才能と意欲のある役者さん(ある意味で向こう見ず)がしばしば手がけます。
最近は御目にかからないが、、、、
白野弁十郎(シラノドベルジュラックの翻案)
普通はただの御芝居だが、一人芝居版もあり新国劇系の実力派の役者さんが挑戦するようです。
翻って、ひとり映画
アタシの大したことのない「知の大伽藍」は、、、やはり空虚な洞窟だ。皆目記憶にない。
実験的な映画にはあるようだが、、、商業映画に限れば、極めて稀有。
その稀有な映画が倭國で誕生した。
綺麗な、悪
原作は、中村文則の「火」
文庫本で30ページ程度の独白的一人称な文体小説。
映画化に際しては、仔細に見比べたわけではないが、オリジナルの独白がそのままセリフになっています。
ヒロインは、ライターで自宅を全焼させ家族を焼死させた触法少女。その後の悲惨な人生は容易に想像できますが、心療内科で治療を受けているらしく、ドクターに対する告白が、そのままセリフになっている。
部屋の何処に医師がいるはずだが、合いの手も無ければ、姿形も見えない。
そもそも、医師を前にした診療中なの?
本当に真実なり事実を語っているのかしら?
全ては彼女の妄想かしらってよくわからないママ、エンドマーク
消化不良のまま不機嫌になる映画です。
主演の瀧内公美さんの滑舌ってこんなに酷かったかなあ。きっと録音技師の腕前が悪いのか、小説の文体をそのまま台詞にしたのが間違いかも?
そして、映像も古汚くもうす汚い。
映画は総合芸術ですから、録音や照明を粗末に扱うと、話にならない。
せっかくの意欲作が台無し
なお、一人芸ならば、落語や講談と豊穣な文化を誇る倭国。しかし、話芸とひとり芝居(映画)は別物
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