2020年6月20日土曜日

世が世なら殿の招きの月見酒



ロウニンに「牢人」をあてる語感が解らない。
語義としては、牛を家内に閉じ込めておくということ
流民化させないという体制側の意思の現れかも知れないが
単に表音的だと決めつけておく。
江戸中期以降から「浪人」になった。
行方定めぬ...って感じだから、感傷感も倭人の心情に合致する。

しかし浪人なんて、体制には入れてもらえてはいないが
体制側の存在であり、才覚才能はあるが世に入れられない不遇の身
剣術や寺子屋の師匠なんかをやっているうちは、まだ未練がある。

江戸時代はがんじがらめの身分社会でもない。
運が良かったり、才覚と努力で結構這い上がれたのだ。
勘定奉行職は最初から実力主義と決まっていた。
そんな上昇意欲を捨てて、市井で和光同塵的に暮らせば、
もはや浪人ではなく隠者である。

江戸が町人文化とは誤解も甚だしい...というか、
町人とは、非武家階級とは限らず、隠者のような浪人までを含むし
むしろ彼等が文化の担い手。
藩籍のある武士だって、無役の小普請組だと、
体制内浪人...いまなら雇用調整給付金をもらう自宅待機組社員と変わりがない。
蜀山人にいたっては財務省の中堅官吏との兼業である。
そこまでのレベルでなくとも、細々した江戸文化を支えたのは彼等
職務専念義務違反なんて無粋なことを言わない。


体制から放逐すれば草莽の臣となり、体制に牙むく羽目になることは
容易に想像がつく。
中華の歴史は流民の歴史。
それも半端ではない流民の数...いまでも下層民は十億を超える
最低でも死なない程度に飯を食わし、土地に縛り付けておくには
施政者として悩ましいだろうねえ。

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