2014年7月3日木曜日
仕事は人間にとって必要を満たす手段にすぎないか?
二十歳前後の若者にかような論文出題する大学入試システムとは
いかなるものなのか?
神童の名をほしいままにした蝸牛庵でもいささか手強い。
だって、神童って「二十歳になればただの人」ってことです(笑)
まあ、こんな問題で高得点を取らないと、グランゼコールには、進めないし、
社会を動かすエリートにはなれない。
しかし、大学に進もうかなあって考える高校の最終学年でも、
一番重要視されるのが「哲学」である。
一体何を教えるのかイメージしにくいが、
簡単にいえば「論理的に推論することを徹底的に鍛える脳髄の体操の場」
人間とは論理も情緒も多岐多様であり、対等に付き合うには理性しかない。
論理的に客観的に説得し理解させるかが社会のありよう。
目配せや阿吽の呼吸なんかに依存する余地はない・・と考える国ではある意味当然である。
それは高校学校の最終年度で唐突に登場するわけではなく、
小学校ですら、自分の考えを正確に表現できるように、
古典や文豪の詩歌、散文の暗記を徹底的に叩き込まれる。
趣旨は分かるが、一体誰が教えるのだ・・・?
三尺さがって影を踏んではいけないと思わしめる教師に恵まれなかった者には想像を絶するが、
バカロレアを優秀な成績で通過した知のエリート・・・
ベルグソン、サルトル、ストロースなんかは、高等学校の哲学教師を経験している。
エリート教育には・・限らずだが、功罪がある。
しかし、エリートとして育てられた人材のいない社会とは、貧相なものだ。
旧制高校から帝大のルートが存在せずして近代日本は存立し得なかった。
教育に基づく国家の創出と拡充こそが、国家発展の最短ルートであることは、
論証するまでもなく歴史のおしえるところである。
エコルポリテクニック(理工学校)は、皇帝ナポレオンの創設とされるが、
彼は校旗を授与しただけで、創設したのはフランス革命の革命政権である。
近代におけるエリート教育の歴史を、グランゼコールに求めるのであれば、
二世紀の時間が流れ、時代も社会も変わった。
狂気や情緒や一時の激情ではなく、
知性と論理、理性で社会を形成すべきことには異論がなくとも方法論は百家争鳴。
なら、まだいいが、議論すらできない、しても決められないのでは、国家に明日はない。
政治にせよ経済にせよ、良きものを生み出し、時代を切り開くのは人である。
人を作るのは教育システムである。
単なる慰安と陶酔を供するだけの産業が隆盛を極めることも
ある意味の「劣化」であることだけは、声高に主張する。
時代の発展は専門化を必然とするが、そんな時代こそ、
広い視野と歴史に学ぶ判断力を必要とする「理性の時代」だと思うのですが・・
人文科学系老人の愚痴あるいは戯言かな(苦笑)
ところで、冒頭の「問題」の模範回答ですが、
柏倉康夫さんの「エリートのつくり方ーグランゼコールの社会学」
41から49ページに模範回答なるものが載っています。
ここまで、設問を分析し、論点を抽出し、過去の著名な哲学者の論を
参考にし批評し、最後に自分の意見を述べ`ないと正解とならない・・・
フランス人でなくてよかったなあ(笑)
それに今やグランゼコールを出ても二割は、就職浪人だそうです。
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