2014年7月14日月曜日

ムッシュ・ド・パリ・サンソンあるいは死刑なる「文化」


公儀介錯人なる国家公務員は、現実には存在しない。
したがって、拝一刀なる剣豪は全く架空人物であり、
彼の使う「水鴎流」なる流儀は・・・同姓同名なのは古武道でありますが・・・
歴史上存在したのは、御様御用(おためしごよう)役の山田朝右衛門。
世に言う「首斬り浅右衛門」
しかし、江戸政府の公務員ではなく、永久嘱託みたいなものである。
まあ、不浄役人ですからねえ・・・


一方
仏蘭西国では、ギロチンによる死刑制度が存在していたころまでは
サンソン家が数百年にわたり、その任務を果たしてきた。
どうやら、サンソン氏も公務員ではなく、朝衛門同様に永久嘱託職だったようである。



国家公務員ではないので、月給ではなく、処刑の数で受託費が払われたのであろうが、
平和な倭国では、それだけでは生計が立てられず、
しかし、そこそこな役得があり、結構優雅な生活を送っていたらしい。
千利休よろしく、日本刀の目利き鑑定料ってな、当たり前風な収益もあったそうである。
また、893のエンコツメや女郎の契りの指切り
なんかも・・・要するに外科医の端くれ。

ところで、最大の役得は「死体の処分権」
贓物を医薬品として、密かに売りさばくことで巨益をえていたらしい。
熊の胆なんて、高額医薬品の代表例ですが、クマさんであの値段ですから
さぞかし・・・・
要するに、医者と薬剤師を兼業する死刑執行人なのです。
その逆もあるのかなあ・・・笑



ある夜のことです(実際にあったらしい)
指名手配中の上州無宿人が、朝衛門を訪ね、
近々に斬罪になった際の臓器売買利潤の一部の前払いを陳情したらしい。
朝衛門がその要請に応じたかどうかは知りませんが、多分、快諾したのでしょう(笑)



1882年、刑法の施行により「死刑は絞首による」とされますので
山田家は、生計の道を閉ざされ・・・あの人は今・・にも
まったく登場しないまま歴史の一芥のなかに消えてしまいました。
サンソン一族も同様に影も形も見えない(そうな・・・)


死刑制度が「文化」とは申しませんが、
ある種の制度の廃止により失われた「遺産」もあるというも忘れてはならないことです。 



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