2020年6月3日水曜日

YOSHIWARAミシュランガイド



グルメのためのミシュランガイドの歴史も百年を超えました。
手間隙かけて作成している「権威」ですから、馬鹿にはしません。
しかしなあ....
浅学菲才ながら、食べる事の慎ましい喜びの原点からは縁遠く...って思うのよ


鎌倉に「鉢の木」なるミシュラン店があります。
なかなかのものとは思いつつも、もともとは小さなおむすび屋さん
あの謡曲「鉢の木」に因み、ささやかでも真心をこめたしな一品
少なくとも、落魄しても鎌倉武士の一分を忘れずに
旅僧の一夜のもてなしに秘蔵の鉢の木を焚き木にし、
なけなしの栗粥でもてなすまでのおもてなしには....アタシは二度と行かない。


そんな衒学ではなくて、歴史があっても「百年程度」ってはなしが今日の話題
一方で「吉原オンナ武鑑」は、吉原の歴史と同じだけの命脈を保った。
つまり...三百年
売春なんとか法がなかりせば、まだまだ生き残れたのに...


正式には「吉原細見」と言います。
根がいわゆる吉原の黒服だった蔦屋はこれで版元としての基盤を作り、
後には、グラビア(当時の美人や役者の浮世絵)で名を成した。
最後は風紀紊乱で軛られたようなものだが、それも出版人の心意気

要するに細見とは廓あそびの手引きガイド
落語では先輩のクマさんがなにかと教えてくれる事になっていますが、
一時期のエロ系の週刊誌や夕刊紙にはそれ系の記事があったそうです。
江戸前時代劇にはかかせない舞台装置の割に
細部までよく分からないし、
時代の変遷をごちゃごちゃにしたええ加減なしつらえが
さらに理解を妨げる。
絵空事の芝居に厳密な時代考証を求めるのが間違いだと
言えばそれまで


始まりは、秀忠の頃の免許事業です。
つまり、売春は違法だが、競馬や宝籤のように特別法で
違法阻却された存在。
オンナ日照りの江戸の社会の安寧には不可欠だと言うこと

家綱により人形町から浅草の外れの千束村に移転させられた。
一般的な吉原とは、この「新吉原」をいう
都会の真ん中に悪所なんかつくるものではなく、
明暦の大火災をこれ幸いと立退を命ぜられたという事。
明治の頃だって、根津神社界隈にも闇営業の銘酒屋が立ち並んでいたが、
赤門の学生さんの勉学の妨げって事で、洲崎に追いやられました。
そうそう文教地区の誉れ高い本郷界隈でも、一葉さんの小説には
結構銘酒屋が登場してました。


To be continued

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