2017年3月9日木曜日
聖徳太子の「抹殺」に異議を!
学習指導要領が改正されるそうです。
覚える力より考える力・・・という方向らしいので、
いったい誰が指導し、
その指導力に疑義はないのか?
って問題を孕むのですが、騒がしいのはそんな大事な事でなく枝葉末節。
なんと「反対のパブコメ」を扇動するに至っては「歴史は政治だ」と思いはますます強くなる。
最新の研究動向を適宜適切に教科書に反映する事は当然であり、
結果として脳髄に刻み込まれた記憶が無意味になっても致し方がない。
なんせ、蝸牛庵の考古学の知識はあの捏造石器事件のおかげでグチャグチャになり、
今更頭の整理をする気にもなれない。
そもそも、ただしかるべき未来予測のために過去を学ぶのだ。
そのためには、日本列島での石器時代の始まり・・なんかのプライオリティは低い。
さて・・・
鎖国という言葉が消える
これは当然である。
江戸時代は国家独占の「管理貿易」だったわけで、
ペリー提督は貿易と入出国の自由化やら今風に言えばTPPの押し売りにやってきたのですよ。
聖徳太子とは言わず厩戸王という
議論のあるところだが、イデオロギーが垣間見えるので論争自体が鬱陶しい。
厩戸皇子でなく厩戸王というのも味噌だ
生存中の時代は、制度としての天皇、皇子の呼称が確立しておらず、大王、王であったことは事実だが、
だからと言って呼称の遡求適用という慣例までを無視するのかね。
歴史書においてナンチャラ天皇という表記の大部分は使えなくなりますよ(多くは後世の諡号である)
空海(弘法大師)というか、弘法大師(空海)か、文脈の状況で使い分けるという方法もあるが、
ことさらに「厩戸王」という表記を覚えるべきかと言われれば疑念が多い(弘法大師とはわけが違う)
因みに、崇徳院は顕仁親王と生前は言われていたはずだが、
この二つの呼称を結びつけるだけの知識のある方はまずいないし、知らなくとも不自由はしない。
殊更に厩戸皇子だけを王と呼称するところが意図的で好まない。
いかがわしい背景がありげで、ことさらに否定したがる勢力とその逆の一派。
聖徳太子の「事績」なるものは疑惑の山だといわれているが、多分そうだ。
厳密な検証をすれば、残るものが少ない。
あの時代にあのような超人政治家の存在を必要とする「何か」が有ったのだろうが、この場ではよく分からないと言っておく。
厩戸皇子自体を否定する学説は聞き及んでいないが、聖徳太子非在説には根強いものがある。
つまり、厩戸と聖徳太子別人説。
様々な事績や事跡の証拠とされる文献自体等も捏造かも知れない。
表に出る影武者を必要とした誰かとは一体・・・
古代史はロマンがあり(つまり闇の部分が大きい)妄想に耽るには楽しい時代。
しかし、限られた時間内に歴史を教える・・・のであれば近代史にもっと時間をかけるべきですよ。
内藤湖南先生のいうように、国史は室町時代以降を学べば十分とは、けだし卓見なのです。
なんだか「応仁の乱」なる新書が人気らしいが、そういう文脈なら歓迎すべきことだ。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿