2017年3月12日日曜日
鷹の親はやはり鷹・・・・
ジョスパン
フランス人。
グランゼコール(ENA等)出身の学者にして左派の政治家(最後は首相まで)
立ち居振る舞いがエレガントだったとされる。
キャリア的ではなく精神的な意味でも「エリートそのもの」ですが、母親はそれ以上であったと言われる。
映画では事実をどの程度反映しているのか分からないが、92歳のお誕生日を迎えた母親は、
人間としてこなせなければいけない事の多くが出来なくなってきた事に気づく。
そこで、自分自身で死ぬ事が出来るうちに死のうと晩餐会の席上親族の前でカミングアウトするのですよ!
ここから先は、キューブラーロスの「死に至る五段階」の世界が親族や周囲の人々を翻弄する。
凄い世界を描きますねえ。
個人主義的で理性と論理しか信じないフランス人の感性でないと作れないし、
その感性に忠実に描きます。
少し考えれば分かる事だが「死の受容の五段階」とは、
遺族にも当てはまる事だということであるが、全員が受容できるとは限らないと言われるが、けだし・・・
尊厳死法制(あるいは安楽死法制)がフランスである程度進んだのは、この母親の「勇気ある理性的な行動」を
契機とするらしい。
ある程度・・・というのは、どこまでの行為を違法性阻却するのかのレベルによる。
医師による自殺幇助は、未だにアメリカンの一部の州を除き違法のはずだと思います
医師以外、家族親友なんかの行為は言うに及ばずなんでしょうねえ
必要以上の延命治療の拒否(排除)は、多くの国で法制化されているとされますが・・・・よく分かりません。
この映画では、娘(原作者ですのでジョスパンの姉妹みたいです)が大量の睡眠薬の購入の手助けをしますから
自殺幇助に該当しそうですが、そういう事には興味を持たない映画。
只々理性的にデザインされた死を受け入れるという事はどういうことかってことを描くのです。
ある意味でシリアスな話題ですので、駄弁はこれくらいで・・・・
死ぬ事を真剣に考えられない民族や国民は、生きる事においても真剣になれないって気がします。
因みに、尊厳死と安楽死は事の性格を異にするそうですが、
倭国の使われ方は世界標準ではないらしい。
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