ばしてしまった。
投資としての成否はこれからですが、ピクサーアニメを70億ドル、マーベルを40億ドル・・・
これを思えば、安い買い物かもしれませんが、売却条件の詳細がわからないのでなんとも・・・
SWだけのテーマパークって、作ろうとすればつくれるような契約になっているんでしょうねえ
2015年の「エピソード7」は、興行収入だけでも20億ドル!!
とりあえずは上手くいっているようです。


さて「ローグワン」はどうなりますか?










2016年12月16日金曜日

不思議の国の仲卸


至高のグルメ映画とは・・・何度も書いてますからパス。
カフェアングレのエピソードです。
まあ、お料理の登場する映画って安直ですから、得します(笑)




これも何度も書いてますから、ええ加減食傷気味ですが、お料理の三要素

素材の吟味
料理の技
盛り付けの巧み

・・・で、かかるが故に、焼肉とテイクアウトのハンバーガーは料理ではない!ってオチになる。


今日は、どのエレメントが一番かって話題です。
殊更に言挙げすることもない。素材の吟味に決まってます(キッパリ!)

さほどでもない素材を調理のテクニックでこねまわす京味もありますが、やはり苦し紛れ。
京の某権力者に仕える包丁人が、僥倖ともいうべき素材が手に入れ狂喜乱舞って・・・なんで読んだエピソードかな?


全体の四分の三までは素晴らしい出来栄え。
最高のグルメ映画の称号を与えてもいい。
築地の仲卸連が主人公です。

実のところ、魚市場の仕組みってよく知りませんでしたが、こういうことなのか。
気の利いた小料理屋で「大将!これって美味いねえ」と言うだけの立場です
しかし、料理屋さんがお客が喜ぶ料理を出すために仕入れる素材は仲卸の吟味の手になる
高いからそのお店にいいわけじゃない。
そのお店の客の嗜好に合致するいいものを世界中から集まる(集める)素材から「選ぶ」という前さばきの機能が
築地の本来機能だとか。・・・奥が深いですねえ。
たしかに、割烹に寿司ネタを斡旋しても意味がない。

名だたる名店の板前(次郎、石川、小十、さいとう・・・・)の調理の技も登場します。
所作の美しさには圧倒されますが、
それも素材あってのこと・・・って板前本人たちが異口同音に言うのですよ。


しかし、倭国の魚文化は家庭の台所で尾頭付きを三枚におろす主婦の基本機能あってのこと。
切り身の魚しか知らないガキどもに尾頭付きを食わせる給食活動があるらしい。
健気な努力に目頭が熱くなりますが、早晩「モンペ」が骨が喉に刺さって危ないとかなんとか・・・

仲卸も世代交代で閉店も相次ぐとか
日本橋から移転して80年。
次は豊洲だ・・・・と言わんばかりの映像構成には objection!


そういう制作意図のドキュメント映画じゃないだろうに・・・
まるで最後は「食育映画」となってしまった。
仲卸の掘り下げが足りない。
TSUKIJIに惚れ込んでいるようで一番乾いているのは制作陣だと断じざるを得ないのは慙愧に耐えないねえ。



2016年12月15日木曜日

浦島太郎のお嫁さん



リップヴァンウインクル・・・・

小麦系のバーボン
メンズのちょい高級系ブランド
少しは知られたといっても知名度の低いアメリカン短編
英単語的には、時代遅れあるいは流れに押し流されるグウタラ


家名を銘柄にするにはあり気な話
語感が良さ気なのでデザイナーがブランドネームにしただけで他意はない
浦島太郎のような寓話であるが、寓意性がよく分からない
・・・ですが、その寓意性を勝手に忖度したのだろうが、この単語の語彙は決して良くはない。
そんなロクデナシのお嫁さんになろうなんて、黒木華さんもどうかしてますよ(笑)




岩井俊二さんのおひさしぶり作品。
本来ならば、この作品と葛城事件の二本で今年の日本映画の集大成のはずが、
興収ばかりの大衆娯楽作(アニメに怪獣)の二本被りで、今年は終わった。


コンビニバイト掛け持ちの代用教員の中途半端感
彼氏はSNSで探すお手軽感
流れのままアルバイト親族友人かき集め披露宴やって、主婦やって、マザコン夫からは捨てられて
大豪邸での高報酬メイドに流れ着き
AV女優との奇妙な共同生活の果てには・・・・


こんだけで3時間の長尺
力量無くしては映画にならない。
しかし、現代のおとぎ話としては寓意性が高すぎるし、予備知識を観客に強いる作品は損をします。
予備知識があればより楽しめます・・ならともかくもないと意味が分かりませんではねえ

ある種の教養(成長)映画であることはわかります。
酒を飲み、前後不覚に眠り果てた翌日、少し成長した黒木華をみる。
二日酔いをたび重ねれば、ヒトはオトナになると言われると、
本気になる.........映画なのではないが。


リンクの松田優作と室田日出男がいいですねえ。
リップヴァンウィンクルの寓話の片鱗が分かりますなあ







2016年12月14日水曜日

第三の性

http://www.huffingtonpost.jp/2016/12/12/gender-neutral-oxford-university_n_13576302.html?ncid=engmodushpmg00000003


ーーーー

リンクの内容をサミングアップすれば・・・

トランスジェンダーに配慮し、
He she 以外に ze を使うことの提案です(複数形は they となる)

ちょっと不確かなのは「以外」という表現が妥当かどうかは判然としないこと。
出来れば「を辞めて」という方が良さげですが、その地の文化が凝縮された言語体系を大きく変えることは非常に難しい。
オックスフォードの知力をもってしても・・・


今日のお題は、いわゆる人称代名詞のこと。
実は人称代名詞の体系は言語体系により大きく異なる。
大雑把に言えば

一人称(話し手)
二人称(受け手)
三人称(それ以外の人または物)

が一般的な区分ですが、それ以外にもさまざま複雑な分類を持ち込んでいる。
日本語の場合・・・・以下はウィキペディアの引用

体系上の人称代名詞は「われ」「なれ」「かれ」「だれ」であるが、
実際には人称代名詞は敬語法などの待遇表現と密接に結び付いており・・・
指し示される人物との社会的関係や場面によって、
「自分」「あなた」などの人称代名詞を使い分けたり、
「先生」、「社長」、「おじいさん」のような社会的身分を表す語で代用したりしなければならない。
同様の複雑な人称代名詞の用い方は、ベトナム語、マレー語、ペルシア語などにも見られる。
また、日本語の人称代名詞は概して時代による変化が激しい。例えば・・・・

この説明のキモは

複雑
変化 にあります。

不思議なことに「複雑」なんですが西洋のように「性別区分」がない。
明治以前は、オスでもメスでも「彼」と表記したようです。
明治の文明開化で西洋の様々な考え方が押し寄せた際に「変化」が起こり「彼・彼女」という表記区分が定着したと
言われています。
人称代名詞で性別区分があることが一般的かどうかはよくわかりませんが、文法書的には少数的存在のように思えます。
西洋だから、スタンダードという訳ではない。

時代は変わった。
当然のように「両性」と言って良いものではなくなった。
ボーボワール的には「第三の性」

従って、英語文化圏で提唱され始めた第三の性表現(ze)
提唱する事を悪いとは言わないが、どうして性別区分人称代名詞の廃止提唱にならないのか?
・・・が実に面白いという感想になる。
オックスフォードの知力をもってしても彼の地の文化に根ざした言語体系を変革するには至らないのですよ。


翻って倭国はどうしましょうか。
簡単ですよね。
明治以前に戻ればいいのですよ。
具体的には「彼女」という言葉を禁句表現とする!


ジンケン派の得意種目の言葉狩り(笑)


そうは言っても百年以上続いた言葉の文化ですから、識者が知恵出して第三の性表現代名詞を考えるんでしょうねえ。
もっとも、著しい劣化のみられる日本語力ですので、期待値は非常に低い。
丸谷、大野、井上、塚本のような日本語の大家は全て物故されました。


2016年12月13日火曜日

懐かしいあの味


寒村陋屋暮らしも半年もたち、天下の素浪人スタイルも身についてきた・・・
とは言いつつも「清左衛門」同様に娑婆とは縁が切れず、そこそこ衣冠束帯に身を正し、俗界を徘徊している。
西行法師のごとくであるが、彼のように出家の身でありながら権門に出入りし媚びを売るような真似はしない(笑)

しかし、基本

井戸水を飲み(胃カメラ検査をしたがピロリ菌はいなかった)
畑の野菜を食べ(コメはさすがに元農民が扱うには大変なのよ)
自家製の酒を飲み(酒税法に違反する種類じゃない)
ザ行とダ行の区別があいまいな方言を操るおじさんやおばさん相手に(ひどいご仁はラ行まで混然とする)

なんて仙人暮らしなんですが・・・過日のこと
限界集落のはずれのスーパーに出向くと、なんとなんと!!


羽衣あられ


懐かしい駄菓子だ。
半世紀ばかりの江戸中心の暮らしで忘れていたが、昔と変わらないアルミパッケージ
しかし、製造者は新潟県の「ブルボン」となっている。
記憶では北日本食品なんとか・・・


三時のおやつに「文明堂」なんて土地柄ではなく、

自家生産の果実
親類から手に入れる火鉢であぶった酒粕(砂糖をまぶすような外道な喰い方はしない)
家族でつき上げたお餅

なんかを食べるのですが、なぜか家庭で外部調達をする限定的な駄菓子
名の通り「あられ」でして、醬油味の煎餅でなくいささか塩味が強めでビールのつまみに最適なのだ。
いつのころからか、商店の棚から消え、お江戸では目にすることも耳にすることもなかったが・・・
上方には根強いファンがいたのだ。
店頭陳列の数は多くないのですが、嬉しさのあまり買い占めてしまった(苦笑)





ネットのヨタ情報まがいによれば・・・

何故か販路は今も昔も上方限定らしい。
関東人の舌に合わないのかねえ(ネット通販では買えますし、ブルボン自体は関東が主力市場)
製造者名は、社名変更によるものらしい。
なんともフレンッチぽい社名だ・・少なくとも「羽衣あられ」売ってます!って言いにくいだろうねえ
そもそも不思議なのは。新潟の会社が三保の松原か富士山を望むって、意味不明です。


とかなんとか・・はさておき、ランチに変えて初めての試みで白ワインに合わせてみよう(笑)




2016年12月12日月曜日

雌鳥が時を告げる時



メスザルが世間にのさばると社会が乱れる・・・という古来からの言い伝え
さしたる根拠もなく、ヒトザルの歴史は騒乱の歴史であって、およそ悪しく愚劣なオスが君臨をしていたことを主因とする以上
ある種の「封じ込み政策」のシンボリックな物言いに過ぎない・・・はずです。

女性の社会進出の程度は、喫緊の課題だと・・・これもスローガンでしかなく、事態の改善は遅々として進まない。
先進国といわれる国々においても、カトリックの長女とか次女とか言われる国の実情は、ミゼラブルとしかいいようがない。


私の人生設計


そんなていたらくですから「映画素材」にしてもコメディでしかありえない。
実話をモチーフに話題と人気を博したそうですが、一時の享楽と時間つぶし程度であって、社会をうごかすほどのことでも・・・なさそうだ。

ヒロインは、ローマ郊外の山間部から往復四時間かけてローマ大学の建築学部を最優秀で卒業し、
各国で学位を収め、建築家(映画のセット製作なんかも建築家の領分なんだ!)のキャリアを積むが・・・・
故郷忘じがたく、イタリアに帰ってきたが、なんとも男尊女卑社会。
とりわけ建築業界は、オトコ社会らしくって、オトコのコネのネットワークでがんじがらめ。
やっとこさ、職にありついたが、就職誓約書には「妊娠退社条項」まで・・・・
公営住宅のリフォームプラン公募に挑戦するが、オスザルになりすました事で採用され・・・そして「騒動」は起きる。


これがフランス映画ならば、多少シリアスで理屈の多い問題作になるところでしょうが、イタリア映画ですから、
予定調和的なほのぼのハッピーエンド劇。
ドタバタとやたらとボリュームの多いお料理が登場するところもお国柄(笑)

監督は初見ですが、主演女優に手をつけた模様。
ヒロインも同様ですが、イタリアでは人気の歌手とかコメディアンらしい。
あんまりお若かりしころのカルディナーレ風ですがあまりお好みなタイプでもない。
おおさかのおばちゃん風なぽっちゃりな女優陣はさておき、
カッコいいオスザルが結構登場しますが、すべからくゲイというのが今風。


社会で頑張るアラサー・アラフォーにエール!ってキャッチコピーですが、あまり当たらなかったようですねえ。
ロードショーは早々に打ち切られました。
興行権が安いようですから、場末の二本立てなんかでどさまわり中。


女性宰相が頑張る一方で「女性蔑視派」のリーダーが闊歩もする二極化世界の挿絵みたいな映画です。
特にお勧めするものでもない。
だって、このヒロインは知力と説得力、持続する意思があるのですよ。
これにあと「肉体上の耐久力と自己制御能力」が備われば、カエサル(同じ「サル」でもできばえが異様なまでに異なる)と同等。
メスだから、だれでもオスと対等になれるって・・・幻想です。








2016年12月11日日曜日

地産地消



ことさらに「緑色の行灯」を店先に掲げ、ウリにするとはねえ・・・って、思いつつも、
それ以上に「ほんまかいな?」って疑念が先にたつ(苦笑)
いきつけの若い大将が一人で切り盛りする(やとなおくほど客が来ないっていううれしいお店)小料理屋さんもその類い。
店先の風景がすっきりしないからはずせ!とは言っていますが、その気はないみたい。
正真正銘の「地産地消」なんだから、わざわざ看板出さなくとも知る客は来る(最近は閑古鳥が鳴かなくなったようだ)
岡山の農家の息子らしい。
農産物、川魚、肉類(特にジビエ)は、まぎれもない自家製(あるいはご近所の猟師・漁師の手になる)

美味い!旨い!

そう思うからか・・・・海産系はどうもいただけない(・・・というのは偏見かも)


流通システムの革新により、どこでもどこのものでも食することが出来るようになったが、
それがありがたいことかどうかは視座しだいである。
地元でしか食せないって価値ってやっぱりあると思うのですよ。
日本式のラーメンの起源は「醤油ラーメン」らしいが、
その地によっては、なじみの食材である塩や豚骨を起源とする例も多い。
地産地消を絵に描いたようなものである。

蝸牛の故郷もラーメンを街おこしのツールとしたが、これは成功したみたいだ。
そもそもは、ナンチャラカレー事件でお江戸から大挙して押し寄せたマスコミの夜食だった。
あのどぎつい味が野暮と化け物しかすまない地の住民の舌にフィットしたらしい(苦笑)
なもんで、なんとか選手権に推薦され優勝したモンで、一挙に知名度があがった・・・というのは、
ちょっと時系列的におかしい。
正確には、優勝したラーメンがあったよね?ってことで取材陣が喰らってみると舌にあって人気が高まったと言うほうが正しい。
京都のラーメンの味が京味らしからぬ「ごてごて味」なのは地方出身の学生の舌にあわしているということと同じで「幸せな出会い」だったということに
しておこう。

そもそも的には、醤油はかの地を発祥とする。
その延長線の食文化ってことですので、全国的にも「醤油の名産地には旨いラーメンあり」という定理が成り立つ。
阪神間のラーメン屋で勢いがあるのは、播州系ラーメンである。
たしかに竜野は「薄口醤油発祥」の地である。

醤油と味噌は原料を同じくすることより同根の食材である。
味噌それ自体を食するってお江戸で口走り、野蛮人呼ばわりされたことがあるが、
野暮や化け物は「金山時味噌」を知らないのだ(千葉県も産地だと思うのですがねえ・・・)
なめ味噌って食材の一例。
ワインには多分合わないが、あまり高価でない倭酒(当然ヒヤ)の肴にはこれが一番
名執権であった北条泰時は、よき時代の鎌倉御家人らしく遠来の客と一献酌み交わすときには、味噌をなめながら・・・って
吾妻鏡だかなんかで読んだ記憶がある。
金山時味噌かどうかは定かではないが・・・・蝸牛にはよくわかる風景だ。


桃と柿は自家製でしか食べたことがない。
もぎたてを頂いてきて食する。
世間では、完熟してスプーンですくうように桃密(柿蜜)を味わうのが至福だとか(苦笑)
それって、乳児の離乳食ですよ。

おでこをぶつけるとこぶができるくらいの硬さが一番。
カキーンって歯が折れそうな硬さを味わう・・・・甘みもへったくれもないのですが・・・・ぐちゃぐちゃとかみしめていくと、
ほんのりと微かな甘味が口内に広がる
これがほんとうの至福。
倭人の知る「甘味」の元祖とは砂糖ではなく、かような甘味であった(・・・らしい)


ご幼少のみぎりは花見はじべたに緋毛氈を敷いての(桜ではなく)梅、蓮華、桃でした。
もっとも、桃は、花が咲き出すと即座に摘花しないと美味しい桃にならないもんで、花をめでている閑がない。
最近は、桃源郷と称して桃の花見を売物にするもんだから、どうもお味がよろしくないようで・・・
困った事だ。

2016年12月10日土曜日

ジャーマンニューシネマ


映像表現の新しい潮流を賀ぐなら、ちゃんとドイツ語で固有名詞化しなかったところに不幸がある。
まるで「アメリカン」ニューシネマという言葉を借りてきただけ

ヌーベルバーグ
ネオリスモズ

ちゃんと命名されれば、その後も映画産業それなりだったのですよ・・・・

今のドイツ映画は、潮流としては見る影もないと思います。
ジャーマンニューシネマの残党が、老骨に鞭打って頑張る姿はいささか痛ましい。

シューレンドルフ 77歳
フォン・トロッタ 74歳

最後の残党でしょうかねえ。
かつてはプライベートでも同志だったのですよ。




ノスタルジアはさておいても、なんとも泣きたくなるような邦題
なんとかの世界って事らしいが、もうすこしなんとかならなかったのですかねえ
オリジナルタイトルは・・・

Die abhandene Welt

意味がよくわかりませんっていうか形容詞の意味がわからない(苦笑)
確かに、METのプリマがドイツで売れない歌手であるヒロインの一年前に亡くなった母親そっくりっていうしつらえはその通りだが、
その通り説明的にタイトルにするもんではない。
宣伝部門の不思議なセンスのおかげで、良質なミステリーがドサ廻り中ではないか(公開方法を見るに相当に苦し紛れ)

力量のある女性監督ですから、ツボは外さない。
何を書いてもネタバレになりそうだから、全て封印(笑)


オンナがいて、友人女性がいて、オンナの夫には兄がいて、ほぼ同世代の歌を志す二人のヒロイン・・・になんだか音楽業界人がからむ


いろんな物語が空想できるでしょう。

2016年12月9日金曜日

一指導者の幼年時代




思い立ちモールの書店でサルトルを立ち読みしようとした。
四十年ぶりの邂逅のはずが・・

人文書院の全集はジュンク堂か紀伊国屋でもないと置いていない予感はあった。
しかし、新潮文庫の棚にもサルトルは皆無
あるのは、岩波とちくまの哲学書(存在と無)だけ


文学者でなく哲学者として東洋の島国で名を留めるのだから、本望だろう(笑)
あの当時の仏蘭西のひとかどの文化人で映画に関わらなかった御仁はまず居ない・・と思います。
サルトルも例外でなくリセの教師の傍らパテで脚本を書いていたらしい。
が、どうも相性が悪かったか、映画史に留めるような功績やエピソードは何もない。
ごく少数の原作小説が映画化されてはいますが、見るに値するかどうか・・・・

シークレットオブモンスター

表題の小説を原作・・あるいはモチーフにするらしいが、原作を読んでいないのでなんとも言いようがない。
映画の主たる舞台は、1919年のベルサイユ講和条約交渉の時期
原作は1938年に出版されてますが、ネット解説によればムッソリーニがモデルだとか・・・

主人公の父親はアメリカの外交官でウイルソン大統領の側近として講和条約成立に尽力する。
母親はドイツ人を父親とするが、広義のユーロ人。
家産の古農家に滞在している。
主人公は十歳くらいでしょうか、美少年です。
いわく言いがたい苛立たしさみたいなものが、主人公の癇癪・・・グロテスクに言えば狂気を掻き立てて、
カタストロフィに至るって事なんですが、なんともねえ
しかし、今年最大の問題作って事は間違いなさそうです。
第一次世界大戦の稚拙な戦後処理がその後多くの問題を生んだ事は紛れも無い事実だし、モンスターの誕生をそれに求めることも
間違いとも言えない。


思えば、20世紀は多くのモンスターが人類に災厄をもたらした。
罪科もなく不幸な人生を送らざるを得なかったヒトザルの数は、地球上の過半に及ぶ。
多分そんな事をモチーフにサルトルはこの小説を書いたのだろう
しかし、極私的映画鑑賞家は、こんなつまらないことしか想起しないのです。
絶対に「オーメン」にインスパイヤーされている。






2016年12月8日木曜日

リメンバーパールハーバー!


東部とはいえアウエイの戦いは不利に決まっているし、なかんずく trial by jury なんですよ!
中西部の田舎町のコートでないだけまだましって、代理人は慰めてくれるが、慰めにもならない。

せめては「仲裁」にしろ
最悪でも第三国を管轄裁判所にしろ  ・・・って意見したが、全て相手側主張を丸呑みした・・・ほんとうに馬鹿な賎商である。

当然ながら戦局は有利とは言えず・・・・というか責任者たる蝸牛は最初から投げてます(苦笑)
戦略的失敗は戦術や戦闘局面では挽回できないって思ってますから、
はやめに「和解」でもなんでもいいから悪あがきをしないのが一番の方策。
そうはいっても、面子で頑張るアホもいます。
しかし、一番驚いたのは、相手側の陰険な手口・・・・
毎日のように、コート周辺とかでビラまきをやるんですよ。

リメンバーパールハーバー!!

まだそんなことを言うのかね?
対抗上「ノーモアヒロシマ!」のビラまきをやろうって言い出して・・・さすがにこれでは泥試合だ(苦笑)
毎年12月になると、思い出したくもないこのときのエピソードが思い出されます。


お互いが歴史上の不都合な事実に向き合うことに意味があるかどうかについては懐疑的です。
歴史上の真実がどうであれ、国際外交上の常識が覆るものではない。
ちゃぶ台返しをしたければ、もう一度戦い今度は勝つしかない・・・・がありえない選択肢。
まさか「だまし討ちでした。ごめんなさい」って公式表明するとは思っていませんが、騙されたのはこっちだとも言えない。
お互いが過去を乗り換えて強固な同盟関係を堅持し法と秩序を基盤とする国際平和の堅持につとめ・・・とでもいうのでしょうか。


あの「奇襲攻撃」が戦略的に意味があったのかどうかはよくわかりません。
補給施設が無傷であったとか空母を沈没させられなかったとか戦術上の失敗は色々あるようですが、
だからどうなの?というのが今時点の冷静な印象です。
そもそも「自衛行為」に宣戦布告なんか必要ないっていうのが当時の国際常識だったはずです。
もっとも自衛戦争だと万国が認めるかどうかは別問題
経済封鎖のためににっちもさっちもいかない状態を打開するための自衛行為ならば、満州地区と東南アジアの資源だけを押さえて
ハリネズミ状態で自活する体制を構築するっていうなら戦略的にわからなくもない。
フィリピンの米軍捕虜の帰国を条件に適当に停戦するって知恵がなかったのかねえ・・・・


ほんとうに「争い」って始めるのは簡単ですが、やめるのは難しいのですよ。






2016年12月7日水曜日

ネコかイヌかと問われれば?





血液型は?
なに座ですか? くらいにデリカシーのない質問だと思っている。
いなし方はきまっていますが、たいていはいなされてる事に気が付かない。

実のところ、どっちも好きでも嫌いでもない。
ネズミよけか警護用具くらいにしか思ってませんし、
口のある養いものは、ケメコ様だけで堪能しています(笑)

しかし、寒村陋屋には四つ足が未だに巣食うております。
代々はイヌでした。
名前は「モク」。
いわれは知らない。
代々同じ名前ですから、いつかローマ数字のように上限が来る(もっとも4000までも必要はないが・・)

モク
新モク
続モク
続新モク ・・・・(和歌集の命名ルールですが、アホたらしい・・・)

なもんで、とあることからネコに代わった。


某月某日、祖母の祥月命日ってことで、山奥の菩提寺に出かけたが、その帰り道
やせ衰えた野良猫がふらふらと車の前で立ち往生し倒れ込んだ。
ひき殺さなかったのが幸いということであるが、行過ぎてしばらくして・・・

一河の水一樹の陰
山川草木悉皆仏性

祖母の命日に遭遇するのは、これも仏縁ってことで、拾い上げ看病にこれ努め、晴れて我が家の飼い猫となった。
さすがに野良猫人生で世間の辛酸をなめたもんで番ネコも勤まるくらいの荒々しさ。
ところで名前はって?
ヒトザルが御仏の名前をつけるような罰当たりなことをしない・・・とは言い訳で要は面倒なだけ
ただただ「ネコ」あるいは「ネコニャン」と呼ばれてきた。


今は二代目であるが、これまた、村はずれの破れお堂の軒下でしくしく泣いていた子猫(・・というより幼猫)
これまた仏縁でハンカチに包まれて我が家にもらわれてきた。
命あるものを捨てる(未必の故意の殺人罪)なんて犬畜生の所業といいたいが、畜生だってそんなむごいことはしない。
毎日のほほんと怠惰を絵に書いたようなさまですが、あいかわらず名前はまだない。


イヌは人になつき、ネコは家になつくらしいが、我が家の惰猫は、飼い主の膝になつくようだ。










2016年12月6日火曜日

カラーかブラック&クロームか?


映画芸術の歴史は技術革新の歴史であり、よりバーチャルリアリティ化を志向する。

トーキー化
カラー化
立体化(3D)
アトラクション化(4D)

が、技術革新の進化が益々映画の芸術性を棄損している。
技術が映像表現を豊饒にする場合もありますから
全てとは言わないが、そう感じる事が多い。
優れて資本主義的な芸術ですから、客の入りが全て。
営業成績が人格と言われる賎商の世界と同じ(笑)
綺麗事は通用しない。

しかし、その論は娯楽視点である。
芸術視点でいうならば、欠けたピースと言うか隠されたメタファーを
想念としてかきたてるところに鑑賞の醍醐味がある。
あまりに多くを隠すと難解とか至上主義と非難されますから、
まあ、バランスも大事なのですがね


ガラリと話を変え.........たつもりはないが、新しいロマンポルノの話
映画史の徒花という声もあるが、禍福は様々
企画として、シタリ!というつもりはないが、思考は大蔵映画に飛ぶ。
いわゆる、ピンク映画
いまでは、見る影もないが、斜陽の日本映画界の制作本数の半分は
この類いだった。
質はさておき量において日本映画を支えたのですよ。
かなりな業界人はロマンポルノに流れたとされ、
そのセンセーショナルローコストオペレーション力が、ロマンポルノの隆盛を
支え、若い才能をも産み出した。
当時はカラーフィルムが高価なもんで、パートカラー方式だった。
これは!ってシーンになれば、画面はカラーに変わる。
通の鑑賞家ともなれば、うたた寝をして居ても気配でわかるらしい(笑)
だからと言って扇情性が高まったかどうかは疑念がある。
正確にいえば、扇情性は高まっても興奮度はなんとも議論がある。
ということで、新ロマンポルノをパートカラーで制作.........とは、倭国の映画人は考えもつかないのか!
デジタルの時代はカラーコントロールが簡単なんだから、
カラー版とブラック&クローム版が同時に作れるんですよ。


マッドマックス(オスカーノミネート版)のブラック&クローム版がリリース予定




2016年12月5日月曜日

グロテスク



グラマスクはお好みですが・・・・グロテスクはどうもねえ(苦笑)
ユーチューブは、映画ネタとかのブログの「つまみ」に利用させてもらっていますが、それ以上でもそれ以下でもない。

なんだか「耳掃除」映像の巨大なライブラリーがあるそうな
一定というか相当数のファンがいるって事だろう。
こんな映像で暇つぶしをする非生産的な輩が世間的に多いとは末世末法の時代である。

とかなんとかいいながら、ブログネタに困っているので、怖いもの見たさで覗いてみるに・・・・
何事でも「新しい発見」があるもんだ(笑)

耳垢なるものは、やたらと耳かきでお掃除をするものではなく、自然と胡散霧消するって耳鼻科の先生はおっしゃるが
そうとも言い切れないような気がしてきた。
蝸牛は「乾性」ですが、世界的には「湿性」が多いように思えます(倭人の大半は蝸牛と同じらしい)
こまめにお掃除をするのは、清潔好きな倭人くらいなのか、耳栓くらいに溜め込んでいる無頓着人が世界には多いらしい。

耳掃除は、しばらく前に医療行為外の扱いになったもんで、倭国では「イヤーエステ」なる新ビジネスがあちこちに出回っている。
業種的にはなんだろう?
エステ業自体には、営業許可は不要らしいが・・・・個室の浴衣姿で膝枕施術って風俗営業のような気もします。
マイクロスコープで耳掃除のプロセスを眺めながら施術を受けるって結構淫猥な趣味だとおもいますがねえ

海外映像を見てますと、白衣のおじさんが登場しますから医療行為のような取り扱いです。
耳掃除道具が・・・これまた実に面白い。
竹べら状が一番お好みですが、どうも世界的には「金属状のピンセットとか鍵形」が主流。
自分じゃ怖くて使えません。
水洗洗浄方式もあるのか・・・・ウォシュレットの耳掃除版とは恐れ入りました・・・・・

・・・とこの辺でユーチューブのリンクが張られるのですが、そこまで品悪くしたくないから、今日はなし。
興味があれば、自分で検索してくださいね(笑)





2016年12月4日日曜日

晴れやかな場へのご招待(2)


文化功労者には年金がつきます(文化功労者年金法)が、その上位の文化勲章受章者にはなにもなしってことは先に書きましたが、
文化勲章受章者は先立って文化功労者であることを慣例としますから、
世間的には文化勲章には年金がつくと誤解されています。
なにか恩典を差し上げたいが、憲法上の制約からの苦肉の策のようです。
文化の向上発展に「特に功績顕著」であると文化功労者に選ばれ、さらに「勲功卓絶」であれば文化勲章ってたてつけになっています。


一方で「人間国宝」の根拠法ですが、これが文化財保護法なんですねえ。
ヒトザルであっても「文化財」なんです。
文化財には、有形と無形があり、人間国宝とは「重要無形文化財」であり、
条文の委細を見れば「文化財として価値を保有」しているから人間国宝であって、そのヒトザルそのものを財としているわけではない。
したがって、財としての価値を保有しえなくなれば、人間国宝でなくなる・・・って理屈である。

例えばですが、罹病し舞台に上がれなくなれば、もはや人間国宝に値せず、指定を解除・・・「できる」ってことになります。
しなければならないという表現ではないので、実際に解除した例があるのかどうかは知りません(実のところ聞いた事がない)
たいした額ではないが、年金がつきますから、税金の適切な支出という観点からは厳正に行うべきなんでしょうが
雑な出費は山とありますから、この程度で目くじらを立ててもしょうがない。

ところで、無形文化財は「倭国にとって歴史上、芸術上価値の高い文化的所産」が対象だそうですので
コンテンツは千差万別ですが、しかし、パガニーニのようにヴァイオリンが演奏できても、ベルニーニのような彫刻ができても・・・ちょっと無理筋みたいですねえ。


しかし気になるのは、役者のようにその技が形として残らない芸は、その保持者を人間国宝に認定するのはいいとして
陶芸家のように「作品」が後世にのこるような場合でも人間国宝に認定するってその理屈がよくわからない。
陶芸の技術は価値の高いが作品はそうもない・・・って矛盾のような?
倭人が作った茶碗で国宝認定はたった二つ(光悦と作者不明)
重文だと・・・・光悦、長次郎、道入・・・・調べるの面倒なのでやめ!歴史上の名陶芸家の作品だけのようです。
現在人間国宝認定を受けている方の作品は・・・・ありますかねえ


さらに疑問なのは、誰を人間国宝として選ぶのだ?
採点競技みたいなものですから、定量的に優劣がつくわけじゃない。
何でこのヒトが?って事例は聞き及びませんが、どうして選ばれないの?って疑念は多々。
やっぱり、知名度とか事前運動なんかがものを言うのでしょうかねえ・・・・・





2016年12月3日土曜日

特定複合観光施設区域


なんとも珍妙な法律法語で・・・・

カジノ施設及び会議場施設、レクリエーション施設、展示施設、宿泊施設
その他の観光の振興に寄与すると認められる施設が一体となっている施設であって、
民間事業者が設置及び運営をするものをいう・・・らしい(法案の第二条)

要するに、TDLとかハウステンボスに賭博場がくっついたものだということ。
鉄火場だけは作れませんから、余計なものをたくさん作らないと賭場は開催できない。
手っ取り早いのは、既存施設に追加でしょう。
しかし・・・夢が壊れるし、でも背に腹は・・・

具体的な中身やセイフティネットの構築は実施法の中身次第。
今時点で・・・
国際競争力の高い魅力ある滞在型観光を実現し、地域経済の振興に寄与するとともに、
適切な国の監視及び管理の下で運営される健全なカジノ施設の収益が社会に還元されることを
基本として行われるもの(法案の第三条)・・・となるかどうかは極めて不透明。

国際会議のついでに、レクレーションのついでに博打しようって普通はないですよねえ。
この法案では、

カジノ
チップ

なんて用語が散見されますから、ルーレット、ポーカー、バカラを想定しているようです。

花札
手本引き
丁半

とかの倭国古来の賭博は蚊帳の外でしょうか?
クールジャパンなんだから、廃れさせないためにも場を与えてもいいがねえ(笑)

法案によれば、運営会社は納付金を払い、参加者は入場料を払う事を前提にしているようです。
勝てば当然に一時所得ですから、補足システムは遺漏なく作るはずです。
運営会社を日本企業に限るとか参加者は外国人だけという縛りもありません。
パチンコで倭人が北鮮にむしられる構図もどきの悪夢の再現も想定されます。


こんなお馬鹿な施設建設に資金を投じるくらいなら、五輪施設建設の方がまだマシ。
普通の投資感覚ならそう思うと考えますが
唯一正当性がありそうなのは、海外で百億するなら国内でやってくれ(笑)・・・かな。





2016年12月2日金曜日

世紀の歌姫




メリルストリープの歌唱力を特段気にしたことはない。
マンマミーア等でノドを披露していますから、グラミー賞はともかくもそれなりである。
しかしながら、実の所彼女って歌力も天才的ではないか?と思えたくらいの「凄さ」

音痴はまともに歌が歌えないと言われるし、自分が音痴であることに気がつかない・・・らしい。
しかし、真っ当な歌唱力があれば、音痴に歌えるものなのか(笑)
あるいは、これも彼女だからの天才的な演技力の賜物なのか?

正確無比に記譜記号通りに歌えば、観衆が感動するってものではないことは
年末頃にやっと解散するらしい中年アイドルグループや単品じゃ商品にならない群ドルをみればわかること。
記譜記号が感動を産むわけではないってことは、何度でも声を大にしていってもいい。


40年代の実在のNYセレブな歌手だったらしい。
音楽史の馬鹿馬鹿しい逸話には詳しいつもりだが、彼女が歌った「夜の女王」の出来栄えは冒頭のリンクの通りである。
コメントは・・・・絶句
普通は、その次のような超絶技巧的なアリアです(声が裏返るじゃんないかって思うくらいスリリングです)

なんだか不思議な人気があったことや実際に44年にカーネギーで歌ったことは史実である。
ダフ屋が出るほどの前人気の高さであったことも事実です。

なんとも次から次へとユニークな企画で映画を作るハリウッドに脱帽である。
しかし、昨年制作されたフランス映画の「偉大なるマルグリット」は、このフローレンスフォスタージェンキンスの逸話を
元にしているはずだ。
昔風の薄幸の美女や良妻賢母役は廃れ・・これは事実、強く逞しい女性像ばかりなハリウッド映画というのはある種偏見である。
多様なキャラクターを描き得るだけの底力はやはり凄い


期せずして・・・・ってところが実に面白い。これも、仏蘭西の文化力かな。
ま、この映画ですが・・・まさかストリープはこれでオスカーなんて狙わなかったって思いますが・・・









2016年12月1日木曜日

エミリーブラントにオスカーを!




蝸牛には、まったく影響力はありませんが、そろそろもらってもいいのではないでしょうか。
これは出色のピーピングスリラーです(蝸牛の新造語)
覗き見映画は珍しくありませんが、傑作はヒッチコックの「裏窓」くらいだと思います。
アウトサイダーとインサイダーでは「覗き」の視点が違います。
時系列が頻繁な相前後する錯誤感がよりミステリアスな気分を掻き立てます。

三人の女.........なんだかあのロバートアルトマンの忘れられた傑作を想起する。
もっとも、ヒロインが三人登場するという点だけですがね(苦笑)



実によくできています。
実のところ、よく出来ていると感心したのはエンドマークの数分前(笑)
予告編からストーリー展開を予測するのも難しい位の難解さ。
ネタバレなくてはブログにもならない。
はたと・・・・タイピングが止まる(笑)


この程度で堪忍して貰おう。
定価で鑑賞しても後悔しないことは太鼓判(複雑な内容が理解出来ない知力なら論外です)

ヒロインその1
アル中、妊娠願望、夫の不倫が原因か離婚してプー太郎状態。
郊外からマンハッタンまでの車窓から見る風景は......

ヒロインその2
郊外列車沿の洒落た個建ちの妻、可愛い幼児、優しそうな夫
なぜにかきわどそうな若いベビーシッター

ヒロインその3
十代の頃の忘れたい思い出、夫と二人暮し、
片手間の家事のアルバイトとセラピストのカウンセラーに入り浸り


これにマッチョ風なオスザルが三匹からむんですよ。
時間つぶしの娯楽だと思ってええ加減に見ていると錯乱しますよ!!





2016年11月30日水曜日

デカメロン・・・そしてペンタメローネ



ボッカチオの作品でいわゆる「艶笑小話集」ってことくらいは知ってますが、これ以上でもそれ以下でもない。
つまり、読んだことがない・・・(と思います)
デカメロン、つまり「十日物語」があれば「五日物語」もあるって・・・はじめて知りました。
西洋童話(御伽噺)のネタ本みたいなものらしくって、17世紀ころのナポリ方言で書かれているそうです。


これほど予備知識のない映画を見るのは初めてです(苦笑)


監督は初見。カンヌでは有名な鬼才らしいイタリア人
イタリア語とおもいきや英語版でしたし、主な役者は・・・多国籍軍みたいだ(メキシコ、フランス、エゲレス、アメリカ・・・)
多くの説話の中から三篇をチョイスしているようですが、オムニバス風な一貫した物語展開
各地の美しい風景と古城が登場するイタリアン風景。
物語りもさることながら、お城がすばらしい。
五稜郭みたいなシントメリックな古城は世界遺産らしいがむべなるかな。

三つの王国と三人の王妃ってサブタイトルが余計ですが、コンテンツの予測には役に立つ。
シンデレラ、美女と野獣・・・・とかなんとかおとぎ話映画三本立てが一挙に凝縮されて鑑賞できるお得版ですなあ。


メスザルの野望は「永遠の若さ、白馬に乗ったハンサムな将来の配偶者、眼に入れても痛くない愛息」かどうかは知りませんが
インポシブルな夢がかなうには払うべき犠牲も大きいって教訓話です。
オスザルがみれば、ウンウンって納得するのだろうが、その野望に翻弄される哀れな存在。
メスザルが見れば・・・・残酷とは美しさの裏返しって思うのでしょうか?


ろくすっぽ宣伝もしなかったようですから、入りは最低に近い。
見るなら早めだ。
しかし、観れば見たくないグロテスクな裏側を見てしまうから、
観ない方がある種こころは安らか。

2016年11月29日火曜日

晴れやかな場へのご招待(1)




師匠筋の御大が「人間国宝」の認定を受けました。
なんとも晴れがましいということで祝賀会の運びとなりました。
大阪市内の然るべきホテルの宴会場ですが、スペースを忖度すれば参加者は数百人くらい?


最末端の若手(蝸牛が若手という世界)弟子がノコノコ足を運ぶことでもないが、
ミーハーだし、およそこのような趣旨のパーティーは最初で最後ですから。
発起人も、能楽、歌舞伎界を始め錚々たる・・・祇園や上七軒の綺麗所やZUKAのお姉さんはこないのか(残念!)

さて、何を身にまとうのだ?
平服という指定ですがそれだけじゃドレスコードにならないだろう。
まあスーツ生活四十年。如何なるTPOにもびくともしない自信はあるが・・・

幾らお包みするのだ?
招待状には、会費◯万円と描いていますが、この世界は単に下限表示かも?
でも、別口の御祝儀出してますから・・・そうでないと悩みますねえ。



思案のネタは様々なのですがさておき

①人間国宝(重要無形文化財保持者)
②紫綬褒章受賞者
③文化功労者
④国民栄誉賞受賞者
⑤文化勲章受賞者

様々な栄誉がありますが、どれがどうなって一番席次の高いのどれかね?
蝸牛が貰える可能性は限りなくゼロですが、
万一ってこともありえますから、あんまりつまらん栄誉ならば、礼を失しない程度に丁重にご辞退しないとねえ(笑)


稀少性からすれば②が最下位になります。
その道でひとかどと言われ還暦を過ぎると大抵もらえるって塩梅です。
馬鹿息子が強姦容疑でも母親はもらってます・・っていうか返上したとは聞いてません。
年齢基準がなくなったそうですから、五輪のゴールドメダリストだと誰でも貰えるんですよ。
でも、勲章や褒賞は不良行為なんかあると剥奪されますから気をつけないといけません。

誰が栄典を授与するかって観点ならば、文化勲章や紫綬褒章は天皇名ですがあとは臣下名。
つまり、栄典の授与は国事行為なのです!
国民栄誉賞って有難がたがってもたかが総理大臣表彰の一つだし、文化功労者や人間国宝は文科大臣名(・・・だとおもいます)

賞金額(年間の功労金)からすれば、文化功労者は350万円、人間国宝は200万円。
勲章、褒賞等栄典には特権付与禁止と憲法の定めがありますから、文化勲章や紫綬褒章にはなにもなし。
まあ、名誉は銭目では評価してはいけないってことですよ。
聞き及ぶに某国の「孔子平和賞」の賞金はノーベル賞の賞金を凌駕するらしい。
それがどうした(笑)
夜郎自大ってこういうことを言うって、かの国の伝統文化から学びましたが、本家はなにも学ばない。



なかなか宮中席次って難しいなあ・・・・
まあ、

⑤ ③ ① ② ④

独断でしょうか(苦笑)
文化勲章の重みは、昭和12年の勅令を根拠法とするところにある。
時は、広田・林内閣時代
この武張った時代に「文化」勲章とは如何に?声が軍部並びに軍に阿る政治屋から当然にあったとおもいます。
まともに法案だと議会で通るはずがない・・・
だから、天皇の勅令という裏技を広田弘毅は使い、ヒロヒトもそれを嘉納した。
勲章のデザインまで、ミカドのアイデアとされます。

そういう事を理解しておれば、謝絶するのは勝手だが、モノのいいようってあるだろう。
かのノーベル賞受賞作家の人格ってその程度なのです。


まあ、悪口はその程度で、人間国宝の制度ですが・・・これまた理解に苦しむところがありましてねえ。
次回に続く。




2016年11月28日月曜日

百人一首を撰する


アンソロジーを作ることは、自他とも認める知性と見識の反映であり、馬骨のような素人が手を出すものではない。

小倉百人一首

選者は藤原定家・・・申し分のない和歌史上の最高峰

縁戚に当たらるらしい有力鎌倉御家人の依頼で選したものですが、なにかとそのコンテンツには毀誉褒貶が激しい
そもそも、歌手を百人選び、その歌手から一首を選ぶというプロセス。

誰を選ぶ
どれを選ぶ

加えて「歌集」なるものは、全体としてのバランスや統一したフィロソフィーも大事なんですねえ。
ということですが、天才に挑戦しようって無謀なご仁も出てくる。

足利義尚(足利将軍の一人)

文化人のようでしたが、定家の向こうを張っての「新百人一首」私撰は無謀だった。
そもそも、定家が選んだ百人以外の歌人からの百首(苦笑)
残り物にだって福はあるだろうが、それなりの歌人が大多数ですから、百は・・・しんどい(・・とかなんとかそれ以外にもあちこちに間違いも多いとか)

その後無謀なことに挑戦する向きはなくなったが、なんとか百人一首と称しての形式流用は散見される。
あえてというべきか・・・丸谷才一が「新々百人一首」を上梓した。
自らが選んだ百人(定家と重複もすればしない歌人もある)による名歌鑑賞論みたいな体裁です。
気に入った和歌の鑑賞の参考にはうってつけなもんで、実のところ拾い読みしかしてません。


さて、自称「昭和の定家」といわれる塚本邦雄さんは「新撰小倉百人一首」
歌人は定家の推薦をそのまま尊重するが、和歌は自分で選ぶ(ごく一部が定家撰と同じ・・・というかどうも和歌の選択肢がなかったようです)
定家と塚本、どっちが優れているか・・・というような対比論は多分無駄だ。
凡作揃いと言われる定家版百人一首であるが、世上に和歌を広めることの貢献度は大なるものがある。
蝸牛は、小学生の頃には、作者名はええ加減で歌意もろくにわからず、それでも全部暗記していた。


今更ながらに・・・この和歌って誰それの歌なのか?なんともつまんないねえ(・・ほかにもっといい和歌があるだろうに)って


文科省は、小学校からの英語教育に力を入れているらしいし、それを否定はしないが、
望むらくは・・・古典を英語でGAIJINに講釈できる程度(せめては説明できる程度)にはさせてほしい。
単にしゃべれますでは、お乞食さんと変わりがない。
そして、競技カルタを体育の正課にしてほしいねえ。



2016年11月27日日曜日

一番偉い奴


いささか「奴」とは無礼な表現であるが、何分書き手が野卑ですから天下御免ってことで・・・苦笑

ありていに言えば公式のお呼ばれの際の席次がものをいう。
呼ぶ側は、それ以上に偉いのですがさておき、

宮中席次

まあこれで決まります。
当然にルールがある。
いくら、銭があろうと力があろうと畏怖されようが、このルールに該当しなければただの地下人
なんとなくですが、平安末期の武家がさほどでもない位階に狂喜乱舞したってわかるような気がします。
全く興味がないのは、宮中に呼ばれる心配のない末世に至るまでの匹夫野人だけでしょう(笑)


当然に「三権の長」・・・と思うようでは思慮が足りない!
定めによれば、大勲位が一番。
もっとも、物故者ばかりですから、今時点では、菊花大綬章お持ちなのは中曽根某だけです。
臣下の中の第一人者ということで・・・・
次に総理大臣とかなんとかの序列がありますが、まあ常識的な順位です。
奇異に思うのですが、会計検査院長って重いのですねえ。検事総長より上です。

首相官邸よりも立派な官舎にお住まいと言われる法制局長官は・・・・?
実に面白くってよく分かりません。
待遇からすれば副大臣や宮内庁長官クラスですが、認証官じゃない。
でも、内閣閣僚の一員のように閣議陪席は認められていますし、改造の度に氏名がリリースされる。
宮中晩餐会だと、ただの公務員だと最末席ってことになります。


席次と権力あるいは権限は違います。
法制局の主管大臣は首相だそうですので、生殺与奪権は総理大臣にありますが、
本気で居直った木っ端役人のクビは簡単には切れない。
況や、法律の番人です。
なんだか、見てはいけない日本的権力構造の一端なんでしょうか。





2016年11月26日土曜日

「移民」なるもの


先祖代々その地に根を下ろし・・・ってことが隣人としてのお付き合いの絶対要件ではない。
土着民だとて、品性卑しいのがごろごろいるし、新住民にもいい人がたくさんいる。
いわんや、眼の色、肌の色で区別するなんて、言語道断といわねばならないが・・・・

しかしながら、近代国民国家は、一定のエリアにおけるヒトザルと土地(海水面)を有効かつ強権的に支配できることを
生業とする以上「居住資格の付与」とは重要な国家統治のシステムのひとつである。


さて怒鳴る度さんは、どこまで「やりたい」ことを本気で「やる気」で、国民的合意形成の中で「やれる」のでしょうか?
どの「公約」をみても、上記の要素にどれにも該当しそうもありませんねえ(苦笑)
しかし「移民の追放」くらいは案外出来そうな気がします。
正当な滞在資格と滞在要件を具備している移民まで追放するのは、ナチス並みの悪行ですが、

不法入国者
在米における重犯罪歴
その他滞在を排除しがたい特別な理由(重病とか、来月に一人娘の結婚式があるとか・・)がない

なんて条件が整えば、国外追放を実施することに反対はしにくい。
その際に一定の猶予期間を設けるとか、身一つか財産の持ち出しを許可するかは、技術論である。
追放理由の軽重なんかでマトリックスで決めればいいのです。
実際に、怒鳴る度さんだって「まずは犯罪者」って発言しているし、事実上「犯罪者だけやればあとは様子見」と言っているに等しい。


さて、倭国の「定住あるいは在留」資格ですが、なんとも難解で複雑(苦笑)
ざっと調べるだけでもそこそこ時間がかかる(・・・し、正確かどうかは政省令まで読み込んでいないので結構あやしい)

まず、在留資格には、特別定住と永住と定住の違いがある。
帰化による居住は、この議論の枠外。
日本国籍を取得してしまえば、斯様な議論は無関係(帰化申請に重大な虚偽があれば論外ですが・・)

永住と定住の違いは「在留期間の有無」
定住者は期間の更新手続が必要であって、更新を認めるかどうかは法務大臣の職権(だから恣意的であってもよいってことじゃない)
永住許可は「素行善良、独立生計維持能力、国益合致」等の要件が必要ですので、要件を具備しなくなると・・・・多分ですが剥奪ができるのだと思います。
常習的な凶悪犯罪によってしか生計を維持できないような輩は、追放してもいいのですよ。
相手国が受け入れるかどうかは・・・知りません。
そうなれば、入管が管理する収容所に生涯拘置するんでしょうねえ(人道的な措置とは言いがたいが・・・)


問題は「特別永住」
これは、戦前からの歴史的背景によるものであって、ライト系は「ザイニチ特権」と非難します。
戦後処理の一連の手続の仲で特例法で決めたことであって、その非難はいまさらっていうことになる。
しかし、立法当時は、過渡期的な存在と位置づけていたようですが、
結果的に元の祖国からは「棄民」扱いとなってしまったために、
子々孫々にいたるまで今の地位を保持せざるを得なくなってしまったということのようです。
理屈だけを言えば、中途半端な法的地位を是正するほうが、すっきりとするが・・・・・実際上手をつけることの優先順位がどうかってことになる。
中途半端に法的地位の是正をおこなったり(参政権の付与とか)することは小手先論議ということにもなる。
実態として日本国民として同等の立場に近いわけであって、期限を定めて「選択」を求めるほうが理にかなう。

ちなみに、特別永住であっても、強制退去事由の特別措置(特例法第22条)ってあるのですよ。
例えば、無期または7年超の懲役(&禁固)に処せられた者が該当します。
ただし「国益の重大な毀損」という要件が加わりますから、相模原事件のようなことをやれば一発アウトでしょうが、
893同士の殺し合い・・・だとねえ。


人口減少の仲で、移民拡大議論を行うならば、このあたりの法的枠組みの抜本改正を避けるわけには行かないが・・・
そもそも、日本列島に居住するヒトザルの数が減るとなんか問題ですかねえ?
環境容量的には、すでにインフェルノな事態です。
経済成長が・・・って有力な反論のように見えますが、毎年数%の経済成長を堅持することが絶対善だと誰が決めたんでしょうか?
















2016年11月24日木曜日

できれば「もみ消し」・・・・たい


不都合な「真実」を報じるから存在価値があり、メディア(報道)とよんでもらえるが、その使命を放棄すれば「広報」としか言わない。
べつに「広報」をバカにしているつもりはなく報道との上下関係で論じてもいない。
広報の使命である「嘘はつかずに不都合な事実を隠蔽」するのはそれなりの技量なり努力がいる。


どっかの医学生(未成年ではないようですねえ)がその辺の底辺大学の文科系ならいざ知らず「輪姦」行為に及んだらしい。
こんな毒々しい表現は最近は誰も使いませんが、あえて・・・
大学側は相変わらず歯切れの悪い記者会見。
もっとも、学生個人の犯罪行為(犯行現場はM田の色魔の場合と違って学校の施設ではない模様)に関して、学部長が出てきて釈明記者会見をしますかねえ?
やってもいいが、捜査や罪状認否は警察の担当分野であり、学校でやること・できることではない。
捜査の方向性等を見極めたうえで、組織的に厳正な対処を行う所存である・・とだけプレスリリースをすればいいのです。
ただそれまでなにもしないか?ってハイエナに喰いつかれますから。いつも言ってますが

罪状が明らかにならない段階であっても本学の名誉・品位なりを毀損するような行為の存在が明らかな(あるいは強く疑われる)事態には
当該学生を「無期限修学停止処分」にできるように「就学規程なり懲戒規程」に定めておけばいいのです。
これは懲戒処分ではなく、あくまでも暫定的な就学手続きである。
あと、被害者とやら(この時点では正確にはそういうことであり、性別もさだかではない)に対して「遺憾の意」くらいは言っておかないと、社会通念上よろしくない。

現段階は容疑ないし疑惑であって、あくまで推定無罪だということ
推定無罪だからといって、警察が事件の概要説明の記者会見を行わないとか、容疑者名を秘匿するって、暗黒裁判や疑獄事件を思わせるようなものだ。
事件にかんがみて、被害者を特定する至る情報の秘匿程度は理解しますが・・・
再発防止に向けて「学生さんのしつけ」をしますなんて、いうのかねえ?
厳しい処分、それ自体が一罰百戒であり、縄付きになったり本学の名誉を傷つけるとどんだけ恐ろしいかって身に染むようにさえすればいいのです。
正確には知りませんが、除籍、放校、退学は違いますよねえ
893の世界の絶縁と破門の違いは知ってんですがねえ・・・(苦笑)


そんなことよりも、警察の記者会見がなければなにも情報提供できないメディアって哀しい存在である。
調査報道という奇妙な言葉がありますが、これは通常の報道とは「公式発表の伝聞」だと言っているようなものである。
報道って自分で調べないんだ・・・
週刊文春なんかにかなわないのは当然ですし、警察が秘匿しようとしてもネットで虚実交えて拡散する「蜚語」を思えば、
当事者はメディに積極的に向き合うほうがお得だし、メディアも足も耳もあるんだから・・と経験則的に思います。


しかし、あちこちで無様な(卑劣な)事件が起きてますが、この学校は二度目ですねえ。
前回も対応が稚拙だった。
前回はともかくも、経験からも学べないらしい(笑)
学んだことは、地元の付き合いとか貸し借りでの「隠蔽工作」だけらしい(勝手な憶測です)
新聞報道による県警の事実公表をしない理由って噴飯ものである。
これでは、その学部の学生さん全員が容疑者の対象であり。彼らとお付き合いのあるお友達のすべてが被害者候補って・・・疑念をもたれるのですよ。
容疑者が地元の有力者の子弟だった可能性って・・・疑う人も出てくる。
医者と警察って日常的になんかありそうだし・・・
もっとうまい方法を教えましょうか?



ワグ・ザ・ドッグ  って映画があります。
なかなか面白いし、ためになります。
だから、役者もそろってます。
キルスティンダンストまでちょい役ででてました。
要するに、スキャンダル(馬鹿笑いオンナの旦那の性的疑惑みたいなの)を隠蔽するためにもっと大きな事件(東欧でのテロ戦争)をでっちあげるっていうポリティカルスリラー・・コメディかな。



2016年11月23日水曜日

今日の感動!


以下はウィキペディアの引用ですが、塩野女史も著作で同じエピソードを書いている(感じ方は同じ)って確信がありますので
NETですが、使いますね。



・・・一方、大カト-の政敵プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・コルクルムは
潜在的なライバルを持たないローマは腐敗して衰亡する・・・と論じ、そのあとむにゃむにゃと語ったあとで・・・

だっから・・・カルタゴ、滅ぶべし!と考える次第である(・・・が毎度の結語)
ラテン語だと・・・Carthago dlenda est

前段の部分は普遍的に正しそうである。
先進国に追いつけ!追い越せ!なんてがんばっている時代はわかりやすいし、活力があった。
世界で二番目なんかになって、目標がなくなったとたんに燃え尽き症候群的におかしくなる。
高度成長やら失われた20年とか、その理由の根っこは案外単純なんですよ。

でぇ、問題は「結語」
スキピオは大のアンチカルタゴ派であり、なにかにつけて目の敵にし、演説のたびに、本論と無関係でも必ず
この一語を叫んだといわれる。
しかし、カルタゴシンパもあるわけで、
コルクルムは同じように演説の最後に「それにつけてもカルタゴは存続させるべきである
・・・とやり返したと伝えられる(趣旨はともかくも、これも見識)


スキピオがクラシックローマにおいてどれほど重要な政治家であるかはよく分かりません。
しかし、後段の有名なフレーズにまつわるエピソードに関して、座布団バッチ族はなにも学ばないのか!
学べば、議会での質問の際にあるいは答弁の後に、必ず最後に言うだろう

・・・それにつけても、北方領土はわが国固有の領土であり、竹島もまた同様であり、
南方鳥島、尖閣はいうにおよばず、辺境孤島の一片たりともそれを侵すものは、千載の悔いを味わうであろう。
艱難辛苦に耐えての自衛隊や海上保安庁組織の実力を見せつけざるべきを期待することを胸に刻め・・・


幸いといえば誤解を生じますが、四辺にわたり領土問題という緊張感をもった70年の歴史。
別に敵対せよとは言いませんが、緊張を持って・・・って事は言いたいですねえ。
潜在的なライバルをもつことは、やはり意義があります。
そういうことを言わないオピニオンリーダーは卑怯です。



2016年11月21日月曜日

初めてのワーグナー(トリスタンとイゾルテ)



トリスタンがオトコでイゾルテがオンナ。
逆だと勘違いしていたが、これは倭の慣例(お初徳兵衛、お軽勘平とか・・)が普遍ではないのだ。
北欧神話とこれまた勘違い。
舞台はブリテンです。
ケルト神話の延長かしら?
トリスタンは、アーサー王の円卓の騎士でもあるようです。
騎士道文学・・・とりわけアーサー王ワールド(伝説あるいは説話)は、後世のあらゆる芸術の最大のネタ本である。
が、浅学菲才にして蝸牛はあまりよく知らない。

時代は・・・クラシックローマなんかが登場しますから、末期古代のようですが、風俗的には中世
場所は・・・イングランドの南西部からウェールズあたり

キリスト教に席巻される以前のケルトの風情満点
アーサーは、典型的な貴種流離譚の装い。
手には正統なブリテン島の統治者の証しである妖刀エクスカリバー。
そして十二人の円卓を囲む騎士たち。なんかジュダイの騎士みたい(笑)


文芸の定番である、ドロドロ愛憎劇は、近代フランス小説に限らずアーサー王伝説でも例外ではない。

ランスロットは、アーサー王の股肱之臣
グィネヴィアは、アーサー王の貞淑な妻なんですがランスロットと不倫中
一方でランスロットは、なんちゃらなる若い婚約者だか恋人がいますから二股愛

こんな状況で悲劇が起きない訳はなく.........なんですが、
ほんとうにヒトザルは過去の過ちから学べない。

実はトリスタンは、ランスロット卿の蹉跌である・・・ってことで、この壮大なワーグナーの楽劇は始まる。
まるで、シェイクスピアの悲劇だか史劇を見てるようです。
いや違いますねえ(笑)
シェイクスピアの作品のモチーフに騎士道文芸のエレメントが使われたのだ。

忠節と裏切
貞淑と不義
羨望と嫉妬
誤解と無知
愛と死


しかし、苦痛の......いや苦痛も限界を越えれば法悦の5時間7分。




しかし.........

浪速のオッサンやオバチャンにこんなにワグネリアンがいたとは知らなかった。
シネコンの料金としては法外だし、各種割引は一切なし。
貸し切りで堪能......は甘かった。座席の両サイドに観客って久し振り・・・
NYのメトロポリタンまで足を運ぶことを思えば何十分の一ですから、ライブビューイングってお安いのです。

そもそもチケットも完売だった模様。
指揮がBPOのサイモンラトル。
今のうちに聴いておかないと悔いが残る。
英国に帰るだけのことですが、ベルリンフィルより、ロンドンフィルが良いのかねえ。

2016年11月20日日曜日

マグニフィセント・セブン




泥鰌は何匹もいないはずだが、一体これで何作目だ?

荒野の7人なる西部開拓時代のメキシコを舞台にリメイクされたことは有名ですが、
その後も3作も作られているってまあマニアでもないと知らない。
もっと、知らないことは、更にリメイクされて、マグニフィセント・セブンって「懐かしい」タイトルで公開だって!
実のところ「マグニフィセント・セブン」とは、荒野の7人のオリジナルタイトルなのである。


個性を7つも用意するのはかなり難しい。
今回も苦労したことはありあり・・・成功したかどうかは、スクリーンで確認するしかない。
思えば、荒野の7人の頃は、オリジナルを参考にしていればよかった。
それぞれを比定する楽しみってありますが、まあ、好事家の暇つぶし。
お気の毒なのは、主役のユルブリンナー。
落ち目の三度笠ってことで、リバイバルの度に脇に追いやられる。
そう言えば、撮影中でも、スティーブ・マックィーンに喰われて、相当に鬱積していたらしい。
言っちゃなんですが、あの7人の中で一番華がある。




60から70年代のビッグスターですよ。
オスカーには縁遠い(ベストアクターノミネートが一回だけ)
西部劇でなければ、バイクや四輪が登場しないとサマにならないってこともあり、シリアスな役柄は・・・・どうもねえ。
砲艦サンパブロやパパピヨンなんかにどうして出たんでしょう?
後者は、不屈の闘志でギアナの悪魔島から脱獄する囚人ですから分からんでもないが・・・前者はどうした事か。

チョット忘れられかけていますが、マグニフィセント・セブンの公開に合わせて旧作がリバイバルされるかも。

2016年11月19日土曜日

ジビエビジネス


野性獣はこれから食材として美味しくなります。
野性の四つ足の食べ方の歴史と伝統に乏しい倭国ですが、
災い転じてかなあ・・・イノシシやシカが手に入りやすくなった。

牡丹と紅葉って隠語風がゆかしいねえ。今となっては禁忌でもないし、害獣駆除の二次利用。
ドッグフードになるよりは遥かにいい。

ローカロリーで高タンパク、胃もたれはしないから翌朝スッキリ。
いわゆる食肉三品なんかより遥かに良質。
しかし、お値段は・・・って言われれば、イノシシは豚の四倍だそうな。
安定的に流通ルートに乗るわけでもなく、提供するお店としてはリスクが高い。


寓居の近くの小料理屋さん。
大将が一人で切り盛りをしている。
カウンターが数席にこあがり一つ。
アシスタントが一人いてもいいが、客足からすれば多分にやっていけない。
作州出身で実家は農業。
近隣には漁師や猟師なもんで、地産地消が売り物

海産系はちょっといただけないが、野菜、川魚、ジビエは絶品である。
今の時期は、ちょっと無理を言い、紅葉鍋とか牡丹鍋をお願いする。
今野菜が高いんだって・・・なんて他人事のように言いながらのジビエ鍋
お酒は・・・当然BYO(笑)
でも、ちゃんと食後酒には、お店でキープした高濃度の焼酎です。


そうそう、〆は作州素麺。
地元的には後山素麺というらしいが、これじゃブランドに向かない。
三輪に比べるとちょっと太めのソーメンですが、なかなかのものです。
紅葉鍋に実によく合う。
讃岐うどんの美作版みたいなものですが、そこまで岡山県も力をいれず、いまや製麺所は風前の灯火らしい。
ささやかに、貧者の一灯、蟷螂の斧、蝸牛の角って感じで支えています。




実の所、食物連鎖の狭間での天の恵みであり、経済原則として安定流通するもの、出来るものではない。
ファンが多くなって、需給がおかしくならないことを願っています。

2016年11月17日木曜日

スピンアウトした老人の7カ条・・JRの生き様

実に素晴らしいっておもいませんか?


職には就かない(陸軍憲兵隊の捜査官だったが、除隊後は全米を放浪)。
住居は持たない(徒歩やヒッチハイク、バスで移動し、流れ着いた街の安宿を転々)。
身分や居所を明かす物は持たない(携帯電話・免許証、クレジットカードなどは持たない)。
人とは絶対につながらない(恋人・家族・友人など面倒な人間関係は必要なし。女も一夜限り)。
証拠は信じない(警察はまったく信用せず、証拠も信じない)。
法律は関係ない(自分に絶対的な自信を持ち、己が定めたルールこそが法)。
悪は決して許さない(悪を見過ごすことができず、正義のためには手段を選ばない)。


アメリカ海兵隊の父親とフランス女性の間に生まれ・・・・軍人として最優秀であればこうなるらしい。
軍人でなくとも、真のヒトザルとして生き抜く精神があればそうなるかなあ。
老人としても実に参考になる




原作者は英国人であるってちょっとビックリ。
人物造形も、体型的には、マッチョレスラータイプ・・・これって映画向きじゃない。
なもんで小柄だけどもキャラ的にはフィットするオカルト俳優と相成った。

処女作は、愛するロザムンドパイク様がヒロインで登場するから、足を運びましたが・・・なんともねえ(苦笑)
第二作はよくできてます(初回作との比較評価が出来ればですがね・・)
自己規定の行き方を逸脱するから人物造形に深みが出る。
しかし、つくりがあざとくて、嫌いなんだよ・・・・ガキでてくるし。

眠狂四郎や木枯らし紋次郎と同じ
関わりを持ちませんって言いながら、ドブドブまで浸かっていく。
ヒトザルの行き方は・・・・なんともいやだねえ。
所詮、一人って無理なのよ。


後輩の憲兵隊軍人ともしかして実の子供・・・ってふたりのメスとの逃避行って、
なかなかのスリリングです。

2016年11月15日火曜日

BJの日記



1 ヘンリー・フィールディング トム・ジョーンズ イギリス 英語 1749年
2 ジェイン・オースティン 高慢と偏見 イギリス 英語 1813年
3 スタンダール 赤と黒 フランス フランス語 1830年
4 オノレ・ド・バルザック ゴリオ爺さん フランス フランス語 1834年〜1835年
5 チャールズ・ディッケンズ デイヴィッド・コパフィールド イギリス 英語 1849年〜1850年
6 ギュスターヴ・フロベール ボヴァリー夫人 フランス フランス語 1856年
7 ハーマン・メルヴィル 白鯨 アメリカ 英語 1851年
8 エミリー・ブロンテ 嵐が丘 イギリス 英語 1847年
9 フョードル・ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟 ロシア ロシア語 1879年
10 レフ・トルストイ 戦争と平和

ーーー

サマセットモームが言うところの「世界10大小説」
異論まみれ(笑)
二十世紀文学を除外していることは時代的にやむをえないが、算入すればこのリストから3本は落ちる。
19世紀に限ってのチョイスでもいいが、着目すべき作品が落ちているし、まあ個人の偏見による選択程度に思っておけばいい。
が、当然ながらこれは外せないって作品も入っています。
個人的見解だと・・・3本かな。


お好みの「高慢と偏見」

英国18世紀のジェントリーの日常風景をデッサンすれば、これ以上でなければこれ以下でもなく、ほかに描きようのない
無缺の作品・・・・褒めすぎですかねえ(笑)
この時代、女性は有り余る財力が実家にあればともかく、地位、名誉、あるいは(且つ)財産のあるオスザルと結婚することが
人生の成功のスタートライン。
ジェントリーは働かないことがステータスだし、当時は女性の職業なんてロクでもなかった。


ある意味、現代とは時代錯誤も甚だしいこの傑作小説が度々モチーフにされているのが、作品の価値である。


21世紀ともなれば、メスザルの人生観も劇的に変わったと思うのですが・・・実のところ良くわかっていません(苦笑)
今や女性に向かない職業なんかありえない時代。
結婚しなくともそう奇異に思われないし、同性婚もありですから選択肢も増えました。
子供なんて
ハリウッドセレブ的には生むものでなく貰うもの(東洋系の養子の多いこと)
そんな時代なのに「等身大のワタシ」ってことでBJに感情移入するって、案外にメスザルは保守的なんだろうか。


初回作から十年は過ぎましたから、アラサーからアラフォーなブリジットジョーンズ。
相変わらず、デブと言って悪ければプチぽっちゃりで男日照りなんですが、結婚願望は捨てきれない。
日照りの割に、雨が降るときは豪雨ってことで、セレブなオスザルが複数まとわりつく。

デブで容色衰えた年増の何処がいいのかねえ・・・・
落ちぶれてもやっぱり結婚はしたいのか・・・・

21世紀のカップル風景はダイバーシティの筈ですが、
結末は案外にコンサーバティブ。
原作へのリスペクトだと思っておこう。
なんだか、高慢と偏見というより、BJの人生は、混乱と誤解だ(笑)

2016年11月14日月曜日

あれから五十年がたつ訳で・・・

1968年は明治100年祭。
近代日本の再検証(評価)機運の中で行われた公式行事。
殆んど記憶がありませんが、国民的盛り上がりが背景だったとか。
なんか「仕掛」があったのかもしれませんって疑い深い蝸牛は・・・・
武道館で八十分あまりの式典が行われたそうですが、いささか退屈そうな内容です。


この百年の経験と教訓を現代に生かし、
国際的視野に立って新世紀への歩みを確固としたものにする決意を明らかにする

事がイベントの基本スタンスだったそうです。
あれからそろそろ五十年。
またぞろ、今回はさしたる輿論の盛り上げもないまま、
明治百五十年祭が開催されるそうです。
あの「広告の巨人」の腕力でなんとか一大イベントに仕立て上げるつもりでしょうが、
思惑通り国民各層は踊ってくれますかなあ?

あちこちググルに、山口と鹿児島あたりは盛り上げ気分。
いまどき薩長同盟なんて流行らないし、歴史の一素描に過ぎません。
一部が姦しい「文化の日を明治の日へ」............もこの文脈だとわかりやすい。
靖国に「賊軍」だってお祀りしましょう・・・もそういうことですかねえ?

来年は江戸幕府方らしいが、2018年の大河ドラマも、テーマは決まった!
しかし、毎度の幕末期ものでは明治以降が描けないが、明治以降に限定すれば、
坂の上の雲の焼き直し。
コンセプトが難しいねえ(笑)
相談してくれれば、素晴らしいアイデアはあるんですが・・・
なんとも、西郷隆盛か・・・西南戦争や征韓論も扱うんだよねえ

実のところ、司馬さんの坂の上の雲は明治100年祭協賛新聞連載小説なのです。
当時はいまほどライトじゃなかった産経新聞にでてました。
あの朝日すら、協賛新聞連載小説を出しました。

天皇の世紀(未完)

大佛次郎さんには「好きな風に好きなだけ書いていい」という破格の条件だったそうです。
刊行されているのは、文庫版で12分冊。
お元気であれば、どこまで書いたのでしょうか?
明治天皇のご生誕前後からの描写から始まりますから、崩御まで書くつもりだったかな?
でも、タイトルのわりに孝明天皇はとかく登場しますが、明治天皇の姿が見えない・・・っていうのが読後感で、再読中です。
未完部分に登場する予定だったのか、それともあの「陰謀」のおかげで事跡は長州の手で抹殺され、大佛さんも手に負えなかったか・・・


いっちゃなんですが、明治百年の「「成果物」はこれら小説(あるいは歴史随筆)だけだと
思っています。
歴史的祭典の意義においては「過去を顧みる部分はさておき、・・・自然や人間性を荒廃させている現実を憂慮してその是正を痛感し・・・」たとはとても思えず、「次の世代をになう青少年の物心両面の一層の努力と精進に期待」 って、余計な重荷まで背負わせてって言われそうです。


明治150年祭ですが、なにを未来に残すのでしょうねえ?







2016年11月13日日曜日

深夜食堂・・・再訪





実際にあちこちにあるらしい。
NET上は、ちょっとした関連サイトの山
店主が、寡黙で訳アリ風なオトコかどうかは知らない。

文芸の王座をさっさと引退すればいいと思うが「小説」は、書くべきジャンルをドンドン浸食されている。
マンガ(漫画でも劇画でもいいが)の表現力が豊かになった・・・違いますねえ
才能が、小説からマンガに移動したんですよ。




かつて映画がだめになり、TVに移り、そしてCM製作者が頂上を極めるようになった・・・姿に似ています。
そのマンガが映画でよみがえるのも、因果かな?
昔と違って、映画製作システムがデジタル化されましたので、ある種参入障壁が下がったし、匠の技をCGで代用できるようにもなった。

原作マンガは、実のところ絵がきれいではないが、ちょっと滝田ゆうさんに似ている(・・・からファンがついたか?)
マンガをTV化し・・・まではいいが、それから映画化ってちょっと難儀だと思うのですよ。
所詮、市井のありふれた素描風の短編マンガですから、30分枠のTVにはもってこい。
しかし、短尺であっても90分の映画にするには荷が重い。
オブニバス風って方法もあるが・・・やはり、全体を貫く「なにか」がいる。
この程度は映画作家なら常識の世界であり、一話完結なんだけど全体で大きなストーリーが展開しているって昨今よくある作り方。

なもんで劇場版の第一作


田中裕子と骨壺を全体のモチーフって奇天烈なことをやったもんで・・・極私的傾向主義派からすれば抱腹絶倒映画に堕してしまった。
多少偉いのは失敗から学んだのか、つまらない小細工を辞めた。
ありていに言えば、

焼肉
焼うどん
豚汁定食

が脈絡もなく登場するだけのシンプルなつくり・・・まあ、これいいんですよ、この映画のタイプは(笑)
新しいファンを呼び込もうってな野心のない映画。


2016年11月12日土曜日

高齢者なるもの・・・





論語の「為政篇」に、孔子が自身の生涯を語ったとされることばがある。
孔子ご自身で編纂したわけではなく、弟子や後世の門人たちが編集したようですが、特にテーマを決めてという風にも思えない。
編の名称も最初の文章の「引用」ですから、為政といっても政治の要諦ばかりを集めたってことでもない。

特に、この編で一番有名なのが・・・

十有五にして学を志し
三十にして立ち
四十にして惑わず
五十にして天命を知り
六十にして耳順う
七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず

多分であるが、かくあれかしとかかくありたいではなく、自分の人生はこうだったから満足しているって解釈するのが妥当だろうと思われます。
老境の身で人生を顧みて、こう思えるって「シアワセ」としか言いようがない。
孔子ですら「できた人間」になるまで成長するには70年もかかったわけですから、
その辺のガキのおバカ行状を非難にしてもしょうがないし、致し方ないってことだと諦観するのが正鵠を得ている。
若いやつに任せられないっていうことも一部的には正しい。


ある国・地域において、

高齢者が人口の7%以上を超えると高齢化社会
14%を超えると高齢社会
21%を超えると超高齢社会       と呼ばれる。

日本では、人口推計上2050年代までは世界第一位の超高齢化社会のはずで、2060年代になればトップの座を譲り渡すらしい
そもそも高齢者の定義って様々であり、一般的にはWHOの定義に従う。

65歳以上を前期高齢者
75歳以上を後期高齢者
85歳以上を「末期」高齢者と呼ぶはずだが、さすがに語感が悪いと思ったか倭国では使わない(苦笑)


人口の三割が所謂「高齢者」なんだから、うまく折り合いをつけていかないとよろしくない。
孔子に従えば、高齢者になって初めて他人様の意見に耳を真摯に傾けることができ、好きにふるまっても社会常識を逸脱することがなくなるわけだから、
隠居して家でゴロゴロされては困るってことである。
しかしながら・・・困ったことに

儒教的な長幼の序という高齢者厚遇の背景には短命からくる希少性があることは否めない。
馬齢を重ねるだけで社会保障費を食い潰すだけの存在には畏敬の念はおきようがない。
どうも、ご老人は以下のタイプに分かれると・・・誰が言い出したか(?)

円熟型(過去を後悔することもなく未来に対しても希望をもつ楽観派)
依存型(現実を受け入れ、物質的・情緒的な支えを与えてくれる人に頼る無為安楽派)
防衛型(若い時の活動水準を維持しようとする老化拒否派)
憤慨型(老いに対する不満が他者への攻撃となってあらわれ、責任転嫁派)
自責型(人生を失敗だった・自分が至らなかったと考えてふさぎこむタイプ)


一見してわかることだが、円熟型がマジョリティならば苦労はしない(孔子のような方がゴロゴロいるはずがない)
キレル老人とは「憤慨型」であり、社会的には迷惑
自責型だと引きこもり鬱状態になるんですかねえ?
防衛型も席を譲ろうする若者に説教する程度ならまあ罪は軽いが・・・
一番たちの悪いのが依存型。社会保障費を筆頭に、ごく潰しのように国会財政を食いちらかす輩である。
自業自得って言葉を知らないのねえ?
いささか誤解を生みそうだが「人工透析患者を罵倒し、メディアから消えたオトコ」がいましたが、実のところ彼の問題提起は正しい。
完治のめどのない高額医療の費用をだれが負担するのかって・・・本当に白熱授業テーマなんです。
小野薬品のなんとかっていうがん治療薬ですが・・・一年間投与すると35百万円!!だそうな
そんな話は山とあります。
無意味に馬齢を重ねるだけの研究開発に科研費を投入する意味ってありますかねえ?
いまでも環境容量以上の人口を抱えており、地球上津々浦々が長寿国になったらいったいどうなるんですかねえ(多分なりはしないが・・)




さて、今日は蝸牛庵のお誕生日・・・というように戸籍謄本に書いてます。
耳順の年は過ぎましたが、従心の年まではまだまだ。
上記のどのタイプを選びますかねえ(笑)
憤慨型や自責型になる可能性は低そうですが、依存型や防衛型は大いにあり得ます。
円熟型? ・・・ありえません。蝸牛は儒家よりも法家思想を信じていますからね。


2016年11月11日金曜日

やっぱり「電子投票制度」には反対だ!


開票作業の経過とは、学校でのクラス委員の選出でもスリリングで面白かった(笑)
大抵は、黒板に候補者の名前を書き、開票の都度「正」の字を書いていく。
カウンティングの世界とは五進法の世界なのだ。

しかし、単純な投票システムだと面白みがない。
改めてアメリカ大統領選挙をライブで見ていて(正確にはウェブサイトの閲覧)そう思った。
改めて仕組みを調べるに、間接選挙であって、有権者(投票権を行使したいと思う18歳以上のアメリカ国民で登録を希望する者)が
大統領を選ぶ資格のある選挙人に投票する。
選挙人の数は・・・実に面白い。
各州の上院議員数(これは二名に固定)と下院議員数(十年単位の国勢調査で定数は変わる)の合計が535人
州でないコロンビア特別区にも3人が割り当てられ、総計で538人。
従って、270人の選挙人を獲得すればいい。
仮に同数であれば、下院議員の週単位の選挙団体の投票で決まるそうです。
しかし、州の数は50ですから同数の場合は・・・・なんかルールは絶対にあるはずですが、知りません。

日本国では最高裁の判断では違憲とされていますが、合衆国だから許される制度なんですねえ・・・
州単位の最低選挙人の数が3人。つまり下院議員数が1名が人口にかかわらず固定枠(合区という考え方はない)
結果として、3名から最大のCAのように55名まで・・・・
詰まる所、ピンフでセコセコ上がるよりも、ハネマンでガバって事になる。
だから・・・サッカーはつまらない(笑)
ショー化すれば、3Pポイントとか、まあ色んな得点方法の組み合わせになるわけですよ。

この選挙人選出ルールからすれば、総得票率の一番が勝者にならない可能性がある。
だから制度的に致命的かどうかは見解の分かれるところである。
今回も、馬鹿笑オンナの方が総得票が上だったそうである。
完全無欠の制度なんてあり得ないし、考える事自体が愚かだ。
仮に出来たとしても、運用するのが愚昧で欠陥だらけのヒトザルである。

愚かなヒトザルにはパンとサーカスが欠かせない。
それをおろそかにすれば、施政者のクビが飛ぶ・・・・のはクラシックローマ以来の伝統である。
四年に一度のショータイムではないか。
開票結果の出そうな州とその選挙人の数を考えながら、勝敗の帰趨の予想をする醍醐味のプロセスが楽しい。
コロシアムでヒトザル同士が殺しあうよりははるかに健康的である。
半日程度、赤ペン片手の勝敗予想・・・当然、左手にはワインあるいはビールグラス。
スーパーボウルに匹敵する楽しさ・・・ICTの手に奪われてなるものか!

ーーー

しかし、理屈っぽく言えば、可能性として「怒鳴る度」の当選が確定したわけではなく、選挙人が確定しただけである。
選挙人は、予め誰を大統領に投票するかを「誓約」した上で十二月の上旬に投票するわけですので、
この結果で初めて大統領の当選が確定する。
だから間接選挙なのです。
過去の歴史から言えば、選挙人が態度を翻した事があります。
違法でもなく罰則もないって州があります。つまり・・・造反投票は有効!
それで、勝敗が変わった事がない・・・とウィキペディアには書いてますが、蝸牛の薄っすらとした記憶では・・違うと思う。
誓約の規範性をどの程度持たせるかは州の裁量ですから、もしかして・・・そこそこの「造反」が出るって
あり得るのですよ。
勝負は下駄を履くまで・・・本当は分からない。




2016年11月10日木曜日

予想は何故に「悪しき」方向に外れるのか?


未来予測が確実に「当たれば」・・・こんなつまらないことはない(笑)
所詮は「神の領域」であって、ヒトザルが「馬鹿笑オンナが有利とか怒鳴る度が漁夫の利」とか勝手に予想するものではない。
まあ、予想屋って職業もありますし、それで飯食ってる連中も多い。

細かい得票分析は、はずれ予想をやらかした識者が色々と後講釈をやってくれるからそっちにまかすとして・・・
なんだか英国離脱国民投票も含めて、世界はあんまりよろしくない方向(つまりインフェルノの世界)に進んでいるのかもしれません。


世界は「不寛容」になりつつあるような気がします。
衣食足りて礼節を知るということが正しいのであれば、世界全体は「貧しくなりつつ」あるのです。
人口ボーナスではなく、真の生産性向上等に基づく成長か?といわれれば、それは疑わしい。
全体が成長していても、その富が偏在化すれば、全体感としては貧しくなっているってことになる。
クラッシックローマの衰亡は・・・いろんな説がありますが、
多様性を飲み込むような寛容さが無くなったことがトリガーとなって移民政策に失敗した・・・って
なんか最近見たような光景と二重写しに見えます。

議会制民主主義を通じてではなく「直接行動」に出ようって機運も強くなった。
まるでSWの世界(笑)
機能不全となった民主的な共和国に取って代わったのが「帝国」
取って代わられる前に・・・ってありげな話です。
既成の政治勢力に飽き足らず、サードパーティに一定の支持が集まる・・・
破天荒になにか(なんでもいいから)新しいことをやってくれ!って気持ち
これらへの支持がエシュタブリシュな馬鹿笑オンナの足を引っ張ったって構図は、ありげな仮説である。
既成秩序なるものは絶えず批判にさられれるわけですし、惰性や慣性の法則も働くし、
いつもストレッチとブラッシュアップを繰り返せるように
しておかないと・・・民間企業ならつぶれるのですよ。 

ある種の「諦観」
どうせそうなるんだから「逆張り」でもって、心の底にある天邪鬼精神。
確かにねえ・・・一族が王朝化するって北朝鮮と変わらない。
それでも業績を上げて歴史的に肯定される存在ならそれでもいいが、
少なくとも90年代以降クリントン・ブッシュファミリーの評価はあまりよろしくない
っていうのが、あちこちの評価のようである。
まあ、風雪に耐えてというのが歴史評価なので、最近の大統領は損する傾向にはありますが・・・
そう考えれば「二世議員や三世議員」がたむろする国ってどうなっているのかねえ?

歴代43人の大統領の評価ランキング(数年おきの政治学者や歴史家の評価結果)ですが、
最近では、ニクソン以降絶望的な評価とまではいかないが、さして高い評価は誰も得ていません。
よくて平均並み・・・・

33 ハリー・S・トルーマン     — 09 08 08 07 07 07 07 05 07 07 07
34 ドワイト・D・アイゼンハワー — 22 11 09 11 12 08 09 09 09 10 08
35 ジョン・F・ケネディ    — — 13 14 tie 08 10 10 15 08 18 14 15
36 リンドン・ジョンソン       — — 10 12 14 15 13 12 10 17 15 18
37 リチャード・ニクソン      — — 34 34 28 25 23 32 25 33 26 32
38 ジェラルド・フォード      — — 24 23 23 27 32 27 23 28 28 28
39 ジミー・カーター        — — 25 26 33 24 25 19 22 30 25 34
40 ロナルド・レーガン        — — — — 16 22 20 26 11 08 16 06
41 ジョージ・H・W・ブッシュ      — — — — — 18 31 22 20 21 22 21
42 ビル・クリントン           — — — — — — 16 23 21 24 18 22
43 ジョージ・W・ブッシュ            — — — — — — — — — — 23 19

戦後だけを掲載しますが、レーガンが多少ましですかねえ。
ハリウッドの二流俳優上がりがって馬鹿にされたことを思えば、
案外「変人奇人」のたぐいって上手くいくかも・・・でも泥鰌が二匹いるとは限らない。
未来は闇です。よくわかりません・・・


















2016年11月9日水曜日

ヒトザルを襲う




食物連鎖のピラミッドの頂点に立つ・・・ってこの地球の支配者ってことですが、
個々のヒトザルは、非武装状態ではか弱い存在である。
そのか弱い存在が、地上に君臨し、我が物顔に振舞い、環境容量の限界以上にのさばる・・・って耐えられないって思う生き物がいるはずだ。

アニマルパニック映画なるジャンルがある。
か弱いヒトザルを襲うパニック映画である。

まずもって「サメ・鮫」である。
あの傑作「JAWS」のおかげかしら、亜流が山とある。
あとは・・・
アリゲーターあるいはクロコダイル
スネークまたはアナコンダ
ベアーだかグリズリーもありましたなあ



実の所、一番怖いのはヒッチコックの「鳥」だが、これはパニックではなくスリラー映画だ。
最後はどれを取っても最後はヒトザルの判定勝ちなんですが、この映画ではとても勝てるては思わなかったが・・・・


はい!ネバーギブアップですねえ。
お手軽な17百万ドル程度の制作費で全世界で一億ドル以上の興収ですよ。
スクリーンに登場するのは、たった七人。
ヒロインは見覚えがあるのですが思い出せません・・・ググるに、アデライン・百年の恋の主演女優だった。

2016年11月8日火曜日

久野綾希子さんという方



もう何度目か忘れました。
上演している国内の街は大抵足を運びました。
幸いにして都会ばかりなので、出向くのに不便ではない。
NYまで行ったのですが、さすがに終演間近でチケット確保失敗し、泣く泣く「シャンプー」を観て
帰ってきました。


CDやらDVDもいろんなバージョンで持ってます。
ロンドン公演のキャストは肉付きがよく野良に見えない(笑)
グッズも毎回買います......が、日用品系が多いのは、さもしい生活感かしら?


パンフレットも最初の頃は、毎回買ってました。
本棚の奥から初回公演のパンフレットが出てきました。
このころは、グリザベラに久野綾希子さんがキャスティングされてます。
そう言えば、彼女って音楽的表現力の割にダンスになれば、

微妙にテンポが遅れる
足が上がらない

でも、結構なお年になったとおもいますが、まだショービジネスの世界におられるようです。


大阪公演は四度目の十六年ぶり。
一番よかったのは、いまはなき難波の「大阪スタジアム」の仮設劇場。
野球場の中にテアトルがある・・・・まわりは野球の観客席。
一時期は住宅展示場なんかにもなってました。
宮部みゆきさんの「火車」にもこのスタジアムが登場します。


次はいつかと考えれば、行けるうちに行かないとなあ・・・・



2016年11月7日月曜日

医者の不養生紺屋の白袴

http://d.hatena.ne.jp/high190/20100315/p1

なかなか便利なサイトですねえ。
学内不祥事なんかあった際の「対応」の方向が見えてきます。
企業版もあるといいのですが、知る限り大同小異ですから・・・・


三田の色魔という方が適語かもしれませんが、そこはそれ・・武士の情けですから、陸の王者と言いますよ。
陸の王者に限らずですが、不祥事なんんかが起きると今迄上目線で訓戒的に垂れるやからこそ、自分がその立場になると
底の浅い稚拙な危機管理対応を演じてしまう。
実際に事件が報道通りなものかどうは判然としませんが、そうであればあるほどやるべき事をキッチリやるべきと言うことになる。
本件に関しての陸の王者の公式リリースは本当に少ない。
どうも、塾生限定のHPで情報開示をおこなっているように思えます。
従って、隔靴掻痒の感があるのですが、こういう告示を出しましたって公式HPに張り出すってことのようです。

10月4日に、なんとか研究会の解散命令を出したことを12日にニュースリリース。
その意図は、未成年飲酒という解散理由以外に裏があるという情報を否定するのが主目的であって、
捜査権のない大学では事件の真相追及は出来ないと居直っています(笑)
キャンパス自治って言葉はどこにいったのでしょうか?

10月21日に、事件の有り様を録画したものを大学としては確認していないという釈明のリリース。
最後に「厳正な処分は推移をみて」がこのリリースのキモ

11月3日に、関係者6人(と言われています)に処分されたと報じられましたが、ニュースリリースはまだです。
無期停学が二人
譴責が二人
あとはよくわかりませんが、無罪放免・・・かな

問題は処分理由。
学則188条違反らしいのですが、学則が確認出来ない・・・公開しないのか?
曰く「気品を損ねる行為」があったとのことですが「気品」とはねえ・・・苦笑
この大学に限らずですが法学部教授であれば、法律案に斯様な表現があれば、構成要件該当性が明確でなく冤罪の温床になるって
絶対に言うでしょう。
推移をみた結果、厳正な処分をなされたって事ですが、どうみても飲酒程度で無期停学はありえない。

問題その一は処分に差がある事ですが、その判断が正しいとすれば、刑法178ノ2条の適用は難しいって事になりますが・・・
動画も残っているそうだから、そういう事なんですかねえ?

問題その二は、事後の処分変更が出来るような学則らしいって事。
絶対にあってはならないとは言わないし、被告の不利益にならないのであれば再審請求もありますが、
こんな話は聞いた事がない。
一事不再理って重要な処罰原則ですが・・・・
ネットでは、甘い処分って非難轟々ですが、その辺のネチズンのレベルなら軽挙妄動しますからまあいいですがね。

普通なら・・・役所が特にそうですが、休職を一旦命じておいて、事実認定が確定した時点で正式処分と言うのが王道です。
学則に休学命令があるのかどうか知りませんが、企業ならば当然にある制度(懲戒の区分ではなく)です。




この程度じゃ、一流ブランドが地に堕ちるって事でもないだろうが、一事が万事。
どっかの広告の王者も悲惨な事になりつつありますので、蟻の一穴、他人の不幸は省みて己を正すって大事なんですよ。