2019年2月6日水曜日
....平家の子孫は永く絶えにけれ
有る事無い事、醜聞の宝庫のくせに、
待賢門淫璋子の行状に関しては口をつぐむのがSNSの世界
院政期の宮中周辺の乱倫に比べれば、芸能界なんかは
あまりに禁欲的である。
お嫁さんに如何ですか?と声をかけられた摂関家が、
素行を理由にお断りしたくらいですから、
鳥羽院に嫁し崇徳院の母となったのはいいが、
実は養父白河院(鳥羽院の祖父)の胤だと言う噂には
一定の合理性がある。
が、噂だけならば歴史的事実の証明にはならない
椒庭秘抄
角田文衛先生の労作
なんとも謹厳実直な京都学派の碩学が、
荻野医学博士のノーベル賞の候補にもなったと言われる
排卵ノ時期、黄体ト子宮粘膜ノ周期的変化トノ関係、
子宮粘膜ノ周期的変化ノ周期及ビ受胎胎日二就テ
なる論文を精読して、
崇徳院の実の父親が白河院であることを実証した。
人文科学系とは言え、
学問は理性的論理的科学的であることを教えてくれます。
平家後抄
その角田先生の労作
平家物語は後日談である灌頂巻を別にすれば。
タイトルのような余情感満載の表現で終わります。
六代(正盛からかぞえて六代目)と称する維盛の子供の
刑死により平家は滅亡した...と言う言い方。
正盛-忠盛-清盛-重盛-維盛
確かに伊勢平氏の直系本流は断絶したが、
伊勢平氏全体が死滅したわけではなく、伊勢平氏だけが
平氏ではない。
実朝暗殺をもって「源氏の子孫は永く絶えにけり」
なんて見聞きしたことがないのと同じ事であり、
平家物語は史書ではなく、小説に過ぎないことがわかります。
壇ノ浦以後の平家残党狩りは、相当徹底的に行われたように
言われますが、どんなものなんでしょう?
そもそも、源氏三代の後の鎌倉政権とは、坂東平氏の
御家人政権。
平氏というだけで近親感を感じるような人種では
なかろうが、
彼らに一番大事なのは、土地所領。
落人の生首には興味はない。
興味があるとすれば、利発剛力健康な子供をたくさん産んでくれそう
若い女の子だけ(軟弱な平氏にいるとは思えない)
有名なのは、巴御前に板額御前くらい
だから、落人部落なんてだれでも所在を知っている。
平時忠の末裔である時國家は未だに能登に居を構える。
江戸時代は豪農として知られ、
前田百万石とはいえ、格式は中納言。
大納言の末裔たる時國家が上だったため、
時國館の奥座敷には足を踏み入れなかった。
ちなみに、この裁判官は末裔だと言われる。
忖度もせず圧力にも屈せず、元総理を断罪した為に
左遷の憂き目をみてあまり偉くなれなかったと言われるが....
確かに、異動履歴がすこし変だが、
外務省機密漏洩事件(西山裁判)の控訴審の右陪席も
務めている...とテレビ版「運命の人」は登場しているらしいが、
原作には陪席裁判官には興味を示さない。
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