2018年5月29日火曜日
大江山
ねえって、もうすぐ締め切りだけど、代作頼んだママからLINE来た?
ママは丹波なんだからすっごく遠くって、LINEなんかみてませんから!
一千年も前の機知に満ちたやりとりが未だに語り継がれる
有名なエピソードでしてあちこちの古書に登場します。
しかし、知名度が上がったのはこのおかげ。
大江山
生野の道の遠ければ
まだふみもみず 天の橋立
さて、金葉和歌集に元歌が収録されているのですが...
ふみもまだみず とあります。
この微妙な違い、なんとも言えない。
まだは、日本語の通説的な文法では、副詞とされます。
述語を修飾しますが、述語は否定形である。
だから...
まだ手紙はみてません(裏語義は略)
なのですが、語順に関わらず意味は変わらない。
問題はどっちがいいのかということ。
被修飾語のすぐ前に修飾語が在るべきが文法の上では
妥当なのですが、詩歌の気分はまた別。
破格で在ることが詩情を高めることはママあります。
オリジナルは「ふみもまだみず」でしたが、
定家が改竄というか書き換えたのでしょう。
しかし、理由が分からない。
繰り返して何度も詠訡するに....
オリジナルの方が良い。
理由はありません。
なんだかこれの方がしっぺ返しなんだからキリリとするほうがいい
くらいなもの(^-^)
作者は和泉式部の娘さん。
母御さまには及びませんが、相当なレベル
親御さんが立派だといじられる見本みたいなもの
実はいじった方の父親はそれこそ当代きっての大知識人
コンプレックスに悩んでいたんだろう
今回も、小式部内侍に返り討ち(^-^)
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