2017年3月11日土曜日

もの尽くしあるいは語呂合わせ





お流儀の舞台も、無事に銀座(松坂屋さんの跡地の商業ビル)に移転し、足の便もよくなった。
個人的には、いままでの渋谷の舞台のほうが使いやすいのですが、なんせ舞台の板(檜板)があまり宜しくない。
しかし、見所の座席数が増えたもので、お客が少ないと貧相だし、広い空間は声が通らない・・・

秋の発表会は、出るか出ないか・・・・遥々と吾妻下りまでしてって気もするが、
仙台平五つ紋で舞台に立ってこその「お稽古」


とは言うものの、謡うしか能がなく、こんなことならば舞をやっていくべきだった(泣)
長い「素謡」は足がもたないし、二年前の恥辱はもうごめんだ。
従って、選択肢は「無本(暗譜)での独吟・・・・アカペラのソロ」しかない。
先生によっては、緋毛氈を敷き、見台を置いてってあるが、そんなみっともない真似は矜持が許さない。


問題は、演目。
それなりの格式高い謡曲のしかるべく難度のさわりの聞かせどころを・・・・まあ10分程度
たかが10分とはいえ結構長いし、途中で立ち往生するリスクもあるが、いざとなれば自分で「作詞作曲」
ごまかすことは元来得意技だし、聞いているほうはまずわからない(笑)

いままでに・・・・

鳥追舟
鵜飼
盛久
熊野
勧進帳

とかなんとか一通りやった。
実のところ「願文」三連投って思っていたが、あまり面白くはない。
勧進帳ならば知名度も高いが、聞いていても面白くもない「起請文(正尊)や願文(木曽)」なんて、
足を運んでいただいたお客様に申し訳がない。
番組編成権は師匠が握っていますからあまり勝手なことは出来ないし、秋の会に春の曲なんてセンスを疑われる。
お囃子(フルオーケストラでなく、大鼓だけとか笛だけ)をつけて「一調あるいは一管」なんかもありだが、
とてもそんな大それたことを言い出す勇気もない(苦笑)





観世百番集をあちこち探すに・・・・これにするかなあ?


そもそも桐壷の、夕ベの煙すみやかに、法性の空に至り、
箒木の夜の言の葉は、終に覚樹の花散りぬ、
空蝉の空しき此世を厭ひては、夕顔の露の命を観じ、
若紫の雲の迎へ、末摘花の台に座せば、
紅葉の賀の、秋の落葉もよしや唯、
たまたま 仏意に逢ひながら、葉のさして往生を願ふべし、
花散る里に住むとても、愛別離苦の理、まぬかれ難き道とかや、
唯すべからくは、生死流浪の須磨の浦を出でて
四智円明の明石の浦に、澪標いつまでも有りなん・・・・・


中略


南無や西方弥陀如来、狂言綺話を振り捨てて、
紫式部が後の世を助け給へと諸共に鐘うち鳴らして廻向も既に終りぬ。


紫式部は、石山寺で源氏を執筆したって伝説があるが、史実かどうかは疑わしい。
石山寺だって、あちこちに登場はしますが、重要な場面とも言い難い。
御所東の廬山寺が、レディムラサキゆかりの寺・・・というよりはまだましだが・・
単に大昔に彼女の祖父の邸宅があった程度のこと。

そもそも、作者がレディムラサキというだけの直接証拠だって、式部日記の記述でそう読み取ろうとすれば読めるって
だけのことであって、式部日記って本当に誰が書いたのやら・・・
ともかくも、通説がそうだということ。


仏教的には、作り物を書くようなことは「狂言綺語」を操る不善であり、地獄に堕ちるとされる。
よって、地獄に堕ちた式部を供養するために、表白文をたてまつったという設定が「源氏供養」なる謡曲。
その表白文は、源氏五十四帖のタイトルを読み込んだ華麗な作文で・・・・これ自体が「狂言綺語」としか思えないが
この謡曲の白眉の部分。


そこんところをやってみようかな・・・・ってのが春先の妄想(笑)
庭先の紅梅白梅は満開だし、もうすぐには桃華の季節だ。



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