設問の設定が間違っています。
政治にはカネがかかりますが、選挙にはそんなにかからないはずです(だから、わんさか立候補者がたつんですよ)
それに、政治を志すのは、、、昔はこう言ったはずだ。
出たがるアイツよりなんかより、出したいあの人を!
第一回普通選挙の当選者を眺めていれば、それがわかります。当時は制限選挙(所得あるいは資産制限)ですから、自由民権運動の第一線にいた草莽の民に財産なんかあろうはずがない。
が、地方の名望家や郷紳達は、彼らを金銭的に支援して国会に送り出した。
公職選挙法が想定する選挙運動は、公営(選挙運動コストへの公費投入)と支援者のボランティア(上限規制のある報酬がもらえるのは一部の職種だけ)が建前。理想的には、応援の渦が大きくなれば、自分の懐が痛む筈がなく、かつて都知事戦に出馬した青島幸男は一切の選挙運動を個人としてはやらなかった。
この胡散臭そうなオスザルには、まともな支援者がいなかっただけのはなし
でも、そんな事できっこない、、、その通りです。なんせ座布団バッジつけて赤絨毯の上を歩きたい亡者ばかりですから。
だから、政治や選挙に莫大なお金がかかるのは当然、、、制度論はこのリアリズムから始まります
だったら、逆に「国費で丸抱え」してあげようか?
いまでも政党助成金として300億円強、それ以外にもさまざまな名目で議員に公費が投入されてます。
それっぽっちで足りなければ、その何倍でも出してあげますから、使途は可視化してリアルに主権者に開示してください。
主権者の判断は投票で、、、
あるいは、政党や議員は政治活動に費消した費用を主権者に請求してください。妥当な費用は満額お支払いします。
個人的には後者の方がお好みだ。
一生懸命政治をやれば、なにかと経費がかかるでしょうから、請求内容から個々の議員の活動自体が可視化されます。
政治なんかやってるように見えない議員様の実像があからさまになれば、主権者の意識(知名度だけで投票する愚)も変わるだろう
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