YUMIさんは「嘆いて」言ったそうです。
MIYUKIって、アタシがせっかく乾かした洗濯物を、
またジトーってしめらせてしまう小糠雨みたいな・・・
二人はツイン・ピークスみたいな存在ですが、
仲良しなのかどうかはよくわかりません。
みゆきさんには、かつてよしひろ君って、お友達がいましたし、
タクロウさんとは、はずみがあれば結婚してたかもとも・・・とも思います。
かの「永遠の嘘をついてくれ」♪♪なんか、その心情をまざまざと伝えます。
みゆきさんが他人の舞台にワザワザ出向いてくるなんて気持ちにおいて半端じゃないですよ。
さて、乾いた感覚と湿った感覚って面白い対比だな・・と
思いつつ、「恋の感受性」について考えています。
古今和歌集は、20巻一千百余首の歌集ですが、
そのうち季節の歌(春夏秋冬)が6巻。
そして、恋の歌が5巻!
なんと「こいうた」は四分の一に相当します。
うたを読むこととは「季節感と恋の気持ち」を表現することそのものなのです。
恋は、
→ 出会い(見初め)
→ 気持ちが通じ合い
→ はじめて逢い
→ 齟齬が起き
→ 別れ
→ 失恋の思いに涙し・・・・というような典型的な流れがありますが、
上記の5巻は、その時間経過をそのままにうたが配列されます。
当然ながら、最初は「心ときめき」、思いが通じはじめて逢うことを「喜び」
ちょっとしたことで壊れてしまったことを「悔い、涙する」という
展開になるハズなのですが・・・・
どうも違うのです。
この週末に、八代集をひっくり返して、調べたのですが
どうも、この国には「楽しい恋」のうたがない!!
恋とは「苦しいか悲しい」かだけ。これって「湿った感覚」ですよ。
それどころか「涙の海」で溺れそう・・
明るく太陽の下って青春的な健全ふう恋愛観とは全く無縁です。
逢えないから辛い
待っても逢いに来てくれない
逢うとわかれが辛くなる(だからいっそ逢わない方がいい)
辛いくらいなら死んだほうがまし
演歌の世界は言うに及ばずですが、J-POPSの世界でも
情念のように「恋は苦しい」感が綿々と底流に流れています。
日本的美学においてはかような「忍ぶる恋」こそが最高の恋なのです。
女々しい王朝人だけではなく、武士道の聖典「葉隠」でもそう言っています。
世界的には、恋は楽しく・嬉しく・健康的・・・なんですが・・
でも敢えて言いましょう。
恋愛のメッカ、お仏蘭西最高の恋物語、それは
アデルの恋の物語
忍ぶる恋より、情念のような狂気の恋こそが最高の恋・・かな?
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